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2016.08.11

インタビュー

セックス変えてみる?──偏差値78、経験8000人の男優が悟った天国!

カメラが必ずはいってくるアダルトビデオの現場より、個人的な意見を表明できるエッセイの方が、森林原人のライフワークともいえるセックスの考察はずっと深く出来たという。経験人数8000人以上のセックスの鉄人は、哲学者・故池田晶子を敬愛する思索の哲人でもあった! セックスにおけるホントの幸せとは?

著者:森林原人(もりばやし・げんじん)

もりばやし・げんじん 横浜生まれ、横浜育ち。地元では神童と呼ばれ、中学受験で麻布、栄光、筑駒、ラサールの全てに合格し、筑駒に入学。そこで本物の天才達を目の当たりにして人生初の挫折。同時に第二次性徴期を迎え、勉学に向けられていた努力は、性的なことに対する情熱に変わる。お小遣いやお年玉はエロ本に全て消え、付いたあだ名は“歩く有害図書”。当然の如く東大受験失敗。一浪した後、専修大学文学部心理学科に進学。映画『Shall we ダンス?』に感動し、社交ダンスサークルに入るも、パートナーが見つからず、鏡に向かって一人でダンス。そんな自分に嫌気がさし自暴自棄になり、性的衝動の勢いも借りてAV男優に応募。初めてのAV現場でも、滞りなく勃起→射精の流れをこなし絶賛される。20歳から37歳に至る現在までAV男優一筋。出演本数1万本。経験人数8千人。巨根なのと、セックスするとすぐに好きになっちゃう性分から“純情バズーカー”と言われている。趣味は読書で、好きな作家は池田晶子。

インタビュアー:犬上茶夢(いぬがみ・ちゃむ)

ミステリーとライトノベルをたしなむフリーライター。かつては『このライトノベルがすごい!』や『ミステリマガジン』にてライトノベル評を書いていたが、不幸にも腱鞘炎にかかってしまい、治療のため何年も断筆する羽目に。今年からはまた面白い作品を発掘・紹介していこうと思い執筆を開始した。

体験人数8000人、偏差値78。性の鉄人は、思索の鉄人!


森林原人さんと二村 ヒトシさん、二人の異才“エロ業界人”が自著を紹介!

──ご著書刊行、おめでとうございます。出版は今回が初めてとのことですが、本を出してみようとお考えになった経緯をお聞かせ願えますでしょうか。

森林:初めて文章を書く仕事をいただいたのは、AV男優をはじめて3年ほど経った頃です。当時のエロ本の中で、群を抜いて活字ページの多かった『ビデオ・ザ・ワールド』(※1)というAV情報誌で、男優日記なるものを同期の黒田悠斗くん(※2)と連載させてもらっていました。そこでは、現場であったことやプライベートの恋愛話から、イケアで家具を買った際の大変な経験などを一切の制限なく自由に書かせてもらえました。

たぶん、写真ページが少ないのでエロ本としての使用価値は低く、買う人は相当なAVマニアのみで、売れてなかったから内容はなんでもよかったんだと思います。僕たちの男優日記は10年ほど続いたのですが、雑誌自体が廃刊になり、書く仕事は途絶えました。

それからしばらくして、作家の花房観音さん(※3)から「女子SPA!というwebサイトで、人生相談のセックス版みたいなのをやってみませんか」(※4)とお声がかかり、「是非とも!」と即答で返事をしました。パンツを脱がなければお金が稼げない男優業の将来性に不安を感じていたので、なんとなく、パンツを脱がない仕事で男優経験を活かせるものがないかなと模索しているところだったからです。と同時に、自分が今までに培ったものを人に伝えたいという表現欲もわいてきていて、願ったり叶ったりでした。


それがぼちぼちの評判で、次に『指人形』(講談社文庫)という花房観音さんの小説の解説を書く機会をいただきました。解説なんて大層なものを書ける自信はなかったのですが、花房さんが「感想文でいいんですよ」とハードルを下げてくれたのでチャレンジしてみようと決心しました。内心、もし書き上げられなかったら花房さんの気のすむまでクンニでもして体で詫びればいいかぐらいに思っていました。

執筆作業はなかなか難航し、6,000字ほど書くのに3ヵ月近くもかかり、どうにかこうにか必死でまとめました。そうしたら、それを読んだ担当の方が、「森林さん一人で一冊書いてみませんか」と言ってくれたのです。

もちろん「是非とも!!」と二つ返事です。

しかし、実際に書き出してみたら、大海原に一人でポツンといるような不安に襲われました。担当の方からいただいたテーマは“セックスに関するエッセイ”というだけで、漠然としたものだったのです。

僕たち男優がインタビューで聞かれることって決まっていて、女優さんのアソコと女をイカせるテクニックです。そういった需要があるのはわかっていたのですが、『セックス幸福論』ではもうちょっと深いところに踏み込んでみたくて、手探りしながら書いていきました。

書き始めていくと、自分の経験が整理され、そこに法則や意味が見いだせてきて、「自分がセックスとどう向き合っているのか」「セックスって何なんだろう」ということを考えていきたくなってきました。

AVも表現の一つですが、オナニーさせるという目的がある商品なので、娯楽性が求められます。その分だけ制限がかかり、セックスそのものを追及するにはいくつかの条件が必要となってきます。失敗した(抜けない)セックスは商品にならないので、それを許すなら赤字覚悟で自腹を切る気がなければだめです。カメラという第三者の視点が入っている時点でセックスの持つ密室性が薄まり、見世物やパフォーマンスになってしまうので、純粋なセックスでなくなってしまう。だからカメラを排除しなければならない……そうなるともうAVでなくなっていますから、本末転倒です。

一方、エッセイというのは、世の中のある事象を取り上げ、それについて個人的な意見を述べるものです。セックスを追及するなら、AVよりも自由で好き勝手に考察できる場でした。僕は自分の恵まれたセックス経験に基づき、自分なりのセックス観をまとめたいと次第に思うようになり、このたび『セックス幸福論』を刊行しました。

なので、これだけ大層なタイトルをつけておきながらなんだか言い訳がましいようですが、本に書かれているのは僕のセックス観がこういったものであるというだけで、これが唯一の正解だとは思っていません。この本をきっかけにして、各自でオリジナルのセックス観を見つけてほしい、それを僕にも伝え、教えて欲しいと思っています。これが、出版した後の率直な思いです。

ちなみに、花房観音さんに「なんで僕に書く仕事を振ってくれたのですか」と聞いたら、「『ビデオ・ザ・ワールド』の文が面白かったから」と言っていて、誰も読んでいないと思っていたあの連載が、思わぬ形で実を結んだと感慨深いものがあります。

※1…コアマガジン社から刊行された30年近い歴史を持つAV情報誌。批評的な内容も取り扱うAV雑誌であったが、2013年6月号をもって休刊となった。
※2…マッチョ系AV男優。1999年にデビュー。
※3…小説家。2010年、「花祀り」で第1回団鬼六賞の大賞を受賞しデビュー。
※4…「AV男優・森林原人の性活相談」は女性向けのWebサイト「女子SPA!」にて連載中。

私は「男はみなセックスをしたがっている」という偏見に対して必ずしもそうではないと考えています。

──AV業界の内側の話やご自分の体験を通してセックスを語るとなると、書きづらい内容も多々あったことと推察します。出版にあたって苦労したこと、戸惑ったことなどはありますか?

森林:僕の個人的経験をどのように一般的な事象に普遍化し、読者の方に自分の立場や経験に置き換えて共感してもらえるようにするか、という点で非常に悩みました。

セックスって、基本的に個人的な行為で、客観性に欠けます。セックスをしている二人の間にも温度差があったり、抱いている感想が違ったりします。そこの間をどう埋めて乗り越えるか、と。

できる限り、僕だけの捉え方ではなく、相手方の本音も粘り強く引き出し、二人の感覚や意見、見解を並べ、それをさらに一歩引いた目で俯瞰的に眺め、本質的な部分を抽出するよう心がけました。どうしても自分かわいさが出てしまって、ご都合主義な部分があるのは否めませんが、それも含めて、読者の方が本当の意味で第三者として客観的に判断してくれればいいかと思っています。

──ご著書を拝読して、森林さんのセックス観はきわめてニュートラルなものと感じました。たとえるなら、音楽をやりながらも「楽器に触れて音を出す」という根源的な楽しさについて語れる方、というような印象を受けるのです。AV男優として17年間の経験を積むことでセックスの本質に到達したものでしょうか。

もしAV男優ではなく性風俗と関わりのない人間として生きてきたとしたら、同じようなセックス観に至る可能性はあったのでしょうか。数多くの女性とセックスした経験は他のなにか、たとえば自慰などで代替可能であった可能性は?

森林:仮定の話なのでなんとも断定しにくいのですが、男優をやってなかったら今のセックス観には辿り着かなかったと思います。セックスに関する本を読み漁ると、共感できるものから嘘ばっかりだなと思うものまで様々ですが、男優をやっていなかったら、その共感や否定の気持ちすら生まれなかったと思います。

男優をやっていることで、頭で考えたことや、人から聞いたこと、本から教わったことなどを実体験し、検証できるのです。会議室じゃなく現場で起こってんだ、じゃないですが、体感として様々なことを自分の中に残せるのはこの仕事ならではで、だから確信をもって自分の言葉で語ることが出来ると思っています。

読書によって世界は無限に広がりますが、体感するということは想像力より力強く、言葉にできないところまでも感じ取れることがあるので、代替行為はないと思います。

代々木監督(※5)がおっしゃっていましたが、「千の言葉で語るより、コーマン一発かました方が分かり合えたりするんだよな」ということだと思っています。

※5…AV監督。『セックス幸福論』でも触れられている通り、「ドキュメント・ザ・オナニー」シリーズで衝撃をもたらした。


本書で一番訴えたかった事―セックスとは孤独の克服である。

──昨今の性に関する思い込みや誤解、セックスのセオリー、「男は/女は○○であるべきだ」という風潮などに対して思うところはありますか。私は「男はみなセックスをしたがっている」という偏見に対して必ずしもそうではないと考えています。たとえば二次元のエロ絵などは欲しがり、自慰もしつつ、現実の女性に対しては嫌悪を向けるといった知人が何人かいるのです。

世間のそのような風潮と自分の感覚のズレを強く感じたことはありますか。逆に偏見だと思っていたことが意外と正解に近かった、という経験があれば教えていただきたく思います。

森林:「女の性欲」という章では、男女間における性欲の違いや年齢や経験値の変化によって性欲も変わっていくものだと書きました。一概に性欲と言っても、挿入至上主義や温もり重視型、承認欲求の手段として、など様々です。相手が変われば、一人の人の中でも使い分けられるし、男ならではとか女ならではといったようにシンプルにカテゴライズすることはできません。

そういう風に考えられるようになってから、改めて“性欲とはなんぞや”と問うと、性欲の核となっているのは“孤独の克服”ということだとわかってきました。

人は母親から産み落とされた時点から一人になります。生まれてくるのも一人、死んでいくのも一人とはよく言われますが、人はずっと孤独だということです。それをどう乗り越えようかというのが、人生のテーマだったりするのではないかとすら思ってきています。家族、特に母親との絆を深め、無償の愛を求めたり、友人や恋人に囲まれることを望んだり、社会のために何かしたいと思うようになったり、そのどれもが、人と繋がりたい、孤独を乗り越えたい、といったものに思えるのです。

性欲は生殖の欲求で、命を生むだけで十分という価値観もありますが、それも自分の血を残して血縁者を作っていくということですから、孤独の克服の一つに過ぎないと考えられます。

となると、男も女も関係なく、人はみんな孤独の克服のためにセックスや、セックスに準ずる行為をするのだという考えに至りました。世間では、セックスとは愛の証だとか、最高のコミュニケーションだといった表現がされていますが、そのどれもが間違っていないけど核心には届いていないと。いろいろと張り付いた俗説や、うわべの言葉やきれいごとをはぎ取っていった先に残るのは、“性欲とは孤独の克服”であるという本質です。

それから、いろいろな人とセックスについて語り合っていった中で、裏付けは取れませんが、なんとなくそういうことなのかなと思うことが一つありました。

「AV批判をするフェミニストは、実は人一倍セックスに興味があるのだけれど、セックスで傷ついたり、嫌な思いをしているから、セックスを楽しむ人が許せないんだ」

これをおっしゃったのはあるフェミニストの方で、フェミニストといっても様々で、なんだか複雑なんだなと思いました。

セックスとは孤独の克服だ

──「泣きマン」の章の瞬間的な全肯定感に関するくだりを読んで、ちょっと気になることがあったのでお尋ねしてみたいのですが、森林さんはAIとのセックスについてどうお考えでしょうか。

昨今ではVRやAIの発展によって人間以外のものとのセックスが現実味を帯びてきました。昨今の記事ではセックスの初体験相手がアンドロイドになってしまう可能性を指摘するものもあります。もし人間と遜色ないAIを搭載したセクサロイドとのセックスが当たり前に行われる世界になったとしたら、森林さんはセックスで幸せになれるとお考えになりますか。

この質問は想定するAIのレベル(単に適切な応答を行うだけなのか、人間と遜色ないレベルで感情が備わっているのか)等によって答えの左右されるものだと思いますが、森林さんなりの考えをお聞かせ願えれば幸いです。

森林:人間の感覚はすべて脳の中で起きていることだと脳科学者の方はおっしゃって、快感を感じるとドーパミンが出て、それが何々といった説明をしてくれます。そして、心の動きというのは脳の中で起きてることで、心や魂なんてものはないと唯物論的に考えるでしょうか。

僕はスピリチュアルなことや、オカルトチックなことはあまり信用しないのですが、世の中には理屈では説明できないことがあるんだとは思っています。


紀伊國屋書店新宿店に刊行日当日にサイン本作成のため訪問!

たびたび代々木監督の話になりますが、レズをして波長が合う、息が合うという状態になった女優さんが一組いました。彼女たちを引き離し別々の部屋に連れていき、片方の女優さんだけ男優とセックスします。すると、セックスしていない方の女優さんまでもが感じ始めるという現象がありました。もちろんお互いが何をしているとかどうなっているかなんてわかりようがないのですが、テレパシーなのかなんなのか、そういう不思議なことを目の当たりにしました。双子は離れ離れになっていても片方が怪我をして痛がると、もう片方も同じところが痛くなるといった話に近いものでした。

僕も人づてに聞いていたら「嘘だ」と信用しなかったでしょうが、実際に目の当たりにすると、どうしても嘘だとは決めつけられないのです。脳機能とかが人間に限りなく近づいたAIにも、同じようなことが起きるでしょうか。第六感とか、虫の知らせとか、そういったものまで備わるのでしょうか。そこだけは無理なんじゃないかなと、漠然とそんな気がしています。

解明できない部分が人にはあって、それが人が人を惹きつける部分であり、自分で自分をわかりきれない理由になっているんだと思います。わからないから知りたい、知った気になっていてもやっぱりわかってなくて、だからずっと知りたいと、人が人に興味を持ち、知ろうとし、つながろうとするのだと。

でも、つながって自分の中に入り、限りなく自分のものになったと思えたとしても、自分自身のことがわかりきれないのだから結局はわからなくて、知りたい気持ちが消えないまんまになります。興味を持ち、知りたい、つながりたい、取り込みたいという思いが行為化したものの最たるものがセックスなんだと思います。僕は、それを、《セックスとは孤独の克服だ》という表現で書かせてもらっています。

──ありがとうございました。

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