生きることは難しい。けれど人間には仲間がいる。
そんな帯文にふらっと吸い寄せられて読み始めた1冊だった。日々を生きていくのは誰しも難しいですから。
もっとも題名を見ればこれは「世界の」困難のことであって、「我が身の」低レベルな生き難さと混同するのは本来ナンセンス。なのに帯文が、どこか眩(まぶ)しすぎて遠い存在に思っていた「国境なき医師団」と自分をつなぐ予感を伝えているように思った。
読み終えた今、こう言える。本書はそんな取り違えさえも飲み込んで、世界中のすべての生き難さに寄り添い、そこに人間の希望を見出す、ルポルタージュの傑作だ。
本書をひと言で説明すれば、ひとりの作家が「国境なき医師団」の活動する世界各地へ赴き、現地のスタッフに同行しながら足掛け1年以上にわたって取材した1冊となる。
取材地となる「国境なき医師団」の活動現場は、いずれも紛争や大災の余波、疫病そして貧困に苦しむ国々だ。大地震後いまだ復興の道筋が見えないハイチ、中東からもアフリカからも難民移民が到着するギリシャの難民キャンプ、マニラ市街地内部に抱え込まれた巨大スラム、そして、隣国の南スーダンやコンゴの紛争で今まさに難民が押し寄せるウガンダの国境地帯。
取材地を挙げると、いかにも「ジャーナリズム」然としたノンフィクションを思い浮かべるかもしれないが、本書のアプローチはそういう類とはまったく違う。
著者は小説家にして多才なクリエーターとしても活躍するいとうせいこう氏。本の冒頭で自らこういう。
それでいい、というのが俺の方針である。
ジャーナリストの方法でなく、あくまで作家のやり方で脱線や私的こだわりを綴っていくつもりだから。
全編を通じて、1人称の「俺」が語り手だ。「俺」がいまその場で、迷い、共感し、奮い立つ。ときには涙したり、遠い日を懐かしんだりしながら、各地を取材していく。読者はいつのまにか、「俺」と伴走しながら、現地スタッフとの語らいの中に引き込まれている。そのライブ感がとにかく新鮮だ。
現地で活動するスタッフの各国の歴史についての講義に触れるたび、素通りしていたはずの「海外ニュース」の断片が蘇(よみがえ)り、突如つながる瞬間がある。現地の患者や難民に向き合うなかで培った彼ら彼女らの視点が、問題の本質を理解する重要な補助線を与えてくれるからだ。
例えば、ハイチ大地震。そもそも同国がどんな成り立ちをもつのか、どんな歩みの末に訪れた大災であったのか。ニュースを受け流してばかりで、想像もしなかったハイチ独立から200年続く苦難を浮き彫りする。
渦中のシリア紛争や南スーダン紛争による難民問題も然り。民主制発祥の地ギリシャが、シリア紛争を発端とする難民ラッシュ以前から“ヨーロッパへの入り口”として中東やアフリカから移民や難民を受け入れてきた地理的・歴史的な背景を踏まえると、2016年「EU-トルコ協定」の問題点もくっきり浮かび上がる。これを読めば、今後のEU各国の難民をめぐる議論にもますます目が離せなくなる。日々受け流していた「海外ニュース」の本質に迫る贅沢な個人授業だ。
各地のスタッフたちは、取材者である「俺」に対し、団を「代表する」のではなく自分の言葉で語る姿が印象的だ。ある時は、日中の活動拠点となる現地オフィス、移動中の四輪の車内、難民テント、診療所、スラム街での移動診療の現場に。またある時は、休日にスタッフ同士が集う屋上パーティーや町の食堂の席上に。彼ら彼女らの飾りっ気のない言葉が飛び交う。
そうした自由な雰囲気は「国境なき医師団」のユニークな組織編成にも由来するのだろう。世界28ヵ国に事務局があり、活動地域が71の国や地域に及ぶ大所帯ながら、“総本部”は特にない。“自由独立集団”として世界5都市に置かれる各OC(オペレーションセンター)が運営するプログラムが、同じ活動地域にも相互乗り入れするという。さらに各プログラムには、医師や看護師といった医療従事者と、ロジスティック(物資調達管理部門)やサプライチーム(供給部門)といった非医療従事者が、各自の持ち場を預かりながら連携を取り合うチームワークが機能している。“自由独立”と“連携”による組織運営についての著者の指摘は、過酷な状況下でプロジェクトを遂行するための組織論としても興味深い。
また、「国境なき医師団」の医療活動が多岐にわたっていることにも驚いた。コレラなど疫病対策、救急医療、基礎医療、妊産婦ケア、小児医療、移動診療などの1次診療だけではなかった。性暴力や拷問を受けた被害者に対する心理的ケアなどの2次診療や、避妊や性感染症予防などについての啓蒙活動にも多くの頁を割く。むしろこうした一見地味な彼ら彼女らの活動をこそ注意深く拾っていこうとするのも本書の特徴だ。
では、多岐にわたる医療活動の現場において「俺」が注目するのは、スタッフの知識の専門性の高さや有能さについてだけかというと、決してそうではない。
それはスタッフたちが「患者」や「難民の方々」に向けるまなざしだった。彼ら彼女らが使う「難民の方々」という何気ない表現に着目し、そこに「難民の方々へのぶ厚いような敬意」をみてとる。
それは憐れみから来る態度ではなかった。むしろ見下ろす時には生じない、あたかも何かを崇めるかのような感じ。
スタッフたちは難民となった人々への苦難の中に、何か自分を動かすもの、あるいは自分たちを超えたものを見いだしているのではないかと思った。(略)
苦難は彼らを死に誘った。しかし彼らは生き延びた。そして何より、自死を選ばなかった。苦しくても苦しくても生きて今日へたどり着いた。
そのことそのものへの「敬意」が自然に生じているのではないか。
著者はスタッフたちの「難民の方々」への「敬意」に思いを馳せることで、「彼ら難民が俺たちとなんの違いもないこと」に気づく。「難民」たちは「たまたま彼らだった私」でしかない、と。当然ながら、「俺」に伴走する読者も無自覚ではいられない。
「たまたま彼らだった私」への想像は、多くの人にとって眩しくて遠い存在にしか思えなかった「国境なき医師団」と自分を、「苦難をこうむる人々」と自分を、そして「世界のリアル」と自分を1つにつなげる力であり、人間の希望そのものだ。
レビュアー
出版社勤務ののち、現在フリー編集者。学生時代に古書店でアルバイトして以来、本屋めぐりがやめられない。夢は本屋のおやじさん。