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2017.12.10

レビュー

あなたの「承認欲求」強すぎないか? “忖度”や“おもねり”の背後に

「認められたい」「承認されたい」……よく聞く言葉ですが、今年流行した“忖度”や“おもねり”などという行為の背後にもこの「承認の欲望」が見え隠れしています。

現代は承認への欲望が増幅した時代、というより承認されないことへの不安に満ちた時代である。人々は他者から批判されることを極度に怖れるあまり、自然な感情や欲望を必要以上に抑制し、周囲への同調と過剰な配慮で疲弊している。

「空気の支配」を作り上げている背後にもこの「承認欲求」がひそんでいます。「承認される」ことによって、ある“仲間(=共同体)”へ参入することができます。そしてある種の“自己肯定”や“仲間意識”が生まれます。けれど、ややもすれば“排他意識”が生まれるもとにもなります。

このやっかいな「承認欲求」というものについて正面から論じた好著がこの本です。

「承認欲求」はどのようにして生まれてくるのでしょうか。まず「承認」というものには3つの過程があります。
1.親和的承認:無条件で受け入れてくれる存在からの承認。「自己価値」(自分の存在価値)への承認を求める欲望が発生する。母親や家族、近所の人が対象になっているもの。
2.集団的承認:自らが属する集団からの承認。価値ある行為や知識・技能が承認される喜びに目覚め、それを積極的に求める。保育園や学校の仲間。会社の上司、同僚など。
3.一般的承認:属する集団を超えた世間一般的からの承認。道徳、一般常識など。

他者への承認欲望は、「親の承認(親和的承認)」(幼児期)→「仲間の承認(集団的承認)」(学童期~青年期)→「他者一般の承認(一般的承認)」(壮年期~)、といったかたちで欲望対象の中心点を変えていく。それにともなって、自己ルールはより一般性のある行動規範に修正され、「一般的他者の視点」も成熟する。

これからもよくわかるように「承認欲求」は人間の成長・成熟と不即不離なものであることがわかります。さらにもうひとつ付け加えるならば、「承認欲求」と「自由」との緊張関係も人間の成長・成熟において重要であることはいうまでもありません。

特定の価値観が支配的な社会では、誰もが信じている社会の価値基準に準じて行動すれば、一定の承認を確保することができるため、現代的な承認不安とは無縁である。しかし裏を返せば、そうした行動以外は否定され、逸脱した行為は批判の対象になる(略)そのような社会には、人間の自由はわずかしか存在しないのだ。

著者が「自由と承認の葛藤」と呼んでいるものです。この葛藤を歴史的に論じた章は、この本で最も力を入れた章の1つです。

この「自由と承認の葛藤」は「近代の病」とでもいえるものを生み出しました。自由に生きる可能性と意志を追究する「近代人」の言動が伝統的価値観と衝突した場合、「周囲から批難され、同じ社会に生きる人間としての承認を失う」(=疎外・孤立)ということが生じてきたのです。「伝統的価値観」と「自由」との争いという新たな悩みでした。

「自由と承認の葛藤」は現代にいたってさらにその「病状」を増していきました。

現代社会においては、自尊心を守り、自己の存在価値を信じるために必要な他者の承認が、なかなか簡単には得られない。そのため、かつてないほど他者の承認が渇望され、承認への不安に起因する苦悩、精神疾患が蔓延している。(略)それは近代以降、社会共通の価値観への信頼が徐々に失われていったことと深い関係にある。

さらにこの葛藤(=病)から逃れようとして「承認欲求」を退行させることが起こってきました。「一般的承認」が達せられないと「集団的承認」へと退行し、さらに「集団的承認」から「親和的承認」へと退行するようになっていったのです。これは「承認欲求」の劣化であり、「自由の意識」の劣化とでもいうべきなのでしょう。この「承認欲求」と「自由の意識」の間の2つの葛藤こそが人間を成長・成熟させる契機であるにもかかわらず、その緊張関係に耐えられず、葛藤から(無意識でも)逃れようとしているのです。

ここから大きく2つの問題が浮かびあがってきます。1つは「承認欲求」が「一般的承認」へと進むことが難しくなったということです。もう1つは『自由からの逃走』(E・フロムの著書名)というものです。

現代の承認不安は、親和的承認に対する強い渇望、集団的承認における行為の価値の軽視、一般的承認に対する期待の消失、というかたちで顕在化している。

この問題を考える上で「重要なのは、『承認への欲望』だけでなく『自由への欲望』にも配慮しなければ根本的な解決にはならない」ということです。承認欲求の解決だけでは根本的な解決にはならないのです。

居場所を用意され、コミュニケーションの技術が少しでも高まれば、一時的に承認不安は解消されるだろう。だかそれは、身近な他者の承認のみを対象としているため、ちょっとしたことで承認不安が再燃し、「空虚な承認ゲーム」に転化する可能性がある。そこには承認を確保するだけで、自由を確保する道がない。しかもこの承認の内実が空虚なものであれば、承認不安はつねにつきまとい、自己価値に自信を持つことは難しい。

この「空虚な承認ゲーム」のあらわれの1つが「空気」であり「忖度」「おもねり」であるのはいうまでもありません。

「自由と承認欲求の葛藤」をどのように乗り越えていけばいいのでしょう。承認欲求がもたらす仲間意識の裏側にある“排他意識”に陥らないためにはどのようにすればいいのでしょうか。これがこの本の最後の問いです。

著者が提唱するのは「一般的他者の視点」を持つということです。

「一般的他者の視点」は他者から承認される可能性を拡げ、しかも自己決定によって自由を保持したままなので、自由への欲望と承認への欲望をバランスよく両立することができる。そこには確かに、「自由と承認の葛藤」を解消する道があるのだ。

「一般的他者の視点」の前提になるのは「異なる価値観の人間とは認め合えない」という先入観を捨てることです。「身近な他者の承認のみに執着せず、『見知らぬ他者』の承認」が重要であるということを気づくこと。排除から包摂へ、それが「承認不安」から脱し自己を確立できる道なのです。力強い1冊です。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note⇒https://note.mu/nonakayukihiro

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