プレゼントのお申し込みは記事の最後に!
悪徳探偵を相手に暗躍する「対探偵課」探偵――紗崎玲奈のハードな戦いを描いた〈探偵の探偵〉シリーズが、驚異的な鑑定眼を持つ〝万能鑑定士Q〟こと凛田莉子と共演した『探偵の鑑定』2部作で完結。さらに『万能鑑定士Qの最終巻 ムンクの〈叫び〉』で凛田莉子の物語にも幕が下ろされ、「人の死なないミステリ」のバトンは、文部科学省一般職のヒラ事務官で「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」に所属する水鏡瑞希へと継承された。いわば、この〈水鏡推理〉シリーズが、松岡圭祐作品の新たな大看板の座に就いたということになる。
本作『水鏡推理Ⅳ アノマリー』は、シリーズの第4弾であるとともに、メインシリーズとなって初めて刊行される記念碑的な作品でもあるのだ。
前作『水鏡推理Ⅲ パレイドリア・フェイス』で、瑞希は、大地震によって栃木県の山中に突如出現したひとの顔のごとき隆起――人面塚と、地球のN極とS極が逆転する「地磁気逆転」について従来の定説を覆す新たな証拠が発見される〝地球規模〟クラスの謎に、若手官僚の廣瀬とともに立ち向かった。まるで「人の死なないミステリ」で描ける最大スケールを試すかのような、シリーズ屈指の読み応えをもたらす内容には唸るばかりであったが、同時に、この大作のつぎにどのような物語が準備されているのか、まったく想像がつかなくなってしまった。より大規模な事件へと加速するのか、それともスケールアップに捉われない新展開が待っているのか。とはいえ、シリーズがスタートした段階から個人的に抱いていた予想が、ひとつあった。それは、主人公が文科省に所属しているとなれば、いずれ教育や児童の問題のみならず、少年少女の非行や犯罪をテーマにしたエピソードが描かれるに違いない、ということだ。
ゆえに本作のオープニングで、15歳の少女たち4人が秋の富士山5合目を登りながら、女子少年院に入ることになった各々の人生を述懐していくシーンを読んだ瞬間、「お、ついにそのときが!」と心が沸き立つような高揚を覚えた。加えて、彼女たちが山登りをしている理由が、NPO法人「非行ソリュート・ラポール・センター」が文科省や厚労省と連携して取り組んでいる、女子非行少年の更生支援を目的としたプロジェクトであることが明かされ、この難しい題材を稀代のエンタテインメント作家がどのように物語るのか、これまで以上に強く興味をかきたてられた。
しかし、読み手の予想や期待を易々と超えてみせるのが松岡作品の真骨頂だ。ここから話は予想外の方向にシフトしていく。
少女たちが富士山登頂を果たしたのち〝女子少年登山プロジェクト〟は、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムなどに公式アカウントを開設。4人のルックスが優れていることもあり、たちまち世間の注目を集めて多くのフォロワーを獲得していく。ところが、注目を集めるほどプロジェクトの是非を問う議論が巻き起こり、ついには国会での審議にまで発展してしまう。
こうした動きのなかで、あることが判明する。それは、少女たちが両神山へ登る際、結果的に天候は回復したものの、曇天にもかかわらず登山を強行する決め手となった天気予報が気象庁のものではなく、いま急速にシェアを拡大しつつある民間予報会社――プレシアンス社が提供するものだった。
普段当たり前のように利用している天気予報だが、すべての情報提供を気象庁が司っているわけではないと理解しているひとは意外に少ないように思う。平成5年の気象業務法改正後、民間の予報や解説が可能になり、じつは様々な予報業務許可事業者が存在しているのだ。
では、そのなかでもプレシアンス社の予報だけが、なぜ多くのメディアに採用され始めたのか。理由のひとつに、気象庁を上回るかのような極めて高い的中率があった。
なにか特別な観測方法があるのか。あるいはなんらかの手段で気象庁でも得られない、たとえば在日米軍基地の高精度極秘観測データといったものを不正に入手しているのか。民間予報会社の多くが官僚たちの天下り先であり、もしも不正が行なわれているのなら、国として見過ごすわけにはいかない。そこで白羽の矢が立ったのが、われらがタスクフォースである。
今回、瑞希は、まだタスクフォースでは新顔である青年官僚――浅村琉輝に協力する形で、この疑惑を調べることになる。
馴染みのない気象データを相手に四苦八苦する瑞希に対し、嘲ることも声を荒らげることもなく、官僚らしからぬ紳士的な姿勢で根気強く説明を繰り返す浅村のナイスガイぶりには、誰もが「上司、かくあるべし」と思うことだろう。これまで以上に心強い相棒を得た瑞希だったが、この直後に思わぬ事態が発生し、物語は急転。中盤からは一分一秒を争うタイムリミット・サスペンスとなって〝女子少年登山プロジェクト〟と合流し、まさかの真相と〝霞が関下克上ミステリ〟ならではの大団円へとなだれ込む。
ここまで手の込んだ卑劣極まりない不正を計画した者どもに、正義の鉄槌が痛烈に下される展開には、大いに溜飲が下がることだろう。ここを本作の白眉とする向きも、きっと多いに違いない。しかしもうひとつ、同じくらい見逃せない箇所が後半にある。
一般的な10代が過ごすはずの日常を外れ、覚せい剤や売春を経験し、女子少年院に入ることになった少女たちに、浅村がエリートとして育てられた自分もじつは彼女たちと同様の呪縛に苦しめられてきたこと、そして彼女たちが気づけなかった〝事実〟を丁寧に説いていく場面だ。
児童虐待や育児放棄を経験した子が成長して親になると、それを繰り返してしまう可能性が高いというのは、いまではよく知られていることだ。ところが、こうした極端な例ではなく、作中では〝歪んだ情操教育〟と表現されている、親の抱える負の要素を無意識のうちに子が継承してしまう不幸、親から都合のいい強制力で支配されることでの精神的な悪影響は、なかなか見えにくいうえに子供自身も気がつきにくいという点で、より厄介で悪質な問題だ。本作のタイトルにある〝アノマリー〟とは、科学的な常識や原則から逸脱した偏差が生じる場合とともに、法則や理論と比較してもそれが説明できないことを意味する。クライマックスで瑞希が不正のからくりを暴く際に口にする用語だが、少女たちにとっては、親の支配に従うことも、理由はわからないけれどそうなるもの――と刷り込まれている点で悪しきアノマリーといえるのかもしれない。
おそらく、この11ページにわたる場面を読んで目から鱗が落ちる読者は、いま相当な数に上るのではないだろうか。少女たちと同じ10代のみならず、自身の人生を振り返ってハッとする大人たちも多いはずだ。とはいえ、子供たちに道を誤らせ、重荷を背負わせるような間違った親についてばかりが言及されているわけではない。
浅村が少女たちに向けて言葉を重ねるなかで、瑞希は実家の道草食堂で父――勇司が語った言葉を思い出し、その真意をようやく理解する。見返りを求めることもなく、なにがあろうと揺らがない親が子に注ぐ無償の愛情は、法則や理論と比較しても到底説明できるものなどではない。理由なんかどうだっていい、そういうものだ――そんな頼もしい勇司の声が、改めてタイトルを確認すると力強く聞こえてくるようだ。
そして〝戦場から帰ったばかりのよう〟と形容されるほど満身創痍で瑞希がたどり着くラストが、じつに温かで、読み手の心をやさしくすすいでくれる名シーンとなっている。これまでも瑞希の成長を感じる場面は各巻にあったが、ここでの瑞希がもっとも人間として大きくなった印象を受ける。最後の1文も、見事だ。
〈水鏡推理〉シリーズは、これからも巻を重ねるごとに、より面白さを増していくことは間違いない。それでも、本作を特別に愛着のある巻として挙げる読者が数多く現れることを確信している。
宇田川拓也(文庫解説より・ときわ書房本店)
レビュアー
『このミステリがすごい』大賞選考委員・ときわ書房本店勤務。