本城雅人(ほんじょう・まさと)さんの長編小説。スポーツサスペンスの力作です。
日本サッカー協会の技術委員長・望月充は、会長の波佐間から新監督選びの命を受け、ヴィクトル・ピネイラというアルゼンチン人の名将に候補を一本化します。このときピネイラにはセリエAの強豪、ASローマからもオファーが届いていました。しかし、ローマの提示した条件は「ピネイラの希望する最低ライン」よりも低い。それを知った望月は休暇中のピネイラを訪ね、話し合いを持ち、日本代表監督就任の確かな手応えを得ます。
ところが交渉直後のナポリ港で、スポーツ新聞の記者・平川健一と偶然(?)にも出くわしてしまい、事態は急転。ピネイラ就任を一面で報道された結果、彼の代理人から電話。日本の報道を知ったローマが条件を見直してきたので交渉はなかったことにしてくれと言われてしまいます。望月は辞表を提出して協会から去ることで、自ら招いた失態の責任を取りました。
これら冒頭のシークエンスは、サッカーの試合にたとえるなら電光石火の先制点といったところでしょうか。得点を決めたチームの特徴がはっきりとわかるゴールシーンです。スポーツサスペンスとしての魅力と本書の内容が要約された示唆的なオープニング。代表監督選びの難しさやスクープを虎視眈々と狙うマスコミとの駆け引き、監督就任の成功を祈る者がいれば、勘の鋭い方は、交渉の失敗を願う者の存在すらも嗅ぎ取ることができるかもしれません。
そのピネイラとの交渉失敗から3年が経ち、J3の藤沢朝日SCのGM(ゼネラルマネージャー)を務める望月のもとを、サッカー協会会長の波佐間が訪ねてきます。日本代表はいま、次のワールドカップ出場をかけたアジア最終予選の真っ只中。オーストラリアとサウジアラビアに勝ち点で並ばれ、得失点差でかろうじて首位に立っている。残り2試合に敗れたらプレーオフに回らなくてはならないという逼迫した状況下にあって、波佐間は現代表監督ミゲル・イバネスを替える決断を極秘裏に下していました。ミゲル自身にもいろいろと不満があり、契約解除の申し出をあっさりと了承。波佐間は、「技術委員の特別顧問」という職を用意してまで、望月に代表監督を探すように命じます。次の代表戦とその準備期間も入れると、猶予はわずか25日間。その短期間のうちに新監督を連れてこい、という無茶ぶりでした。
望月は会長の考えに驚き、依頼を断ろうとしますが、3年前のリベンジを果たしたいという思いも胸に秘めている。
──あの時、誰かが裏切った。だから交渉が漏れたのだ。自分を貶めた連中を炙り出し、必ずこの借りを返したい──
そうしてふたたび代表監督選びを一任されることになった望月は、さっそく欧州へと飛び立ち、アジア予選を無事突破するだけでなく、ワールドカップ本戦で日本代表を躍進させてくれそうな新監督候補たちと交渉を重ねてゆく。むろん、一筋縄ではいきません。急な監督交代を決断し、可及的速やかにその替わりを探せという波佐間から望月への要請が無茶ぶりなら、サッカーの世界では先進国とは言いがたい日本をワールドカップで躍進させろという望月から新監督への要求も無茶ぶりです。とんでもなく難しい試合を挑まされている望月ですが、それらに加えて3年前と同じく、スクープを狙うマスコミの存在と、交渉成功を快く思わない者たちによる不穏な影がちらつき、新監督選びをさらに困難なものにする。
望月の行方を探る記者たちの中には、因縁の相手、平川もいますが、彼らメディア関係者だけが敵ではないのです。望月がにらんだとおり“身内”のサッカー協会に裏切り者がいる。会長の波佐間に隠然と反発する者たちとのパワーゲーム。新監督就任を巡って浮き彫りになる人間関係の怪と、私利私欲、私怨まで含めたそれぞれの思惑が複雑に、あるいは愚直に交錯するところが、本書最大の読みどころでしょう。望月は密かに忍び寄る妨害工作をはねのけて、無事、新監督を選び出すことができるのでしょうか。それとも3年前の無様な失敗を繰り返すことになるのか。
読了後、日本代表の監督選びという題材をサスペンスの佳品に仕上げた著者の技量に、まずは素直に感嘆させられました。またサッカーが好きな方は、作中に登場する監督や選手たちのモデルが誰なのか、ひとりひとり頭がよぎって、おもわずニヤリとしてしまうかもしれません。物語に合わせてかなり脚色されている人物もいますが、ベースになっている監督や選手が存在するのは間違いないと思われます。たとえば、僕個人の推測ですが、このレビューの最初の方にも名前が出てくるピネイラのモデルは、世界屈指の戦術家として有名なアルゼンチンのマルセロ・ビエルサだと踏んでいるのですが、どうでしょう。そんなふうに想像するだけでも楽しい小説でした。
じきに現実の世界でも、日本のワールドカップ出場をかけたアジア最終予選が再開されます。そちらの方では急な監督交代のトラブルなどはもちろん御免ですし、つつがなく本戦出場を決めてもらいたいものですが、それに先駆けて本書で代表監督選びの暗闘を楽しむのもまた一興でしょう。『誉れ高き勇敢なブルーよ』。おすすめの1冊です。
レビュアー
1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。