骨太な一冊だ。だいいち、見た目からして厚い。帯には「日本暗号学の不朽の古典」とも謳(うた)われている。ある分野で金字塔とされる大著は得てして、門外漢にとっては退屈な話ともなりうるから、身構えてしまう人も多いだろう。しかし、本書に限っては、まったくの杞憂。文系であれ、理系であれ、そんなことは関係ない。どちらにも門戸を開き、楽しい教養の旅とへ誘ってくれる好著となっている。
本書が扱う「暗号」のフィールドがとにかく広いことに驚く。一般に、暗号の定義は「意思の伝達を第三者に秘匿すること、あるいはその方法」とされているようだが、著者はこれを額面通りには受け取らない。「コトバを知らないものにとっては、コトバの使用そのものが秘匿の効果をもっていた」のだから、「コトバ」はすでに暗号だというのが著者の「暗号」観だ。「万葉集」の表記法しかり、フレイザーの『金枝篇』に記された未開社会の神話・古代信仰おける名づけ法しかり、本書で紹介する「コトバのはじまり」は暗号のルーツにも重なる。
さらに著者はフランスの外交官・ヴィジュネルのこんな言葉を引く。「全自然は暗号である。神の名とその存在、人類の行い、計画、コトバ等はすべての暗号の一部でなくてなんであろうか」。東西の様々な書物から紹介される暗号にまつわる数々のエピソードは、まさに“森羅万象”に及ぶものだ。『古今集』などの和歌の技法である「折句」やフランソア・ヴィヨンのバラードの隠語など、文学作品が暗号的効果を生む言語遊戯から、現代の日常会話や合言葉、外交・軍事、商業用の秘密インキや通信技術まで。文系理系問わず、読者は自分が関心をもった話題を糸口にどこからでも暗号の世界へ入っていけるのだ。
本書前半では、暗号の定義について整理しながら(第一、二章)、まずは間口を広く“森羅万象”を相手に暗号の本筋に迫るための準備体操を(第三章の副題は「暗号らしくない暗号」)。いよいよ中盤になって暗号の核心へ(第五章の副題は「暗号らしい暗号」だ)。つまり、枝葉から入って様子伺いをしながら、だんだんと根幹へ迫っていく、というのが本書の構成である。筆致はとても平易で入門者にとっても親切だ。
第五章以降の現在につながる暗号システムの根幹に迫る部分では、推理小説などでもお馴染みの「換字暗号」の仕組みが豊富な図表を用いてレクチャーされる。コナン・ドイルの有名な暗号小説『踊る人形』に登場する26態の人形の絵文字や、秘密結社フリーメーソンの議事録に使用された特殊記号なども登場。その筋のマニア垂涎(すいぜん)のネタも満載だ。
フリーメーソンの換字表の一例(上)と換字文(下)
とくに「多数換字表」の解説が鮮やかである。アルファベットを縦26字×横26字の方陣に並べ、「原字」と「鍵語」と「暗字」を対応させて、暗号の組立て・翻訳する換字表。碁盤の目に並ぶ文字の羅列が最終的に「c(原字)+γ(鍵文字)=χ(暗字)」というシンプルな方程式に見事に着地する。数式が苦手な読者にとってもじつに感動的な解説だ。
先にフランスの外交官・ヴィジュネルの言葉を引いたが、彼こそは17世紀に「多数式換字表」を紹介した人物だ。その換字表は彼の名前を付してヴィジュネル型と呼ばれる。その三百年後の第二次世界大戦中の軍事暗号においても、「鍵語」が「乱数」という無作為の数字に、暗号の組立て・翻訳の実行装置が暗号機に代わっただけで、基本的な仕組みは踏襲されていたと知って驚いた。
ならば時代をさらに下って、「暗号」を巡る状況はどう変わったのか。本書底本の刊行は46年前の1971年だ。その問いに答える回答はなさそうに思える。しかし本書終盤で著者はいう。「今日、われわれは科学技術の飛躍的な進歩と情報の氾濫に目を奪われて、ものの本質を見失いがちである」。コンピュータとネットが進化を遂げ、ID・パスワード認証は日常化し、暗号がスマホのなかでやり取りされる情報氾濫時代の私たち読者へ向けて警告しているかのようだ。「暗号」の本質に迫る回答は本書にこそ隠されている。
最後に付け加えておくと、学術文庫に辻井重男『暗号 情報セキュリティの技術と歴史』という本もある。ネットセキュリティを確保するために開発された現代暗号の仕組みが解説されている。数学におぼえのある方には、おすすめしたい。
レビュアー
出版社勤務ののち、現在フリー編集者。学生時代に古書店でアルバイトして以来、本屋めぐりがやめられない。夢は本屋のおやじさん。