私たちの体は、常にさまざまな病原体の脅威にさらされています。毎年、冬になると猛威を振るい始めるインフルエンザのほか、食物を経由して腹痛や下痢を引き起こす病原体、いまニュースを賑わせているジカ熱のような珍しい感染症など、その脅威は増えこそすれ、減少することはありません。
しかし、私たちの体が無防備でいるかというとそうではありません。体に備わっている「免疫」というしくみのおかげで、健康を保ったり、進入してきた病原体を撃退することができるのです。いま話題の免疫細胞コミック『はたらく細胞』が人気沸騰中ですが、これがきっかけで免疫細胞のはたらきに興味を持ったという方も多いのではないでしょうか。
今回は『現代免疫物語beyond 免疫が挑むがんと難病』と『はたらく細胞』を教科書にして、「免疫」のはたらきについて勉強してみましょう。
すぐれた生体防衛システム「免疫」のはたらき
1度かかった病気には、次にはかからない。2度目の「疫」病からは「免」れる、「免疫」にはそういった意味がこめられています。
私たちの身体を今より10億分の1ほどのナノサイズに縮めて、感染症を患う人の血管の中に潜入してみましょう。そこは体内に侵入した病原菌やウイルスに免疫が戦いを挑む格闘の場。アルファベットのYの字のような姿をした無数の抗体が現れ、身体の前方に突いた両腕を大きく広げて敵を捕まえている姿が目に飛び込んでくるはずです。
しかし、敵を捕捉するだけでは驚きには当たりません。免疫の本当のすごさは1度遭遇した危険な病原体の顔をきっちり覚え、次の襲撃に備える能力を持っていることです。
例えば「不治の病」とも「悪魔の病気」とも恐れられ、有史以来、膨大な人の命を奪い続けた天然痘。相手がこのような悪の巨魁であっても、最初の戦いで病原体の顔を覚えた免疫は、次の襲撃の時には即座に、強力な抗体を選りすぐってウイルスを撃退してみせました。
免疫の営みの中でも想像を絶するのは、ほぼ無限ともいえるほどの多種多様な外敵を迎え撃つ分子を、あらかじめ体内に備え持っていることです。
免疫システムの主役ともいえるリンパ球や抗体という分子には、ふたつとして同じ顔を持つものはありません。病原体が侵入した時には、敵の撃退に最も力を発揮する免疫細胞が選ばれ、その細胞は自分をモデルに膨大な数のクローン(複製体)を作り病原体に戦いを挑みます。
免疫にも弱点はある! 初対面の敵に弱く、自分を攻撃してしまうことも
しかし、免疫にも欠点や短所があります。初対面の敵に弱いことです。2度目とは違って、免疫は病原体が身体に侵入した当座は、病原体の撃退に効果的な抗体をなかなか作り出せません。その期間は数日に及びます。
だから免疫は毎年のように遺伝子を組み換えて新種のウイルスを出現させるインフルエンザが大の苦手です。もしウイルスの致死性が高ければ、免疫が抗体作りにもたもたしているうちに人間の体力はつき、命を落としてしまいかねないのです。
もっと困るのは免疫が時折、何を血迷ったか、守らねばならないはずの人体に牙をむき、深刻な自己免疫疾患と呼ばれる病気を起こすことです。
一例は画家のルノワールも苦しんだとされる関節リウマチです。ただの関節炎と軽視しがちな関節リウマチは、実は最後には骨が溶け、関節まで破壊されてしまう深刻で恐ろしい病気です。
花粉症やアトピー性皮膚炎をはじめとするアレルギー、さらにアレルギー症状が猛烈な勢いで起こり、人がショック死する「アナフィラキシー・ショック」もあります。
ウイルス性の肝炎や、1990年代後半頃から再び世界で猛威で振るい始めた結核も、病気のきっかけは病原体であるにしても、死をもたらす本当の首謀者はまた免疫。免疫は「諸刃の剣」を持っているといえるのです。
病原体を撃退する正義の味方! 免疫細胞「白血球」
ここで血液細胞の分類を見てみましょう。
本記事で頻繁に登場する免疫細胞とは、血液の中を流れる白血球を指します。白血球は赤血球とともに血液の主要成分で、赤血球が酸素を運ぶためのヘモグロビンを持っていることから赤く見えるのに対し、無色の白血球は集まると白く見えるのでこう呼ばれます。
白血球は大別するとリンパ球と樹状細胞、マクロファージ、顆粒球《かりゅうきゅう》などがあり、それぞれ異なる役割を果たしています。なかでも白血球の本体ともいえる存在がリンパ球であり、Bリンパ球(B細胞)とTリンパ球(T細胞)の2つがあります。なお、顆粒球には好中球《こうちゅうきゅう》、好酸球《こうさんきゅう》、好塩基球《こうえんききゅう》の3つの細胞があります。
免疫細胞の敵、「病原菌」と「ウイルス」はどう違う?
病原体には、大別すると病原菌とウイルスのふたつがあります。
病原菌がもたらす主な病気は、結核、コレラ、ペスト、破傷風、ジフテリア、赤痢などです。一方、ウイルスがもたらす主な病気には、天然痘、インフルエンザ、はしか、日本脳炎、エイズ(後天性免疫不全症候群)などがあります。
病原菌は球、細長い棒、らせんなどさまざまな形をした細菌です。細菌には乳酸菌のように役立つ細菌もいるのでこれら「善人」を除いて、人間に病気を引きおこす病原性の細菌を病原菌と呼んでいます。
大きさは例えば細長い棒状の桿菌《かんきん》では長さが0.5ミクロン(1ミクロンは1,000分の1ミリ)から長いもので数ミクロン。球菌の仲間のブドウ球菌は直径が1ミクロンほど。病原菌は顕微鏡で見ることが可能な微生物です。
一方、ウイルスの大きさは数十ナノ(ナノは10億分の1)メートルから大きなもので数百ナノメートルほど。ウイルスを光学顕微鏡で見ることはほぼ不可能です。大づかみに言えば、100ナノメートル(0.1ミクロン)の大きさのウイルスは、1ミクロンの大きさの病原菌の10分の1のサイズです。
かつてパスツールは「狂犬病菌」を顕微鏡で見つけようとしてついに発見できませんでした。これは、狂犬病の病原体が病原菌ではなく、病原菌よりはるかに小さなウイルスだったせいです。また、日本の野口英世は黄熱病の病原菌発見に挑みましたが、この病気もウイルスによって引きおこされる病気であることが後に判明しました。
結局、ウイルスの姿を人間が見たのは、1930年代に電子顕微鏡が開発されて以降のことです。それまでウイルスは生命科学分野の研究者を翻弄し続けました。
病原菌には効果のある抗生物質もウイルスには役に立ちません。病原菌などの細菌と異なり、ウイルスには栄養を自分の中に取り込んで成長・増殖する機能がないからです。
病原体を攻撃する「抗体」のはたらき
人間の身体に病原菌やウイルスなどの病原体が侵入してくると、異常事態を察知した免疫は抗体を出動させ、病原体を攻撃します。抗体が戦うさまざまな相手を「抗原」といいます。
抗体はYの字の姿をしており、右腕と左腕の先端部のそれぞれ6本ずつ「指」のような突起を持っています。人間が左右5本ずつの指でモノをつかむのと同じように、抗体はこれら、合計12本の「指」で病原体を捕獲します。この突起は、専門用語では「相補性決定領域(CDR)」といいます(図2)。
注目すべきなのは、この突起がどの抗体を見ても違った形をしていることです。ある抗体は真ん中の突起が長くなっているし、ある抗体は端のほうの突起が短くなっている──といった具合です。多種多様な「指先」の形は、通説では10億種類にも達するといいます。
これは、凶悪な病原体が体内に入ってきたとき、最低でもひとつの抗体は病原体をうまく捕らえることができるようにするのが狙いです。
2014年に世界で猛威をふるったエボラ出血熱に対しても、免疫は病原体の攻撃を抑制する抗体をつくり出し、死亡率が際立って高いこの病気から運よく生き延びた人が少なからず現れました。免疫は病原体と戦うために、人知を越える驚異的な多様性戦略を採っているのです。
抗体はグロブリンというたんぱく質でできており、捕まえるべき外敵の種類や処理方法に注目すると、IgA、IgD、IgE、IgG、IgMの5つに分類できます。「Ig」とは免疫グロブリンの英語表記を縮めたもので、たとえばIgGは「免疫グロブリンG」のことです。
IgGは抗体の主力部隊で、全抗体の70%を占めています。IgEの比率はそれよりはるかに小さく0.001%以下でしかありませんが、この抗体は花粉症やアトピー性皮膚炎、気管支ぜんそくなどのアレルギー反応を起こす“鬼っ子抗体”として、存在感は絶大です。
覚えておきたい免疫システムの主役「免疫の使徒たち」
免疫のしくみに関わる細胞たち、いわゆる「免疫の使徒たち」の役割を整理しておきましょう。主な顔ぶれは抗体、樹状細胞、マクロファージ、T細胞、B細胞です。
樹状細胞の抗原提示
樹状細胞
免疫細胞のひとつである樹状細胞は戦いの現場に現れ、長い触手を伸ばして病原体の断片を身体の中に取り込んでいきます。しかしこの細胞は、戦場には長居はしません。マクロファージが外敵を食い殺すのを主眼としているのと違って、樹状細胞は病原体を捕まえたら血管やリンパ管を通ってリンパ節に達し、そこでヘルパーT細胞と出会って、病原体の断片を提示します。これを「抗原提示」といいます。
マクロファージの食作用と抗原提示
マクロファージ
人の身体に病原菌やウイルスが侵入した際に、最初に反応するのは食細胞と呼ばれるこのマクロファージです。病原体を見つけては相手を食い殺す食作用というはたらきを持っています。前述の樹状細胞の抗原提示によってヘルパーT細胞が活性化すると、マクロファージにも抗原提示の働きが備わります。マクロファージもただ病原体を食い殺すだけの細胞ではありません。ただし、樹状細胞と違って常に戦いの現場にいるので、抗原提示への寄与は限定的です。
ヘルパーT細胞の活性化と迎撃戦の指示
ヘルパーT細胞
抗原提示によって侵入者が何者であるかを知ったヘルパーT細胞は、活性化して増殖を始めます。そして迎撃戦の指示・命令をB細胞に与え、病原体を攻撃するための特殊なたんぱく質の群れ、つまり抗体を作らせます。
このとき、ヘルパーT細胞はB細胞の抗体づくりを助けているかに見えます。そこで専門家はこの細胞を「ヘルパー」T細胞と呼ぶようになりました。
B細胞の抗体開発と攻撃
B細胞
B細胞はヘルパーT細胞から命令をもらうと、抗体を自分の体の表面にズラリと並べ、準備が整うと病原体に向かって撃ち出しはじめます。抗体が敵を迎え撃つ迎撃ミサイルなら、B細胞はミサイルの生産・発射装置です。
殺し屋キラーT細胞の活動
キラーT細胞
T細胞にはキラーT細胞(細胞障害性T細胞)と呼ばれる細胞もいます。これは文字どおり殺戮細胞です。抗原提示を受けたヘルパーT細胞から攻撃命令を受け、抗体が捕らえた病原体を殺戮したり、病原体に内部に侵入されて抗体では対処できなくなった細胞を殺していきます。
キラーT細胞は体の中で日々、発生するがん細胞もやっつけてくれています。そのしくみは、病原体への対処方法と基本的には同じです。
ナチュラルキラー細胞
ある臓器ががんになると、初期には自然免疫系のナチュラルキラー細胞ががん細胞を攻撃します。次に、弱ったがん細胞の周囲を樹状細胞が取り囲み、長い腕を伸ばしてがんの断片を捕まえると、ヘルパーT細胞の元へかけつけ抗原提示を行います。すると、ヘルパーT細胞はキラーT細胞に指示を与え、いよいよがん細胞への攻撃が始まります。抗体も免疫細胞と協力してがん細胞と戦ってくれることが知られています。
免疫は負けない! 人類の叡知と免疫細胞の戦いは未来を作る
免疫細胞たちのはたらきを見てきましたが、改めて人体という素晴らしいシステムの機能に驚かされます。免疫という防御システムは、人類の繁栄に本当に大きな福音をもたらしたのです。
免疫に関わるさまざまな恐ろしい病気はまだまだたくさんあり、中には難病とされ、治療も困難で生存率も低いものがあります。しかし、免疫細胞のさまざまな機能が明らかになり、それらのはたらきを利用した治療方法が徐々に確立されています。とくに最近では、がんに対する免疫療法の研究が、急速に進んでいます。
リードしているのは、本庶佑氏、坂口志文氏らの日本人研究者です。次のノーベル賞候補ともいわれる彼らの革新的な発見によって、従来は手術、抗がん剤、放射線に次ぐ「第4の手段」とされていた免疫療法は、一気にがん征圧の切り札と目されるまでになっています。
免疫細胞たちのはたらきは、ここで紹介した以外にも多岐にわたります。最近の研究で判明した新しい作用には、さらに驚愕することでしょう。免疫細胞のはたらきに魅せられたあなた、さらなる免疫の物語に秘められた神秘的な世界を、ブルーバックスの『現代免疫物語beyond 免疫が挑むがんと難病』でじっくり堪能してみませんか?