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2016.04.27

レビュー

左遷現場からトップシェア奪還? ビール業界の伝説が語られた!

1972年から1986年の14年もの長き間に渡って「キリンラガー」を主力に60%以上ものシェアを獲得していたビール業界の巨人キリンビール。1987年3月、一時は「夕日ビール」とも揶揄されていたアサヒビールから彗星の如く現れた新商品「アサヒスーパードライ」によって、侵されるはずのないキリンビールの牙城がもろくも崩れ始めた。

長く圧倒的だったシェアに胡坐をかいていたこと、また独禁法抵触を警戒し、ビール販売の自粛をしていたことも災いしてか、破竹の勢いとなったスーパードライの流れを止められず、敵に塩を送るようなドライ戦争を仕掛けたり、主力「キリンラガー」の味を変更し、既存の愛好者を蔑ろにするような失策を繰り返し、ついには1997年、年間シェアNo.1の座までスーパードライに譲り渡してしまう。

そんな崖っぷちに追いやられていた1995年、そのアサヒスーパードライの流れをなんとしてでも止めるべく、「キリンラガー」を「安売りをしろ」と命じる上司に、当時東京本社量販部営業企画部長代理であった本書著者の田村潤氏は、「ブランド価値の棄損を招く価格競争には巻き込まれたくない」と盾突いたことから、その席を追われた。そして、わずか11名ばかりのスタッフしか在籍しない、しかも当時、全国の支店の中でも最も「お荷物」と呼ばれ蔑まれていた高知支店の支店長へと事実上左遷されてしまう。

「1995年、高知の夜は漆黒だった」から始まる書き出しの描写は、「左遷」による落胆ぶり、地方支店での経験のない支店長業務への不安感を見事に表現している。そんな田村氏を高知支店で待ち受けていたのは、危機感どころか責任感や向上心の欠片も伺えない覇気のない営業マンや営業サポートたちであった。もはや一刻の猶予も許されなかったはずであるが、翌年1996年9月には、ついに高知県内でもトップシェアから40年ぶりに転落するという憂き目に合う。

しかし、確実に勝てると断言できるような戦略もすぐには思いつかない。本社量販部で長年に渡って積んだ営業経験や勘も地方支店の営業では生かすことができなかったのだ。確信を持てずに間違った指示をして、営業マンたちに支店長としての信頼を失ってしまえば前任者たちと同じ穴の狢になる。どうすれば彼らに対し上意下達ではない、自発的な意識改革を起こすことができるのか、どこをどのように攻めれば奪われたビールシェアを効率よく取り戻すことができるのか、田村氏はひたすら七転八倒する日々を繰り返した。そして、彼ら高知支店のスタッフたちとその高知のビール市場の両方に真摯に向き合ってきた成果が芽生え始めたところで、ついにその答えを導き出すことに成功する。その結果が、「高知支店の奇跡」とも呼ばれる2001年のトップシェア奪還である。

実は私も同じ時期、外資系ビールメーカーの営業マンとして、キリンとアサヒの壮絶なビール戦争を目の当たりにしてきた。スーパードライの一本足打法と言われたアサヒビールに対して、「一番搾り」・「ラガー」・「淡麗」など複数のブランドを擁したマルチブランド戦略で反撃の狼煙を上げたキリンビール。そのキリンの営業マンたちの戦う姿勢が、ある時期から明らかに変わった。その発端がキリンビール高知支店にあったとは、今思えばとても感慨深い事実である。

その後、田村氏はその高知支店での経験と実績を買われ、四国地区本部長、東海地区本部長、本社営業本部長を経た上で、キリンビール代表取締役副社長の要職を務めることになり、ついには2010年1月15日、1997年以来アサヒに奪われていたトップシェアの座を奪還することに成功するのであった。そんなキリンビールの伝説ともいえる著者・田村潤氏の人生を掛けた壮絶な営業格闘記をとくとお読み頂ければと思う。

レビュアー

東雲之風 イメージ
東雲之風

1965年、三重県生まれ。小池一夫、堤尭、島地勝彦、伊集院静ら作家の才気と男気をこよなく愛する一読書家です。

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