きわめて多作だった福沢諭吉ですがどの著作を重要視するかで福沢はその相貌を変えてくるようです。『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』「通俗民権論」「国会論」「通俗国権論」「脱亜論」「丁丑公論」「痩我慢の説」『福翁自伝』さらには「福沢全集緒言」など、これらは福沢の著作のごく一部ですが、著作名を挙げるだけでも福沢の思考の多面性がうかがえるようです。
「福沢については、昔からいろいろなレッテルが貼られています。相矛盾するレッテルが、さんざ貼られてきたわけです。また、実際、福沢のものをお読みになったらわかりますけれども、表面的に取れば相矛盾したようなことを言っておりますので、それを統一的に把握するということは非常に困難です」(丸山眞男「福沢諭吉の人と思想」)
福沢にはどのような「レッテル」が貼られていたのでしょうか。思いつくままあげてみると、啓蒙思想家、自由主義者、民権論者、国権論者、絶対主義思想家、帝国主義者、プラグマチスト、近代主義者、そして教育者などでしょうか。
こうして並べると明治日本の変貌にあわせるように、福沢はその時々で時流・世情に応じて姿を変えてきているように思うかもしれません。しかし決してそうではありません。時の権力や世相に寄り添い、あるいはおもねるような思想家・教育者・ジャーナリストではありませんでした。この本で記されているように伊藤博文等の明治政府に対抗した姿勢からもハッキリと見てとれます。その姿勢はいまのジャーナリズム、ジャーナリストや評論家などに見習ってほしいところです。
──本書を著すことでもう一度福沢先生に息を吹き込み、(著者を含めた)今の日本人に向かって「馬鹿野郎!」と叱ってもらいたい。それが本書を書き始めた動機である。──
福沢の多面的な思想を無意味な“レッテル貼り”ではなく捉えるには、生活史を追うのがいいと思います。この本は実に的確に福沢の生涯を追い、彼が追い求めたものをとらえかえしています。この本を横に置いて福沢の著作を読めば、膨大な著作に埋もれて、福沢の精神(生き方)を見失ったりすることはありません。
いうまでもなく、福沢はなによりも教育者でした。
──国を支えるのは人であり、その人は教育が作り出す。人を教えることに誇りを持ち、教鞭を執る人々に敬意を持たなければならない。この場合の「教師」は学校の教師に限らない。「生徒」もまた子供とは限らない。社会の至るところで「教育」は必要とされている。(略)福沢諭吉は我々に、教育の本質が「愛」であることを教えてくれている。──
この福沢の「愛」という精神は時の政府・制度を超えて存在するものです。ここを見失うと福沢を誤解することになります。有名な上野戦争(彰義隊と新政府軍の戦争)の音を遠くに聞きながら、生徒へ講義を続けていたというエピソードはそれを象徴しています。
福沢が主張した「一身の独立なくして一国の独立なし」(『学問のすゝめ』)にふれて北さんはこう記しています。
──彼はこれほど国家に貢献しながら、国家に依存することを潔(いさぎよ)しとしなかった。(略)彼は、「民」であること、「私立」であることに、誇りを持ち続けた。──
この「国家への貢献」とは既存の明治政府を肯定したということではありません。福沢は“望ましい・ありうべき国家像”を求めて活動したのです。そして“望ましい・ありうべき国家像”に不可欠の人間とはなにかを求めて教育の現場に立ったのです。
なにより「この人民ありてこの政府あり」(『学問のすゝめ』)と断じた福沢にとって、民衆の涵養こそが第一義でした。福沢にとって民衆の生が国家(政府)の存在より大きいものであることは自明でした。幕府の崩壊、新政府の成立、新政府成立に寄与した士族層の解体、新たな支配層、富裕層の出現を目の当たりにしてきたのですから。
「門閥制度は親の敵」とまでいった福沢が見た新政府はどのようなものだったのでしょう。それは門閥を倒したかわりに薩長の藩閥を生み出したのに過ぎません。支配層が交代しただけです。門閥を嫌悪・批判した福沢がそのような藩閥体制を認めるはずはありません。根底にある体制・権力(者)への批判が「丁丑公論」「痩我慢の説」を書かせたのです。
ここで重要なのは「教育の本質が愛」という北さんの指摘です。これはもともとは東宮(今上天皇)の教育係を務めた小泉信三がその姉との会話で福沢について触れた時に語られたものだそうです。
福沢の教育愛とはどのようなものなのか。「半学半教」がこの教育愛を実践する姿をあらわしています。「半学半教」とは教える側、学ぶ側は一方的なものではなく、お互いに教えあい学びあうということです。そうでなければ“教える”ということは抑圧的な(権力的な)ことになります。啓蒙が時に権威・権力的になることはしばしば見られます。福沢は自身の体験から教育の中に潜む権力性を見抜いていました。そこから生まれた「半学半教」だったのです。
教育問題はいまでも多くの課題を残しています。所得格差が教育格差を生み、さらに学歴格差、所得格差へと続く悪循環。教育自体が権力的なものを生み出しています。福沢の時代には社会的不平等を解決するものとして教育がありました。けれども今では教育は社会的不平等を固定化あるいは拡大化するものとなっています。福沢がこの実情を見たらなにを思うでしょうか。「一身独立」はどこへいったのでしょうか。親学に代表されるような道徳・倫理教育へも福沢は容赦ない批判をするように思います。儒学者が幕藩体制(門閥)を支え、明治啓蒙家が藩閥(選民)政府を支えたように、教育という名の体制擁護がそこにはうかがえるからです。
明治政府に阻害されながらも独立自尊を貫き、曲学阿世とは最も遠い人物がこの本に描かれています。明治政府のいかがわしさを最初に指摘した福沢が、現在の日本が行おうとしている明治賛美、あるいは明治150年記念事業を知ったらどう思うでしょうか。「馬鹿野郎!」と一喝する声が聞こえてきます。そして福沢が記した「この人民ありてこの政府あり」という言葉の重みをあらためて噛みしめる必要がありそうです。
福沢の総体を追求したこの本は、優れた評伝がしばしば優れた入門書・ガイドブックとなるという、その素晴らしい実例だと思います。必読です。
ところで福沢に現在を予見していたような1文があります。
「西洋文明国の事情を一見すれば人生の自由を貴び、其同等同権を重んじ、文物燦然として誠に文明の名に違はざるが如くなれども、其自由発達の極は貧富の不平均を生じて之を制するの手段なく、貧者はますます貧に陥り、富者はいよいよ富を積み、名こそ都(すべ)て自由の民なれ、其実は政治専制時代の治者と被治者との関係に異ならず」
自由発達の行方が貧富の格差を生み、自由とは名ばかりで専制(独裁)政治を生む……今の私たちの世界そのもののように思えます。こういう認識こそが今に通じる福沢の凄みというものだと思います。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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