三島由紀夫といえば、凝りに凝った装飾過剰な美文体。『仮面の告白』『潮騒』『鏡子の家』『金閣寺』といった代表作に触れた多くの読者が、その美文の虜となっていく。その一方で、ひと度その美文体に苦手意識を感じてしまうと、それから先に三島由紀夫ワールドの深みへ入っていけない読者もいる(筆者もそのひとりだ)。けっして読みやすくはないからだ。本書は、そんな「食わず嫌い」な読者の予想を心地よく裏切ってくれる「三島由紀夫」再入門の決定版だ。
「自決」9ヵ月前の三島由紀夫の肉声テープが新発見された、と報道されたのは今年1月。本書の前半に収録されるのは、その「未公開インタビュー」の全貌である。
読み始めると直ぐに、そのフランクな語り口に引き込まれる。
──変なことを聞くようですけど、三島さんが自分の文学を見て、(略)欠けているもの、そういうものが何か……。──
──僕の文学の欠点というのは、小説の構成が劇的過ぎる。ドラマティックであり過ぎるんです──
世界の三島に対して「なんて無粋な」、と冷や冷やするような質問にも、三島由紀夫はじつに率直に応える。小説での“劇的”な装飾性とは明らかに対照的な、その語り口の素直さ! 美文体のイメージに囚われていた再入門者はまず、このギャップにやられてしまうだろう。
話題は文学談義というよりは、世間話に近いものばかり。新作歌舞伎を「わかりやすい」と評価する風潮への苦言にはじまり、古典を学ぶ必要性を説く教育論、週刊誌ゴシップの是非をめぐる見解、憲法改正の問題提起まで。半世紀前のインタビューにも関わらず、そのまま現代に置き換えても十分に有意義だ。「自決前夜の三島の肉声」という文学史的な価値に関心がない、つまり、三島についての予備知識がない読者であっても、ぐいぐい引き込む。
読み進むと、三島由紀夫の「告白」はインタビュアーであるべスター氏あってのものだと気付く。ベスター氏は三島由紀夫が2年前に書いた自伝的評論『太陽と鉄』を目下翻訳中の人物だった。「今回、『太陽と鉄』を訳してもらってうれしかった」と素直に感謝する三島の言葉からも、翻訳が縁で実現したインタビューということが分かる。インタビューの随所で立ち戻るのも「太陽と鉄」の話だ。
──あれをもしわかってくれれば、僕がやっているどんなバカなことも、何もかも全部わかってくれます。そのためにあれを書いたんです。──
本書は、三島由紀夫が「私の行動の理由がすべて書いてある」と繰り返しアピールするこの『太陽と鉄』を後半に収録する。
本人自ら語る「バカなこと」「私の行動」とは、文壇の寵児ともてはやされた彼が30歳の時に突如始めた「ボディ・ビル」のことである。
かつて言葉だけで世界を造形できると考えていた早熟の天才が、ある日を境に肉体に目覚め、鍛え上げていく。肉体へのコンプレックスゆえに、それまで自分の小説世界からはあえて遠ざけていた肉体のリアリティを獲得していくプロセスを、あの濃厚な美文体で語る。
全体を通してのテーマは、言葉(小説)と肉体(現実)の"二律背反"。王道の文学論である。アンビバレントな命題をいかに一致させ、自らの文学を作り上げてきたか、についてもたっぷりと語られる。読み応えのある自伝的評論だ。
とくに、ボディ・ビル仲間と参加するようになった神輿担ぎの体験を語る箇所が味わい深い。
──幼時、私は神輿の担ぎ手たちが、酩酊のうちに、いうにいわれぬ放恣な表情で、顔をのけぞらせ、甚だしいのは担ぎ棒に完全に項を委ねて、神輿を練り回す姿を見て、彼らの目に映っているものは何だろうかという謎に、深く心を惑わされたことがある。私にはそのような烈しい肉体的な苦難のうちに見る陶酔の幻が、どんなものであるか、想像することもできなかった。そこでこの謎は久しきに亘って心を占めていたが、ずっとあとになって、肉体の言葉を学びだしてから、私は自ら進んで神輿を担ぎ、幼時からの謎を解明する機会をようよう得た。その結果わかったことは、彼らはただ空を見ていたのだった。彼らの目には何の幻もなく、ただ初秋の絶対の青空があるばかりだった。──
ここで語られるのは、『仮面の告白』を読んだことのある読者なら見覚えのあるワンシーン。「私」が幼い時に見た神輿集団のエピソードの、いわば「続編」にあたる。かつて見えなかった風景が見えた瞬間。肉体改造以後の三島由紀夫が獲得した「肉体のリアリティ」の一端に触れることができる一節だ。
「ボディ・ビル」を皮切りに、その後に出会う「ボクシング」「剣道」「楯の会(三島由紀夫の私設軍隊!)」についても語る。「自決」が、それらの「行動」の延長線上にあるのはいうまでもない。その意味で『太陽と鉄』はディープな三島ファンがもっとも知りたい最後の「行動」の理由についても教えてくれるはずだ。
素直な語り口(前半のインタビュー)と、濃厚な美文体(後半の『太陽と鉄』)。三島由紀夫の両極端をカップリングする本書は、再入門者にとっても、年季の入った三島ファンにとっても読み応え十分な1冊だ。
レビュアー
出版社勤務ののち、現在フリー編集者。学生時代に古書店でアルバイトして以来、本屋めぐりがやめられない。夢は本屋のおやじさん。