──私たち人間にとって大切なものはおよそ三つです。その一つは身体(ボディ)、その二は頭脳(マインド)、その三は精神(スピリッツ)です。人間にとって理想的な生活とは、結局のところ、これら三つを健全に保ち、育んでいくことにほかなりません。(略)それぞれの人がもって生まれた身体と頭脳と精神は、伸びるところまで伸ばしていかなねばなりません。そのためのお金が足りない人は、ほんとうはみんな貧乏人と呼ぶべきでしょう。──
貧困・格差問題はどのようにすれば解決できるのでしょうか。市場経済至上主義(新・自由主義)のままでは解決できないことは、もはや明らかになっています。格差問題の大きさは今回のアメリカ大統領選挙でもうかがうことができました。サンダースとトランプブームです。佐藤さんはこのブームをこう分析しています。
──左右の両極にある彼らへの支持は、経済格差の拡大、社会的流動性の低下、庶民の生活レベルの低下という、共通の土壌から生まれたものだ。上位一パーセントの所得シェアは、一九八〇年では一〇パーセントだったのが、二〇八〇年には二一パーセントに増加している。これは米国の大恐慌前の一九二〇年代と同じレベルである。さらにエリート層が世襲化している。──
構造改革や経済成長などといっても、市場原理主義のままで進んでいては格差は解消できません。それどころか拡大する一方ではないでしょうか。
所得の再分配ということがいわれていますが、この再分配を行う主体の国家に安定と信頼が寄せられるのでしょうか。グローバリズムの波はこのような国家を尻目に資本と労働力の国際移動を加速させています。国家は市場の下位に置かれているのです。問題となったタックスヘイブンも実は国家を越えようとしていることのあらわれです。
──タックスヘイブンを利用している多国籍企業や富裕層も、自らの利益を増大させるために、国家を最大限に利用している。にもかかわらず、必要な税金を払わずに「ただ乗り」している。──
資本および富裕層の優位性は揺るがないようにみえます。このままでは貧富の格差は広がるばかりです。
この問題に正面から取り組んだのが河上肇の『貧乏物語』でした。今時の(主流派)経済学者と異なり、河上の経済学は“社会問題”を解決しようと試みるものでした。数学を用いたり、市場にすべてを委ねようとするものではありません。河上にとって経済学は「理想に至る道」を探究するものでした。儒学に造詣の深い河上は倫理・道徳的な実践として経済学を考えたのです。
なぜ貧乏が生じるのか。河上はこう考えました。
──いまの経済のしくみがつづくかぎり、また、社会にひどい貧富の格差があるかぎり、そしてまた、裕福な人が、お金にまかせて、むやみに贅沢品を買っては消費するかぎり、貧乏はとうていなくなりません。──
そして目の前の貧困(貧乏)の解決策として三つのことを提唱しています。
1.裕福な人が自らすすんでいっさいの贅沢をやめる。
2.人びとの所得の格差を小さくする。
3.生産事業を政府が自らおこなう。
というものでした。奢侈の禁止、所得再分配、産業の国有化ということになります。河上はさらにこう続けています。
──たとえ勢いで制度を変えたところで、その制度を運用する人間そのもの、国家や社会を構成している個人そのものが変わらないかぎり、根本的な改革にはなりません。(略)この意味で私は、政治家の仕事よりは広い意味での教育家の仕事を、社会制度の変革よりは個人の改善を、より根本的だと考えています。──
河上の本領が発揮されている部分だと思います。ここには河上の儒教的精神(倫理観)がうかがえます。政治家・実業家はなにより君子としてふるまい、政治は覇道ではなく王道を目指し、国家は福祉国家以上に公正な共同体であるように思えます。これを理想論として見てはいけないと思います。貧困問題に誠実に向き合い、独力で解決策を模索した河上の姿があります。
この河上の解決策に「教育」が含まれていることに注目すべきです。この本の解説で佐藤さんも教育に触れてこう記しています。
──かつて教育は、階級を流動化させる要素を持っていた。いまはそれが失われ、階級の再生産装置としての要素が強まっている。経済的なことを理由に子どもに進学を断念させる。その結果、社会に出るにあたって、能力に見合っただけの収入を得られないという、貧困のサーキュレーション(循環)が生じる。教育を受ける機会を逃してしまうと、その家族から貧困が再生産されていく。──
貧富の差が学力・進学のそのまま繋がるという教育問題は「格差の毒」を広めていくことになります。その毒は河上の考える理想的生活をむしばむものでした。ちなみに河上が考えた理想的な生活とは「私たち自身の身体・頭脳・精神の健康を保ち、成長を促し、さらには他の人の身体・頭脳・精神にも良い影響を及ぼすような」ものだそうです。このように理想を語ることこそが河上を一経済学者であることを超えさせているのではないでしょうか。
格差問題、教育問題という“社会問題”に、愚直とおもえるほどに立ち向かったのが河上肇であり、その出発点になったのが『貧乏物語』でした。そしてこの本はその『貧乏物語』を甦らせたものです。そこには佐藤優さんの新たな読解があります。
格差社会日本はどうなっていくのでしょうか。たとえば、竹中平蔵氏はこんな発言をしているそうです。「あえて言いますよ。これから日本は物凄い格差社会になりますよ。今の格差は既得権益者がでっちあげた格差論で深刻な格差社会ではないんですよ。(略)物凄い介護難民が出てきて貧しい若者が増える。いよいよ本格的な格差社会になります」(フィンテックイベントでの発言より)自ら新自由主義を唱道した人とは思えない無責任ぶりです。格差もまた市場の正しさとでもいうのでしょうか。
それに対して、佐藤さんは解決策を提案します。ひとつは「所得の再分配」であり、さらには「相互扶助」というものです。それを語る佐藤さんの筆致には河上にまさるともおとらない倫理的な姿勢が感じられます。それもこの本を魅力的にしているものです。その姿勢こそが私たちに必要なものだとも考えさせるものでした。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。
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