寡黙な男(刑事)が伏目がちに「自分はバカですから」と言う。大滝秀治扮する先輩刑事がたまらず、「本当にそう思っているのか」と、その頑固なまでの「謙遜」に軽いツッコミを入れる。高倉健主演映画『駅 STATION』 (監督・降旗康男)のワンシーンである。高倉健はニッポンの主人公だ。
日本人は、高倉健を媒介として描き出すこの手の「敗者」ものが好きだ。 社会での「競争」や結婚生活には敗れたが、そこには「敗れざるもの」としての信念や美学に満ち溢れ、「秘めた力強さ」や「やさしさ」を魅力あるもの愛すべきものとして描き出す。
健さん演じる主人公は、ふだんはぶっきらぼうでも、自分の上司に話しかけるときにはちゃんとサングラスをはずす。一見すると、哀愁かぶれの「個人主義者」のように見えるが、その実、忠君であり繊細。また、その逆も真なりで、無言を貫く「事なかれ主義者」に見えるが、道理には忠実で骨太でもある。ニッポンの男は、こうやって高倉健さんに想いを寄せ、自分の誇りや哀しみや正義を、一方的に彼の態度に投影させてきた。
本書は、いままでけっして明らかにされなかった、俳優高倉健の素顔を赤裸々に綴った本である。
元妻・江利チエミとのこと、反社会勢力との関係、趣味のクルマやボートのこと、そして、晩年に起きていたある養女とのこと。
正直、俳優高倉健を愛し、あくまでも高倉健でい続けてもらいたい人たちには、どこか生々しすぎてある種夢を壊すような記述が多いのかもしれない。著者は容赦なく、高倉健を演じる本名・小田剛一の姿を克明に描き出していく。
彼本人の行動の良し悪しではなく、高倉健はたくさんの関係者に囲まれ、そして、その欲得の渦に巻き込まれ、なす術もなく漂流する。寡黙な男がほんとうは寡黙でなかったり、我慢強い男がほんとうはそうでなかったり、正義漢の男がほんとうは優柔不断であったり。いや、誰も俳優高倉健の権威や業績を地に貶めようとしているのではない。それほど素顔を知りたい、いいことも悪いことも含めて、もう一度高倉健を好きになりたい、好きでいたい、そんな著者の思いが強烈に見て取れる。
ピーク時の高倉さんは、全部で二〇台以上の車を持っていました。むろん何台かは自宅のガレージにあったけど、収まらないからパシフィック(旧ホテルパシフィック東京・現シナガワ グース)の地下駐車場に車を置いていてね。多すぎて、健さん自身も覚えきれないほどなので、一回は大量に処分しました。だから、けっこう減ったとは思うけど、一〇年ほど前でも車の数は一〇台じゃきかなかった
ホテルパシフィックには高倉健が毎日通った理髪店「バーバーショップ佐藤」があったので、ホテル地下の駐車場が便利だったのだろう。地下駐車場にある洗車店の店主が高倉健と契約を結び、愛車の駐車スペースを確保していた。親しい友人の一人が述懐した。
洗車店の店主は、運動不足だという健さんといっしょに地下駐車場を歩き回ったりするほど親しい仲でした。健さんは車を大事にする人で、乗らないとバッテリーが上がってダメになるので、洗車店にキーを預けて週に一度エンジンをかけさせ、管理してもらっていまし た。歳をとってタクシーに車をぶつけたり、車庫入れも大変になっていましたが、それでも健さんはいつも車でパシフィックにやって来て、『お願い!』と洗車店の前に止めてキーを渡し、理髪店に向かっていました。来たときと違う車で帰るので、洗車店では、健さんから指定された車を予め出しておく。洗車場には他のお客さんもいるので、健さんに気が付くと声をかけることもあったけど、本人は気さくに会話していましたね
たとえば、クルマに関する健さんのこんなエピソードを聞かされると、わたしはたまらなくワクワクする。まるで、自分の夢を健さんが代わりに叶えてくれているかのような、あるいはまるで自分がそのエピソードの主人公になっているかのように、多くのニッポン男児たちをワクワクさせる。こんなエピソードを垣間見れるだけでも、この本には価値がある。
冒頭で触れた映画『駅 STATION』を観ていて、もうひとつおもしろかったことがある。 主人公の健さんはもちろんもてる。ぶっきらぼうで余計な口説き文句はないけど、女の誘いは断らないし、やることはしっかり(ちゃっかり)やる。そして、何よりも、寡黙なくせに、考えていることが意外にすぐ顔に出る。
俳優が演技をし、その演技をした俳優に、見ている側が勝手に自分の意思を重ね合わせ、想像の世界を膨らませていく。ある意味、これほどすばらしい「映像芸術」はない。そして、その構造こそが、高倉健を伝説にした、何よりもの要因なのだと思う。
『駅 STATION』だけではなく、さまざまな作品が残された。
『日本侠客伝』『網走番外地』『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』『居酒屋兆治』『夜叉』『ブラック・レイン』……。数えだしたらキリがない。完璧なる「媒介者」としての高倉健。筆者の目にはそう映っていた。賢明な読者の方々の目にはいったいどのように映っていたのだろうか。
レビュアー
コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。好きなアーティストはジム・モリスンと宮史郎。座右の銘は「物見遊山」。全国スナック名称研究会代表。日本民俗学会会員。