2017年NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎を追った特異な評伝です。
──直虎ほど「大河ドラマ」のヒロインにふさわしい女性はいないと確信している。それは今川氏、徳川氏、武田氏という巨大勢力の狭間に立って、名門の血筋を絶やさないように手腕をふるったその功績もさることながら、彼女が一人で抱え込むことになった「宿命」によるところが大きい。(略)それは、戦国期(十六世紀)という転換期(歴史の岐路)を生きた一人の女性としての「宿命」である。──
彼女はなにを「宿命」として引き受けたのか、それが夏目さんがこの本で追求したものです。
井伊谷周辺を中世から治めていた井伊氏の出自を追い、夏目さんはなにより井伊氏が「山の民」であることに着目します。ではこの「山の民」とはどのような人びとなのでしょうか。
・狩猟、採集を主たる生計とする。
・稲作ではなく畠作を中心とする。
・定住ではなく遍歴を中心とする生活をする。
定住ではない「山の民」は「資料を残さない傾向」にあります。これが直虎について資料が少ない一因ともなっているのです。
この「山の民」は時代とともに戦乱・支配をくぐり抜ける中であるものは追いやられ、またあるものは「都市民」「平地の民」へと変貌をとげていきます。直虎は「山の民」としての井伊氏の最後の「山の民」と呼べるような存在でした。ちなみに井伊氏が、時に敵対して、時に親和的に接しなければならなかった、武田氏、今川氏、徳川氏などは「都市民」「平地の民」だったのです。(夏目さんは直虎の養嗣子・直政までは井伊氏にこの「山の民」の痕跡・名残があったと記しています)
彼女が井伊家の当主となれた大きな要因は井伊氏が「山の民」であったということでした。井伊氏の当主であった父・直盛が桶狭間の戦いで戦死、その後を継いだ直親の非業の死を受けて直虎は井伊家の当主となります。もっともそれ以前に彼女は出家しており、次郎法師と名乗っていました。ですから還俗して当主として迎えられたのです。
いくつかの偶然(不運)があったとはいえ、女性が当主になることは極めて珍しいことです。なぜそれが可能だったのでしょうか。それは「山の民」の社会の特徴の一つとしてあげられるものの中に「女性中心の社会、『母系制』に近い社会の存在」があったからです。
──「山の民」であることと、女性中心社会であることとのあいだには、論理として有機的な連関があろう。おそらくそこには、豊穣の女神(地母神)としての位置づけや女性の職人(内職)としての実質的な活動など、さまざまな社会的要因があった。──
「山の民」は長く「女性を神聖な宗教的存在」と考えていました。それが背景にあったことが、直虎を井伊家の当主として認めやすくさせたのです。「女性中心社会の残影」が間違いなく残っていたのです。
この「山の民」という井伊氏の特性は女性当主を生むことを可能にしましたが、他方では「都市民」である今川氏との間に多くの軋轢を生むことになりました。夏目さんによると、それは「都市民=文明社会」による「山の民=自然=未開社会」への浸透・侵食をあらわしているのです。
──ここからは完全な私見であるが、今川氏は、「近世」へ向けた権力であったろう。──
「近世」による「中世」なるものの侵食です。まさしく井伊直虎(井伊氏)は「中世」を象徴していた存在だったのです。直虎は中世から近世へと社会が変貌する歴史の転換期に生きていたのです。
今川氏との軋轢ではさらにひとつ井伊氏(直虎)の特徴が読み取れます。井伊氏が「悪党」であったのではないかというものです。
──井伊氏は、都の最先端の文化を積極的に摂取し、「小京都」の建設を実現していた戦国大名今川氏からすれば、明らかに異端的な存在であった。すなわち、今川氏からみれば、「悪党」そのものであった。(略)井伊氏が支配している「山の民」たちは、「都市民」たちからすれば「悪党」そのものであった。──
悪党では鎌倉末期、南北朝時代での楠木正成がよく知られていますが、井伊氏もその「悪党」とよばれる性格を持っていたのです。幕府や荘園領主に反抗する徒である悪党は山の民でもあることが多かったのです。
そしてこれらのすべてを負うものとして直虎が存在しました。歴史的、文明的に極めて特異な位置を占めていたのです。
──彼女の持つ「悪党」としての側面や、女性領主であること、「山の民」としての素性、それらすべての、私たちが「中世」と呼んできたところの特質が、江戸時代を生きる人びとにとっては時代遅れだと感じられたからであろう。だからこそ、井伊直政を養育し、井伊「家」を守った女性と評価する井伊直虎像が形成されたのである。──
夏目さんが追求し、描き出した“実像”とは大きく異なった意味を持たされて(変形されて?)直虎の事跡は伝承(家伝)として語り継がれたのでしょうか。
「江戸幕府という統一権力が整備」され、「中世の実態・可能性」は失われていきました。
──そうした変化のなかで、かつて自然のなかで威を振るっていた「山の民」の居場所も奪われていくことになる。直虎が井伊氏の惣領ととなったのは、まさにそういう時代の転換期、すなわち中世から近世への過渡期であり、「歴史の分岐路」であった。──
直虎は黄昏ゆく「中世」の象徴だったのです。
では「時代の変化から取り残された多くの人びとの象徴だった」直虎はなにを私たちに教えてくれているのでしょうか。
──今、日本は、社会・政治・経済のあらゆる側面で、大きな構造転換の時期にある。そうしたなか、大きな力に挟まれながらもまっとうに生きた、変わりゆく時代に取り残されながらも自らの役割を淡々と演じつづけた彼女の生涯は、やはり、私たちに何かを伝えてくれる。──
「農耕=定住=都市=近代」そして「成長」に取り憑かれた現代の文明が行き詰まり感じさせてくる現在、語られることの少なかった「狩猟・採取=移動=山=中世」そして「定常的」だった直虎の時代の探究は私たちに今までと違った意味の中世を教え、新しい知恵を生み出すもとになるでしょう。直虎の(時代の)可能性は、つきることがありません。それを訊ねた人の数だけあるのです。とても刺激になる1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。
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