2013年4月3日にデフレ脱却を目的にした異次元の金融緩和が実施されてから4年が経ちました。当初は2年で物価上昇率2%を実現と目標を立てていましたが、いっこうに達成されません。さらに金融緩和を続ける日銀ですが、本当に緩和が足りなかったのでしょうか。市場に供給された大量のお金はどこにいっているのでしょうか。大企業と一部富裕層へ向かって流れていったのでしょうか。そう思えるほど格差が拡大し続けています。
実感のない景気回復、雇用条件を無視した就業率数字、それらを成果と考える安倍政権(チームアホノミクス)の自画自賛……。このことこそ、よほど国(国民)を滅ぼす国難です。
大企業優先の法人税率の引き下げもあり、2016年度決算を見ると所得税、消費税、法人税の主要3税すべてが減少しました。これは、浜さんがこの本で記した「チームアホノミクス」の、もたらす2つの恐怖のうちの1つ「財政健全化」の失敗をあらわしています。
──健全財政はなぜ重要なのか。国の財政はなぜバランスが取れていなければいけないのか。それは、国家が国民に対するサービス事業者だからです。──
しかし安倍政権(チームアホノミクス)は日銀を政府の「御用銀行化」とし「無責任財政」を行っています。財政節度の喪失です。
── 一国の政府が財政節度を保つ責任から解放されてしまえば、そのような政府は好きなように財政資金を使うことができるようになってしまいます。自分たちの意図するところに向かって、いかようにでもばら撒き財政を展開することができるようになってしまう。財政のまるごと私物化が可能になってしまうのです。──
チームアホノミクスの無責任さは今回の総選挙でもあらわれています。2年後の消費税増税に対して「消費税の使い道を変え、子育て世代へ投資」ということをいったかと思うと、野党が消費増税凍結をいえば、「リーマン・ショック級が起これば消費増税延期」というように公約に言い訳をつけたりしました。
現在の経済政策(アベノミクス)がもたらしたものへの客観的な評価がまずあるべきです。空手形のような「消費税の使い道」を声高にかかげるところに、この本でおふたりが指摘する安倍首相の「奥行き」のない「ペラペラ人間」ぶりがあらわれているようです。
──奥行きがない人間たちには、受容力がない。受容力なき者たちは、人の痛みに思いを馳(は)せることができない。人の痛みがわからない人々は、何をやらかしだすかわからない。奥行きは想像力だ。想像力なき者たちには、畏敬や憚(はばか)りがない。だからいとも簡単に人を傷つけることができる。──
このあたりが、安倍内閣不支持の最大の理由である「人柄が信頼がおけない」ということにつながります。「ペラペラの紙のような存在」の「ペラペラ人間」には政治家として必要なものが欠けています。他者の意見を汲み取る「吸収力」「ゆとり」「忍耐力」「共感力」がないのです。
──いま、地球的な経済社会のあちこちで、このようなペラペラ人間たちが人々の恐怖や憎しみを煽(あお)り立て、「愛国」を振りかざしながら「国粋」の地獄の底に我々を引きずりこもうとしている。チームアホノミクスはその急先鋒に陣取っている。──
「ペラペラ人間」の粗暴な振る舞い、それが浜さんがこの本で指摘した「幼児的凶暴性」という、私たちに恐怖をもたらすもう1つのことです。
──自分の刹那(せつな)的な癇癪(かんしゃく)や願望や苛(いら)立ちを抑えることができない(略)敵対していると思う人に対しては、たちどころに反撃しないと気が済まない。徹底的な個人攻撃をもって叩きのめしたい。そういう衝動を抑制できない──
「幼児的凶暴性」といえばトランプ大統領が思い浮かびます。いまでは金正恩にも「幼児的凶暴性」を感じると思います。一見よく似ている安倍とトランプですが、幼児的凶暴性といってもその向いている方向が違うようです。
どこが違うのでしょうか。トランプのいうアメリカファーストは「アメリカしか考えない」ということであり、「アメリカ・アズ・ナンバーワンを目指すとは言って」いません。アメリカにとって「居心地のいい状態をキープしたい」のであり、「その視線はあくまで内向き」です。浜さんが「引きこもり型幼児的凶暴性」とでも名づけています。金正恩も同じ型に思えます。
これに対して安倍の幼児的凶暴性は「拡張主義的幼児的凶暴性」というものです。「世界の真ん中で輝く」といい続ける安倍首相が持っている危険性をこう指摘しています。
──「世界の真ん中で輝く」者は、他の人々と同じ条件のもとで競い合うなどということは、決してしない。自分は、あくまでも世界の真ん中に独りそびえ立ち、辺りを睥睨(へいげい)している。──
唯我独尊とでもいうのでしょうか。「私」と国家(公)との同一視があります。権力・国庫の私物化が当然のこととされるわけです。国内だけではありません。先日の聴衆が少ない中での国連演説の姿にもそれが感じられます。自分の支持者だけが聞いて(支持して)くれればいいという姿勢に映ります。国会の討論を避け、あるいは軽視し、お手盛りの会議や閣議決定を優先する政治手法もここにその淵源があります。
この本はチームアホノミクスへに厳しい、毒舌風の批判だけではありません。権力に対峙する野党の本質とはなにか、報道の自由度が世界で72位という日本のメディアへの注文、政府の財布と化した日銀や公的使命を忘れた銀行、公の意識を忘れた企業人への注文が語られています。
私たちに求められているのはどのようなことでしょうか。それは「大人の感性」を持つことであり、「ペラペラ人間」にならないように、あるいは「ペラペラ人間」の欺瞞を見抜くために「奥行きのある大人」を目指すということです。
伊丹万作の「戦争責任者の問題」という文章をこの本で佐高さんが紹介しています。
──みんな、騙されたと言う。「軍に騙された」「政府に騙された」と。そうすると、たった一人の人間が多くの人間を騙したということになるが、そんなことがあり得るものか。騙された人間が次の一人を騙す。その構造の中で全部が騙されたということだろうと伊丹は言った。──
こういうものが「奥行きのある大人」の考えです。重要なのは伊丹が「騙される『奴』というより、騙される『こと』に批判の照準を絞っている」ということです。騙す『奴』・騙される『奴』ということで人間の優劣・仕分けをいっているのではないということです。人間の弱さを知った発言だと思います。ここに「奥行き」が感じられます。
数ヵ月前までは一強と呼ばれていた安倍政権も権力や国庫の私物化が明るみになり、基盤が揺らいできました。それを糊塗するかのような総選挙。自民(与党)の勝敗ラインを過半数にするなど自己に都合のいい、甘い姿が今さらながら目立つ安倍首相(とチームアホノミクス)です。どのような結果になるのか、「奥行きのある大人」の感性で選挙に対してはいかがでしょうか。
前著『大メディアの報道では絶対にわからない どアホノミクスの正体』同様に毒舌の奥に大衆への愛(ふたりはそれこそが真のポピュリズムだといっています)が強く感じられる快著です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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