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2016.05.29

レビュー

100年も衰え続ける英国。驚異的な“粘り強さ”に、日本が学ぶこと

──世界システムには、つねに中心となる諸国と、いわば搾取の対象となる、原料・食糧などを供給する従属的な地域が必要であり、すべてが均質になることはありえない。工業化された「先進国」のコースをなぞろうとしても、すべての国が「先進国」になってしまうことは、構造上不可能である。──

この厳しい認識に立って日本を見てみると……。河北さんによれば日本も衰退期と「同様の過程に入ったかもしれない、と思われる兆候」が随所に見うけられます。この「衰退=繁栄のあと」とはどのようなものか、先達としてヘゲモニー国家だったイギリスの「衰退」の歴史的推移を語りながら日本の未来をさぐったエッセイ集がこの本です。歴史学は未来を目指すものであるという河北さんの見識があふれている1冊です。

あたりまえですが「歴史上、永遠にトップを走り続けた国」はありません。もちろん「トップでなくなった国も、いきなり低開発国に逆戻り」などということもありません。どのような国であれ、トップ(=ヘゲモニー)の座を失う時は必ずくるものですし、またその時がきたからといってトップにいた時代にくらべて大きく何かを喪失したといえるわけではありません。

──歴史の評価は何よりも、民衆の幸福感や満足度に置かれるべきものとすれば、一六世紀のヴェネツィアや一七世紀のオランダのように、従来の歴史家が最盛期と考えてきた時代が、すでに「衰退」したと言われるそれぞれの次の世紀に比べて、断然好ましい時代であったという証拠はまったくない。今日のイギリス人が、大英帝国華やかなりし一九世紀のイギリスよりひどく不幸になっているという証拠もない。──

イギリスの「衰退」がいわれはじめたのは、19世紀末だそうです。イギリスの衰退は実に100年以上(!)も続いていることになります。河北さんはこの本で、イギリスの「衰退」過程の長期化、逆にいえば「粘り強さ」というものに私たちはもっと着目すべきだと指摘しています。

この「粘り強さ」というものは、経済的繁栄(=ヘゲモニー)の“遺産”“余波”というものだけでは説明がつかないように思います。ではなにがこれを可能にしたのでしょうか。それが「ジェントルマン」というものの存在です。さらにいえば、この「ジェントルマン」がイギリス資本主義の担い手であり、イギリスに繁栄をもたらしたものでもあります。

この「ジェントルマン」の位置づけはこの本の核ともいえる部分で、「ジェントルマン」がいかに産業革命、市民革命において重要な役割を果たしたかが詳述されています。

──イギリスにおける市民革命とは、地主=ジェントルマンとせいぜい大貿易商人の連合を確立した事件にすぎないのである。貿易商人は、観念的には、ジェントルマン以上にジェントルマン的であったから、イギリス上流階級は「ジェントルマンの理想」によって塗り潰されていた。「ジェントルマン資本主義」とは、まさしくこうしたものである。──

彼らがイギリスの繁栄の上で、果たした重要な役割はどのようなものだったのでしょうか。経済的合理主義者ではなかったジェントルマンの存在があったからこそ、「自由放任をこととするような『軽い政府』の下で」も社会資本の整備が可能となったのです。一例として交通インフラ等の整備をあげています。この論述は経済と文化との関係を考える上でも蒙を啓かせるものがあります。いわく……。

──発達した資本主義にとっては、経済合理主義が当然であったとしても、資本主義は、初めから「合理的」などであったわけではない。合理的、近代的なものは、合理的な精神から生みだされるわけでもない。ホモ・エコノミクスなら、工場は造れたかもしれないが、道路は造れなかったのである。──

至言として何度も考えさせる一節です。彼ら「ジェントルマン」には経済的合理主義を超えた「文化」というものがありました。この「ジェントルマン文化」こそがイギリスの「衰退」を緩やかにしているものなのです。

──イギリスは、工業生産の面ではいかに「衰退」しても、社会や文化のレヴェル、ひいては広い意味での生活水準の点では、さして低下していないと言えるのかもしれない。──

ですから考えなければならないのは、もし日本が衰退過程に入っているとしたら、この過程を緩やかにできる「文化」を私たちが持っているかということになります。なによりも「他国に輸出できるほどの『生活文化』を確立することこそが、圧倒的に重要」なのです。それはどこかにある(どこかの国が唱導する)スタンダード文化(グローバル・スタンダード)などというものにすり寄って、その影響で作られるものではなく、自前の「輸出」できる文化である必要があります。

「今必要なのは、新しい価値観そのものであり」、それによって「地球規模でのヨーロッパ型経済発展の行き詰まりを乗り越える」ことなのです。かつての「工業生産の展開を唯一の『物差し』とする『成長』や『国富』の概念」ではないものを求め、作らねばならないのです。比喩でいえばGDPではなく GNH(国民総幸福量)を重要視するということなのかもしれません。それは少なくとも、近代ヨーロッパ起源の「物差し」であるGDPとは違った価値観を示そうとはしているのですから。

歴史に学ぶということの実践編ともいえるこの本は、国家及び経済の成長、繁栄とはなんなのかを考えさせ、そこに住む国民の幸福とはなんなのかを考えさせる叡智に満ちたエッセイ集です。産業革命論、経済的人間論としても読みごたえがあるものです。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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