登場人物の設定をどう活かすかで、著者の個性や力量を推察することは可能だと思います。たとえば卵を使った料理にも様々なものがあり、目玉焼きにするのかスクランブルエッグか、それとも卵かけご飯で食べるのかで味は違ってくる。小説もそれと同じです。同じ素材でも描き方によって、まるきり違う作品になる。
本書の主人公である老人の人物設定は、作者が違えば、とてもシリアスな内容の小説に仕上がっていたかもしれません。いやむしろ、えてしてそういう描写になるところを、本書の著者である大山淳子(おおやま・じゅんこ)さんは、終始コミカルに描ききっている。僕はそこに好感を持ちました。
下手な作者がその設定をコメディタッチで描いたら、差別的であるとか侮蔑的であるなどの批判をおそらくは免れえなかった。でも本書に限っては、決してそうは思わせない。そこが大山さんの作家としての上手さであり、にくいところです。
主人公のご隠居の名前は、二宮光二郎(にのみや・こうじろう)。75歳の元理科教師で、「分解」が趣味。寡黙で、集団行動が苦手です。有り体に言ってしまえば、科学オタクのおじいちゃん。息子夫婦と孫ふたりの5人家族で、最愛の連れ合いは20年ほど前に亡くしている。
その光二郎が何を分解するのかというと、たとえばパソコンだったりエアコンだったりを「バラバラに解体して、掃除をして元に戻す」。かつてはその趣味で壊れた家電製品を直したりして、息子の嫁の雪絵(ゆきえ)から感謝されたものでした。
ところが最近は、精密機械に挑戦して壊してしまうなど、叱られることが増えた。そして、とうとう息子の嫁から屈辱的なことを言われた挙げ句に、光二郎は家を出ます。
最近の光二郎の不調は、年齢によるものか記憶力の低下が原因らしい。「従来の知識は問題ないが、新しい情報が定着しにくい」と、光二郎本人にも自覚がある。ちょっと物忘れが酷いという次元ではなく、もっと深刻な状況のようです。
家出した光二郎は、アブラゼミの鳴き声を聞きながら、公園のベンチでアイスをなめていたはずでした。自分と同い年くらいの男性が、電動芝刈り機で草を刈る姿をぼんやりと眺めていたはずだった……。ところがそのまま意識が薄れてゆき、はっと目が醒めたときには、芝を刈っていた男性が血まみれになって担架で運ばれてゆく光景が、視界に飛び込んできた。警察官たちが“現場”を囲んでいます。どうやら、たんなる事故ではないらしい。しかも不思議なことに、光二郎は血のついたカマを自分の手に持っている。
被害者は意識不明の重体です。光二郎は記憶が飛んでいて、他に目撃者はなし。もっとも、被害者を刺した凶器は、光二郎が持っていたカマではなかった。カマは犯人が凶器に偽装した可能性があるため、逮捕は免れました。ただし、完全に光二郎の無実が証明されたわけでもない。
光二郎は、孫で浪人生の二宮かけると一緒に、事件の真相解明に乗り出します。それが本書のあらすじであり、『光二郎分解日記』のミステリとしての構成は、光二郎をはめた真犯人を捜し出すというもので、とてもシンプル。大技トリックが使われたり、緻密な論理で真犯人を絞り込んでいくタイプのミステリではありません。本書の魅力はそこではなく(いや、推理小説としても充分楽しめるのですが)、個性的な登場人物たちの描写こそが面白さの源泉です。
光二郎のみならず、孫のかけるにも小さくはない悩みがある。二浪で先が見えず、才色兼備な双子の妹とは大違いの不甲斐ない人生を漫然と過ごす日々。他の登場人物たちにも、それぞれ悩ましいバックグラウンドが存在します。
しかし著者の大山さんは、そこをあえて軽妙なタッチで描ききった。そうすることで誰しもが肩の力を抜いて楽しめるエンタメ小説にしたばかりか、人間賛歌の物語にもなっている。おそらくは本書を読了した大半の読者が、光二郎やかけるのことを好きになるでしょう。
いろんな人たちが、いろんな悩みの中で生きている。そうやって、それぞれが胸の内に抱え込んだ悩みは、そう簡単に解消できるものじゃない。でもね、それでも前向きに生きることはできるんだよ。なんだか、そう言ってくれているような優しい小説でした。『光二郎分解日記 相棒は浪人生』、おすすめです。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。