時の流れというのは不思議だ。
その時の状況や場面、あるいは体調や心情、年齢などによって早く感じる人もいれば、実際よりも長く感じる人もいる。
以前映画の乗馬シーンを撮っていて落馬した時、すべての景色がスローモーションに見えた。落馬して、体が地面に落ちるまで四、五秒の時間だったと思うが、わたしにはたっぷり三十秒くらいに感じられた。
逆に切羽詰まっていると、時間がどんどん早く流れていく。朝から一文字も書けないのに日が暮れてしまった時は悲しいが、読書に夢中になっている時は、あっという間に時が過ぎる。これならどれだけ早くてもかまわない。
そして本書は、間違いなく時が早く流れる小説。もちろん面白いからだが、切羽詰まる仕掛けが物語に仕組まれている。
天正十年六月二日、本能寺の変。歴史で記される日は動かない。しかしその日に向けて誰が暗躍し、誰が手を下したのか、信長への殺意を隠し持つ人物たちの動きを同時に描く。
タイトルでピンとくる人もいるだろうが、本書はアメリカの人気テレビドラマ『24‐TWENTY FOUR‐』の手法がヒントとなっている。わたしもドラマに夢中になった一人だが、このドラマの妙は、一切の時間の省略なしに二十四時間の出来事を描くところだ。主人公の刑事ジャック・バウアーがいつ食事やトイレに行くのか、一睡もしなくて平気なのか? 気になるところはいくつかあるが、それは些細なこと。物語はスピーディーで迫力満点、思いがけない展開が続き、視聴者は一瞬も油断出来ない、ちょっとした中毒性のあるドラマだ。
ところで映像は二場面、三場面、という風に同時に人物の数だけ画面を割って、漫画のコマのように同時に見せることが出来る。
しかし文章ではそうはいかない。では本書は映像よりも迫力が欠けるか、と言われたらまったく違う。
手法は一部借りているが、本書の面白さは歴史小説であるところだ。
読者は読む前から結果を知っている。
歴史という動かせない事実があって、本能寺の変へとなだれ込む時の流れと人々の思惑に光を当てていく。
運命の日に至るまでのそれぞれの心境は、揺れ動き続ける。その揺らぎは映像ではあらわせない切迫感にあふれているのだ。
(講談社文庫『信長の二十四時間』 解説:戦国の二十四時間 より一部抜粋)
解説者
(なかえ・ゆり)
女優・作家