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2016.05.11

レビュー

ケアとは“弱さ”を聴き出すこと。自分の枠に相手をはめないこと。

これは“臨床哲学”を実践している哲学者、鷲田さんが独自の“ケア”という視点から行ったフィールドワークとでも言うべきものです。まずなにより聴くことから始める思索について書かれています。

──聴くことから始めて、絶対に出かけた言葉を先取りしない。「それはこういうことなんじゃないですか」ということを、先にできるだけ言わないで、相手に質問したりする中で、相手が言おうとしていることをまずはっきり言葉のかたちにし、そこで「一体何が問題なんでしょうね」とやるのです。問題が発生している場所というもの、そしてそこでの言葉というものを大事にし、いきなり大上段に構えた話はしない。──

鷲田さんがこの本に触れた、とあるインタビューの中で語った言葉です。ここには聴くことの難しさが語られています。相手の出かかった言葉をこちらが引きうけ“先取り”することは、聴き手の観念(思考)の中に相手をあてはめることになります。大袈裟に言えば一種の“絶対性(権力)”とでも呼ぶべきものが生まれていることになります。実は、相手の言葉に最後までつきあうということは、そんなにやさしいことではないのです。

─―医師がなにげなく漏らす言葉が、患者を傷つける。これをきつい響きだが「言葉のメス」と呼んだひともいる。そのことに医師が気づくためには、医師と患者の関係を「異文化」の接触としてとらえる視点が重要だと、佐伯さんたちは考える。住んでいる言葉の世界が違うのである。医師の説明や励ましの言葉が、患者にはひどい違和感と不安を抱かせる。─―

SP(模擬患者)コーディネーターに従事している佐伯晴子さんとの対話から出てきた言葉です。医者から患者へという一方向に言葉が絶対性を帯びて発生しているのがわかります。

“強い言葉”に対して、伝えたいことがいえない、訴えたいことができない、つい遠慮して(臆して)しまう場面はいたるところに見うけられます。

そのような“強い言葉”を排して鷲田さんが聴いた(臨床哲学した)13人の人が登場します。仕事は、お坊さん兼看護師、教師、歌人兼お坊さん兼ミュージシャン、性感マッサージ師、ダンスセラピスト、 生け花作家、ゲイバーのママや精神障害者の方々のグループホームに携わる人などです。どの人も「その人たちが日々接しておられる数多くの方々、そのひとたちはみなある意味でその存在に、深く深く〈弱さ〉を抱え込んでおられた。傷つきやすさ、脆(もろ)さ、壊れやすさを、といってもいい」人たちと関わって生きている人たちです。

彼ら、彼女たちは関わっている人たちの〈弱さ〉に対してどのようにふるまっているのでしょうか。べてるの家に関わっている人からこのような言葉を“聴き出して”います。

──病気を治すとか克服するとかいうことではなくて、人間には生きていくうえでいろんな苦労があるよね。どの苦労を選ぶ? そのセンスを重視するのです。『どんな苦労を選びたい?』と問いかけるのです。苦労を避けて通るとか回避したりするのではなくて、どっちにコロんだって人間苦労だよね、って。(略)いかに苦労をしないで済むかを追求するのではなく、当たり前の苦労との出会いを大切にする援助もそれ以上に大切である。──

ここには「支援しなければならないひととして見ることが、『病む』ひとたちの生きづらさを余計に生み」だしていることがあるのです。ですから大事なのは「生きづらさをいっしょに担うこと、いっしょに考えること」なのです。

そして、その果てに「めいわくかけて、ありがとう」という言葉が生まれてきます。この言葉は13人のうちのひとり、歌人で住職、ミュージシャンでもある福島泰樹さんのお寺にある、たこ八郎(もとボクサーで後にコメディアンとして活躍)さんを象(かたど)ったお地蔵さんの胸に刻まれた言葉です。

最終章で、この言葉をめぐる鷲田さんの思考は、読む人が“臨床”として体験してほしいものです。わかりやすい言葉の奥からケアとはなにか……、それは“ケアをする・ケアを受ける”といった一方向的なものではなく、もちろん仕事でもあり、さらには単なる慈善でもなく、なにかを分け合うものだということが浮かび上がってきます。

──ひどい「めいわく」をひとにかけられるような関係をだれかとのあいだでもちえたということに「ありがとう」……。が、そういう関係のなかではきっと、その関係のもう一方の端から、「めいわくかけてくれてありがとう」という声も生まれているはずだ。──

それが私たちが感じている孤独感、疎外感などといわれているものから抜け出せることに繋がるのではないでしょうか。「じぶんがここにいるということ、そのことをそのまま肯定できないという疼(うず)きが、年齢を問わず、ひたひたと浸透してきているのが、いまという時代なのかもしれない」。この本にはそのような“時代”と向き合うヒントがあふれています。

──厄介者として遠ざけられるのではなく、「めいわく」がまわりのひととのあいだに成り立ったことそのことに、たこは「ありがとう」と言いたかったのだろう。──

パスカルの正しさと強さについての思索を踏まえて、鷲田さんが示しているのは、人は他人とどのような関係を築いて生きていくのが正しいのか、という問いかけなのかもしれません。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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