ゴルディオンの結び目の伝説を始め、幾多の逸話が残され、語り継がれているアレクサンドロス大王の生涯。華やかで勇猛な姿、インドを目前にしながらも軍を返さなければならなくなった無念とその後の砂漠の死の横断行、そして突然の熱病と死。
「どれもみな映画や小説の名場面とする十分な魅力がある」と森谷さんが記したとおり、アレクサンドロス大王は〝英雄〟〝偉大な哲人王〟として、あるいはそれとは正反対の〝専制君主〟〝征服者〟として今にいたるまで長く語り継がれています。この大王の実像を追ったのがこの本です。詳細な年表と多くの図版、加えて参考文献一覧を収録したこの本は、大王に関心を持つ人の必読書、基本文献だと思います。
この本にはヘレニズム文化への見直しもあります。通常ギリシア文化が東方に広まったものと考えられているヘレニズム文化観には、ヨーロッパ(ギリシア)文化が優位であるということが前提になっています。森谷さんはここにもメスを入れ、私たちが持っている先入観をただしていきます。なぜ東方の文化は劣等なものと考えられてきたのでしょうか。
かつてギリシア諸国連合はペルシアとの戦争に勝利をおさめました。けれどそれは必ずしも文化の勝利を意味しているものではありません。確かに最盛期のアテネでは「ペルシア戦争を、東の専制国家に対するギリシアの自由の勝利とみなし」、一方的にペルシアを「野蛮で遅れた外国人という決まり文句」で呼んでいました。しかし実際は、「豊かなペルシアはギリシア人の憧れの的」であり続け、その一方では「政治的にはペルシア王がギリシア諸国を翻弄する事態」が続いていたのです。
ペルシアとの争いで疲弊したギリシアは「北方の遅れた辺境地域にすぎない」と思っていたマケドニアの支配下におかれることになりました。けれどギリシア優位の考え方は根強く残り、マケドニアは逆に積極的にギリシア化を受け入れていくようになりました。文化先進国に追いつけ、追い越せという時代だったのです。そしてアレクサンドロス大王の時代にはギリシアの〝正統な後継者〟として、マケドニアは「ギリシアの先進文化を吸収し、さらに高い水準」に引き上げるまでになりました。国力の充実をはかりながら。
そしてアレクサンドロス大王は父王フィリッポスの志を継いで東方遠征を開始します。この東方遠征の思想は「もともとギリシア人のあいだで生み出された」ものだそうです。豊かなペルシアへの進出、ペルシアの圧政に苦しむ同胞(ギリシア人)の救済、ギリシアを蹂躙したペルシアへの復讐等、それらがギリシア人が抱いた東方遠征の思想でした。そしてそれを受け継ぐ者こそがギリシアの正統な後継者としてみなされるのです。アレクサンドロスはそれを実践したのです。さらには自らをギリシアの「英雄アキレウスとヘラクレスの末裔」と称したことも、彼がギリシアの正統な支配者であることを知らしめるものでした。
アレクサンドロスにとって東征はギリシアの救済だけでなく、それ以上の自身の〝英雄性〟を彼我に証明することでもありました。森谷さんは大王の動機を分析してこう記しています。
──彼の心性は、不滅の名誉を求めるホメロス的心性と同一だった。名誉は常に勝利と共にある。それゆえ彼はいつまでもどこまでも敵を求め、敵を倒し、勝利を収めて絶えず不敗であり続けなければならない。それだけが彼の卓越性、並の人間を超えた英雄たることを証明してくれる。こうした、名誉欲こそが彼を内面から突き動かし、世界の果てを求めさせる原動力だった。──(本書より)
世界で唯一の王となること、それが彼の〝使命〟であり〝運命〟でもあったのです。ギリシア、アジアを越えて、初めて〝世界〟というものを意識した王とでもいえるのかもしれません。そして〝世界の果て〟を追っておこなわれたのが東方遠征だったのです。
アレクサンドロス大王の一生には〝英雄〟の功罪すべてが含まれています。森谷さんはブレヒトの戯曲『ガリレイの生涯』の一節に触れてこう本書を終わらせています。
──アンドレア「英雄のいない国は不幸だ!」
ガリレイ「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ」
アレクサンドロスの個々の資質や性格は、今なお魅力的である。しかしそのことと、専制君主としての大王とは必ずしも同じではない。多様な価値観が併存し、平和的に交流しあう世界を理想とするなら、アレクサンドロス型の権力はむしろ有害と言うべきだ。いたずらに大王の偉大さを賛美するのでなく、彼を生み出した社会の前提条件を批判的に見直せば、アレクサンドロスをむしろ偉大なる反面教師と見る方が有益かもしれない。それをふまえて共存と寛容にふさわしい新たな指導者像を求めることが、二一世紀の課題なのではなかろうか。──(本書より)
膨大な資料とともにアレクサンドロスと旅したこの本にふさわしい一文だと思います。ここには歴史を知ること、歴史から学ぶことの重要さがあります。歴史好きだけでなく、きわめて現代的な視点をふくんだ万人にむけた1冊だと思います。
こんな一節があります。
──ドナウ川を前にしたアレクサンドロスについて、ローマ帝政期に大王伝を著したアリアノスは、「川向こうの地に到達したいという願望が彼を捉らえた」と述べている。──(本書より)
〝川向こう〟へ進もうという願望……けれどアレクサンドロス大王はインダス川を越えることはできませんでした。〝世界〟は〝英雄〟を超えて存在するということなのでしょうか。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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