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2017.03.31

レビュー

「法的思考」で世界の見方が変わる! 日本一敷居の低い法学入門をどうぞ

異論が続出しているいわゆる共謀罪のゆくえ、また成立したとはいえ多くの異論を封ずるかのように、強行採決で成立した安保法制、年金制度改革法、TPP関連法(実質無効な法?)、カジノ法などが矢継ぎに成立しました。こうして成立した法はどのような影響を私たちに与えるのでしょうか。さらに、そもそも法とはどのようなものなのか、私たちに法はどのように影響を与えてくるのかなどの疑問に答えてくれる良書がこの本です。小説仕立てで解説したこの本は、取っつきにくいと思われがちな法の世界・論理を、「高度な内容をわかりやすく」を信条としている憲法学者・木村草太さんが見事に解き明かしてくれたものです。

さて、法は私法と公法に分けられます。
・私法:一般人同士の関係を規律する法。民法、商法等。
・公法:国や地方公共団体の内部組織や、国・地方公共団体と私人との関係を規律する法。
そして国家と個人の関係に適用される公法には3つの根本原理があります。
第1原理:公権力は国家により独占される。
第2原理:個人は、公権力により禁止されない限り、何をしても自由。
第3原理:国家が公権力を行使する場合には、法律の根拠が必要である。
というものです。

改憲論議が起きている日本国憲法を考えてみます。
──公権力を独占する団体である国家と個人との関係を規律するのが公法ですね。日本の公法の一般原理を定めているのが『日本国憲法』です。──
決して忘れてはならない憲法の基本原則があります。
憲法の基本原則:『国民が国家から自由であること』が原則になります。そして、『国家が権力を行使する場合には、国民の自由の制限が必要最小限になるように、法律という厳格なルールに則(のっと)って行使しなければならない』というのが憲法の定めるルールですね。国民は最大限自由に、国家は最大限慎重に、ということですね。

最近また憲法改正という発言が目立ってきましたが、この基本原則ということを押さえているかどうかが重要です。軽視(誤解)されていては憲法そのものの存立が危ういものになります。
──憲法公布から60年以上の歳月が経ちました。その間、わが国を取り巻く国際環境は大きく変化し、いま時代に即した憲法が求められています。自主的な憲法改正に取り組む自民党の活動をご紹介します。──(自民党HPの案内より)
この「国際環境の変化」が憲法の「基本原則」の変更をせまっているのでしょうか。

それ以前に憲法の「基本原則」の無理解があります。
「国民の生活が大事なんて政治は間違っていると思います」
「そもそも国民に主権があることがおかしい」
すでによく知られている自民党議員の発言です(前者は稲田氏、後者は西田氏)。どう考えても『日本国憲法』だけでなく、およそ民主国家の基本原則に真っ向から反しています。

「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です」
という発言もありましたが、これは義務と権利の理念のはき違えでしかありません。あえていうのならば“国家は基本的人権を守る義務がある”というべきなのでしょう。私法の債権・債務と公法の権利・義務はまったく異なるものです。ですから通常いわれる“権利は義務をともなう”というのは誤用(曲解)です。

『国家が権力を行使する場合には、国民の自由の制限が必要最小限になるように、法律という厳格なルールに則(のっと)って行使しなければならない』という基本原則から逸脱した方向に改憲論議が進む危険はまだ去っていません。

自民党改正案の第24条にこのような条文があります。
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と。
「ならない」という文言はどういうことを意味(志向)しているのでしょうか。「てはいけない」と「てはならない」を比較した記事が見つかりました。(『goo辞書』より)

【1】「てはいけない」は、相手に向かってその行為を禁止するような場面で多く使われる。有無を言わせずに禁ずるというときだけでなく、その行為は好ましくない、といった態度で相手の行為を認めようとしない場合にも使える。ただ、自分より目上の人に対しては、この表現を使わずに依頼(「…ないでください」など)や提案(「…ないほうがいい」など)の形を使うことが多い。

【2】「てはならない」も、ある動作や行為を禁ずる表現だが、義務感や責任感から当然禁ずるべきだと思われる事柄の場合に使われる。「てはいけない」は、ある個人のある行為をその場面で取り上げて禁止することが多いのに対し、「てはならない」は、一般論として許されない行為やあるまじき行為を並べ上げるといった客観的な表現で、法律の条文などに多く見られる。たとえば、「来てはならないところに来てしまった」というと、規則などで禁じられているような意味合いが感じられるが、「来てはいけないところに来てしまった」というと、他の人は来てもかまわないかもしれないが自分にとってはよくないという個人的な禁止意識が強く感じられる。

「てはならない」はより絶対的な強制力や拘束力のある表現です。権力の強制力を明らかにした表現です。ですからこの24条は木村さんが述べた「憲法の基本原則」に抵触しているように思えます。倫理・道徳というものを国が強制していることになるからです。パン屋・和菓子屋騒動がそのあらわれでなければいいのですが。

注意しなければいけないのは法には「解釈」というものが必ず生じるということです(解釈改憲はその悪しき例です)。どのような場合に法解釈が生じるのでしょうか。
1.法律の文章が比較的抽象的で、それについていろいろな意味を付与できる場合。
2.条文を見ると答えは明確だが、その答えがどーもおかしいと感じられる場合。
──法解釈というのは、法源から法規範を導く作業。そのままでは意味が分からないと法文を、別の言葉に置き換えて明確に理解できるようにする作業。──
この24条は上記の2条件のどちらにでもあてはまります。つまり必ず「法解釈」が生じるのです。

では法解釈はどのようなものであるべきなのでしょうか。
1.理論性:内部に矛盾するところがなく(一貫性)、指示する内容が明確(明確性)であること。
2.射程の適切性:その解釈を適用して得られる帰結が適切であること。
3.言語的自然さ:日本語の理解として無理のないこと。
4.整合性:他の法律・判例・通説と整合的であること。

最も忘れ去られやすいのは3の「言語的自然さ」です。永田町の論理を振りかざす政治家、霞が関文学を駆使する官僚、法律用語を権威的に振り回す者(法匪)の道具とされかねない法を取り戻すためにはこの「自然さ」が不可欠です。私たちの前に「共謀罪(テロ等準備罪)」「家庭教育支援法案」「長時間労働是正案」「水道法改正」と「種子法廃止」「給付型奨学金の法案」等の重要法案が控えています。もしもそれらが成立した場合、どのような解釈(運用)のもとに法権力が行使されるのかを想定する必要があります。少なくとも時の行政府の解釈で恣意的に左右される解釈(運用)が入り込む可能性を持つような条文であってはなりません。

抽象的に思える法が私たちにどのような形で影響をあたえるのか、そのことを知るにはうってつけの1冊です。法の法的三段論法・論理を知るにも、また法の論理性が持つ普遍性を教えてくれるものです。
──法というのは、要件(~をした人には)と効果(~すべきだ)のセットを示した規範のこと。──
このことを忘れずに、今どのような法が、なんの(誰の)ために作られようとしているのか。そしてその結果(効果)はなにをもたらすのかを考える訓練としても役に立つ1冊です。

キヨミズ准教授の法学入門

著 : 木村 草太
イラスト : 石黒 正数

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レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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