ノーベル経済学賞受賞者クルーグマン氏と、安倍政権の有力なブレーン浜田宏一氏が現代経済の問題点を縦横に話した興味深い対談(というか、相互講義のようにも思えるもの)です。
この本でふたりの違いが最も出ているのはTPPに対しての考え方でした。
「貿易や投資の自由化は、世界全体の経済を向上させられる」とTPPに賛成する浜田氏に対して、クルーグマン氏は自ら「どっちつかずの反対者」といい、こう述べています。
──TPPは、実際には貿易に関するものではないのです。(略)提案されている協定の主眼は、薬品の特許や映画の著作権などの知的所有権を強化すること。そして企業や国がそれに関する紛争を解決する方法を変えることにあります。──
「自由貿易の利点というものは、すでにほとんどが実現されている」と分析しているクルーグマン氏にとってTPPは貿易協定ではありません。政治的意図というべきものなのです。クルーグマン氏はTPPの懸念事項に耳を傾けていないオバマ政権にこう苦言を呈しています。「現政権が率直な態度で懸念に向き合っても、TPPを正当化できない」のだ、と。
もっとも、TPP賛成という浜田氏もある懸念を抱いています。「ポール(クルーグマン)やバグワティが心配してるように、(紛争)解決のルールが、ウォール街の金融マンや弁護士だけに都合の良いものにならないよう留意しなければなりません」と。これが杞憂に終わるという保証はまだ見うけられません。(いまだにTPPの全貌が明らかになっていないのですから)
日本のもう一つの大問題、消費税増税には両者ともが大反対しています。
──もし増税をするのであれば、同時に金融緩和という援軍も必要になってきます。消費税が上がってもっとも苦しむのは誰か。低賃金、低所得、低年金生活者です。生活必需品は税を免除する、あるいはマイナンバー制を活用して生活困窮者に戻し税を支払うなど、所得分配上の配慮も必要でしょう。──(浜田氏)
クルーグマン氏はもっと容赦がありません。
──消費税を上げることは、日本経済にとって自己破壊的な政策といわざるをえません。増税以降、日本経済は勢いを失い始めたように見えます。(略)中途半端な速度で離陸しようとするほうが、むしろ危険……飛行機ならクラッシュしてしまいます。これは、日本の経済政策に関する歴史的な傾向ともいえるものです。すなわち、経済が少しうまく行くようになると、すぐに逆戻りするような愚策に転向してしまう。──
日本の経済政策の欠点を言い当てている部分です。財政再建論者がしばしば陥る過ちの指摘です。クルーグマン氏は消費者マインドを高める政策を考えるべきと提言した後にこうも語っています。「では、そのために最も効率的で、なおかつ手早い政策はなにか。それは、増税した消費税を一時的に減税することです」と。当たり前のことですが「デフレから脱却する前に増税するのは最悪です」(浜田氏)。そのような愚を犯すことは避けなければなりません。
消費増税は2年半後に先送りされました。とはいってもこのお二人のような経済政策の認識はうかがえません。選挙目当てで政権維持の思惑が見え隠れします。増税にはデフレを脱却してからでなければならないという時期を勘案した延期には思えないのですが。
このようにきわめてアクチュアルな経済(政策)論議を繰り広げるふたりの対談(講義)はヨーロッパ、そして中国の現状分析へと向かいます。いくつか興味深い論点をあげてみます。
ヨーロッパ危機では統一通貨自体に問題があったのです。「政治的統合をせずに通貨を統合するというプロジェクトの成功は、極めて疑わしいもの」(クルーグマン氏)であったにもかかわらず、「ユーロというアイディアが、あまりにも耳に心地よいものだった」ために反対の声を上げることができませんでした。政治的判断、あるいは統一ヨーロッパという観念が優先されたのです。
危機に対する対応にも問題はありました。「EUの首脳は、政府の支出減と増税は深刻な不景気をもたらす」ことを無視したのです。「緊縮財政財政のみで大きな負債に対応することは、うまくいった例(ためし)」がないのですから。ギリシャ危機に対するには「ユーロから新しい通貨への移行」を考えるべきであるとふたりとも提言しています。
中国については、浜田氏が「この国の経済には、発展がスタートした時点から、無理や矛盾があったように思えます」という厳しい指摘をしています。その上、統計数字の曖昧さが中国経済の実態を見えにくくしています。加えて、クルーグマン氏は中国と日本との相違点に触れてこう語っています。「一つは、中国が法治国家といえないこと。もう一つは、中国には社会的一体性がない」と。これは中国のバブル崩壊が日本の時よりもひどいものになりかねないものになるかもしれないと。
──習近平政権の市場機能への理解、あるいは労働者のインセンティブに対する政策は、まったくもって不十分です。短期的、中期的には、中国経済に不確実性が残り、低迷期が続くことは確かでしょう。──(浜田氏)
中国経済のハード面(製造業のインフラ等)の蓄積を評価しつつも、商習慣や法制のなどのソフト面の不備を突いてこう語っています。「一党独裁から民主制に移行しなければ、こうしたソフト面の改善は望めません」と、「資本主義や市場経済には民主主義が適合する」という根本的な批判でこの本を締めくくっています。
穏やかな対話で進められていくこの本ですが、突きつけている課題・問題は厳しく、根本的なものです。なにより政策提言者としてのふたりの魅力が横溢しているこの対話は、具体的な政策を考えるためのヒントがあふれています。私たちのこれからを過たないためにも読んでほしい1冊です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。
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