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2016.10.12

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【150年風俗史】明治からずっと、女子大生には「バカ」でいてほしかった!?

2018年に明治維新150周年を迎えます。福沢諭吉は「一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」(『文明論之概略』)と記しましたが、それにならってみれば近代日本はこの150年で三生も四生も経たように思います。

近代に憧れ“坂の上の雲”を追った時代、日清・日露の戦勝(後者は危ういものでしたが)を経て第一次世界大戦で大国となったのが1918年、ちょうど明治維新後50年にあたります。その後、軍国主義、帝国主義の道をひた走った30年弱、そして戦後曲がりなりに民主主義国家となって70年余、日本はどれほどの変化を経てきたのでしょうか。この100年は日本になにをもたらしたのでしょうか。

夏目漱石研究者の石原さんは「漱石の書き込んだ風俗は、当時どんな意味を持ったのだろうか」、「漱石の時代の読者は、漱石の小説をどんな風によんだのだろうか」という関心から、2千冊以上の「雑書」にあたったそうです。そこから見えるこの時代の「常識」を探ろうとしました。

ここで見出された「常識」というものは、現代ではなくなったものなのでしょうか。どうもそうは思えません。この本を読むと私たちが三生も四生も経たというのは本当なのかなと思ってしまうほどなのです。石原さんも「百年前に近代的言説の原型が形成された」と記されていますが、「原型」というよりも問題が出そろって、後はバリエーションだけなのかと思うくらいです。

こんなくだりがあります。女学生と芸伎を比べた(!?)当時の雑書にこんな“表現法”があったそうです。
──「女学生系の良人とは如何なるものぞ彼等の最も好む所のものは、元より軽妙、瀟酒の才子風ならざらんや」。一方「芸伎系」は「実に物質主義の大信者なり。拝金宗の熱心家なり、其良人たらんものは、必ず富豪ならざる可らざるなり」──

この一節で石原さんが注目したのは女性の好む男性(良人)像が今も変わらない……といったことではありません。“系”という言葉でした。

引用に続いて、
──たしか「渋谷系」というファッション用語から始まった「~系」という「新奇な言い方」が気に入らないというオジサンが少なくないが、「~系」は実は明治期からあったのである。使い方もいまとまったく同じだ。──

言葉の使い方だけではありません。もう30年も前になりますが、
──一九八三年に深夜番組の『オールナイトフジ』はじまった。「素人女子大生」が大挙して出演して、その「バカ」さ加減が話題になった。(略)一九八五年にはじまった「女子高生」を中心に番組を組んだ『夕焼けニャンニャン』が、この延長上にあることはいうまでもないだろう。(略)一九八三年は、大袈裟に言えば女子大生が「風俗」になった年だったと言っていい。──

戦後の昭和風俗をある意味象徴する「女子大生」ですが、「堕落女学生」という呼ばれ(いわれ)方で、すでに明治期に女学生は問題視されていました。石原さんは田山花袋の名作『蒲団』を中心にしながら、数多くの雑書を取り上げて「女学生」が「堕落」という視点から話題とされ「記号論的価値」を持ったことに着目します。そしてこのような雑書の記事を見つけます。

──女学生の名を聞くと、多くの人は不思議な聯想を起す。女学生=生意気な女=突飛な女=不品行な女、と云ふやうなことを思ふ、これは女学生自身の罪であるか、それとも亦他人の眼の不明より来るものであるか、何れにしても女学生自身に多少の失なしとは云へぬのである。──

「そうだろうか」と石原さんは疑問を呈します。なぜ「堕落女学生」が増えてきたといわれたのでしょうか……。
──こと男から見れば、「良妻賢母」教育は「学問」ではないのだ。つまり、高等女学校が急増したから「堕落女学生」が増えたのではなく、女性に「バカ」のままでいてほしいと思っている世間が「堕落女学生」を作りだしているわけだ。──

女学生が学問に向かうのは好ましいが、その学問は「良妻賢母」になるためのものでなければならない。「その枠組に収まりきらない女学生」は「堕落女学生」と世間から決めつけられたのです。女性の自立も解放もありません。それどころか女性は「母となりての利害得喪は直ちに日本全体の得喪となる」というように国策に従うもののみを“正しい”女性のありようだとされていたのです。でもそれも建前であったようです。
──世間は、女子大生には「バカ」でいてほしかったのだ。そういう力学が、女子大生を風俗に仕立て上げたのである。そう、今も昔も何も変わっていないのだ。──

100年前から変わっていないのは女子学生へ向けた視線(心性)だけではありません。明治期に既にあった「脳学」への関心、「進化論」への過剰な思い入れなど、100年前から変わらずにいまに至っているものは数多くあります。たとえば「進化論」は現在このようなところにうかがわれます。
──「勝ち組」だけが生き残ればよいと言わんばかりの「競争原理」の導入による「格差社会」の実現は、こうした進化論的パラダイムの一つの帰結でもあることがよくわかる。──

明治の“近代とはかくあるべし”という“上からの思い込みと指導”からまだまだ自由になっていないのかもしれません。そう考えるとこの本が「危険思想だった『自我』」という章で結ばれているのも意味が深いように思います。

「苟も家庭を思ふ人ならば、斯る自我は絶対に撲滅しなければなりませぬ」という「女性保守イデオローグのリーダー下田歌子」の言葉からうかがえることは、当時「自我」というものは「権利」を主張する危険なものだと思われていたということです。

「個人主義という言葉を何のエクスキューズもなく使えば危険思想の持ち主だと思われるような、そういう時代」であり、「儒教道徳を是とする体制派からすれば、そのこと自体がすでに許し難いことだった」のです。ではこの考えは、古い、私たちに無縁のことなのでしょうか?


そうではありません。石原さんによれば「権利には義務が伴う」とか「自由には責任が伴う」という言説の中にいまだに「自我軽視」というものが生きているのではないかと記しています。この「自我」は基本的人権に通じるものでもあります。

近代日本(政府)が、西欧近代から受け取りたくなかった最大のもののひとつが「自我」だったのではないでしょうか。この「自我」は後の民権派の思想にも通じ、さらには民主主義に繋がるものでもあります。“国権”のもとに近代日本を建設したかった明治政府にとって「自我」というものの危険性は許し難いものだったのです。

それでも「自我」は「時代の言葉」であることを止むことはありませんでした。ではこの「自我」がはらむ危険はどこへいったのでしょうか。それは大正時代になって称揚された「人格」というものへと薄められ、変質させられていったのです。

──「時代の言葉」だった「自我」が「人格」という言葉に取って代わられることによって、それまでエクスキューズのなかにだけ表れていた「国家」を教育のど真ん中に引き入れることができるようになった(略)。──

「近代的自我」への国権からの干渉が「教育」の名の下に、「人格修養」の名の下におこなわれるようになったのです。「自我」はここで一度は敗北したのです。それが復活するのは戦後でした。そして今、形を変えて「自我」が追放されそうになっているように思えます、再び国家や家族の名のもとに……。私たちが先例としてかえりみなければないことは近くにあります。いろいろなことを考えさせてくれる、風俗史としても興味深い1冊でした。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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