この作品には素晴らしい“予告編”があります。書籍では珍しい試みです。まずそこをご覧になってください。この作品のテイストがわかります。
この小説は『ソトニ 警視庁公安部外事二課 シリーズ1 背乗り』『マルトク 特別協力者 警視庁公安部外事二課(ソトニ)』に続くシリーズの第3弾。今作は……。
認知症の老婆が交番を訪ねたところから物語がはじまります。どこまで信用できるのかわからない老婆の記憶……。老婆が名乗ったある名前、しかしその名には年格好も同じ他の女性がいた!? それがすべての始まりだった。
その一方で、物語の主人公筒見慶太郎は警視庁公安部外事二課(ソト二)を追われ、赴任したバングラデシュで凶悪な事件に巻き込まれる。著名な日本人俳優が隣地の上で殺害されたのだ。現場付近で拘束された筒見はその犯人として現地警察に逮捕される。その筒見をターゲット(!)に警察庁から因縁の男が現れた……。
一見無関係に見えるこの2つの事件が結びついたとき、メガロポリス東京にひそむ北朝鮮のスパイ工作が浮かび上がってくる!
警視庁公安部外事二課、通称ソトニとは主として中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の工作活動、戦略物資の不正輸出を捜査対象とする部署です。主人公の筒見はソトニのエースとしてスパイ摘発に豪腕をふるっていましたが、その強引なやり方で外務官僚を自死に追いやってしまう。その責任を問われ大使館付きとして海外へ出向。事実上、警視庁より追放処分の身となっていました。
その筒見が巻き込まれたのが、朝鮮民主主義人民共和国の工作活動でした。工作員たちは何をもくろんでいるのか、それがストーリーの縦糸です。
けれどこの小説の面白さは、その縦糸に対する横の糸(細やかなシークエンス)が織り上げる立体感だと思います。著者はジャーナリストとして長年、公安部の取材にあたっていました。その経験が生きているのが横の糸です。
工作員たちがどのように日本の社会に中に溶け込んでいるのか、そのために日常生活をどう過ごしているのか。さらに身分をどのように作る(!)ことができるのか、彼らの相互の連絡手段は……というものだけでなく、工作員たちがどのように私腹を肥やそうとしているのかまでがビビッドに描かれています。
細やかなシークエンスの描写はサスペンス色を高めるだけでなく、もう1つのもの、複数の顔を持って活動している工作員の実態をリアルに浮かびあがらせてきます。複数の顔を持つ工作員、それを使い分けてターゲットを掴み、目的を実現させようという彼らの活動の多面性。それを描くに適したスタイルがこの細やかなシークエンスです。読み進めるにつれて登場人物の息づかいが聞こえてきます。
ところで、緊迫した彼ら工作員の生活と(一見)平穏な周辺人物の日常の対比がくっきりと描かれたこのストーリーは、その底流にあるものを感じさせます。それは不信・疑惑というものです。
工作員が彼に接触してくる者に不信を抱くのは当たり前でしょうが、この本から感じられる不信はそれだけではありません。主人公の筒見自身が警視庁に大きな不信を持っているだけでなく、筒見を追う因縁の男もまた不信の念を筒見に抱いています。
工作員同士もまた不信の上でのつながりでしかありません。上部機関への絶対服従を求める組織、それは一皮めくれば構成員への不信がうごめいている世界です。そこではあらゆる行動を監視する秘密警察のような別組織が必ず生まれます。さらにいえば、上部組織への密告、それが誣告、濡れ衣であっても一度密告されればそれは“真実”となる世界、それは不信が常態となっている世界なのです。鉄の掟とは不信の上でしか存在しません。
この作品がスリラーのような緊迫感をもたらすのは、不信というものに取り憑かれるのが工作員たちだけではないということです。私たちの日常生活のなかに密かに浸透している不信、官僚機構であり私生活のなかにうごめく不信の思いがハッとする展開をもたらします。
多くの登場人物、そしてシークエンスがジグソーパズルのように組み上がったとき、私たちの社会に“浸透(チムツ)”した彼らの実態が明らかにされます。彼らの目的・手段さらに組織の全貌に驚かされるでしょう。しかもこれはフィクションの世界ではありません。
ところで『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンを思わせるような筒見の活躍ですが、マクレーンは1人でしたが筒見には熱い心で結ばれた元部下がいました。不信があふれているこの世界で唯一“信頼”が生きているということを感じさせる活躍ぶりでした。
ノンフィクションとフィクションの垣根を越えたダイナミックさにあふれているこの小説は読み出したらやめられない、秋の夜長にうってつけです1冊です。
■著者インタビューもある特設サイトはこちら⇒http://gendai.ismedia.jp/list/special/sleeper
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
note
https://note.mu/nonakayukihiro