江戸の街に生きた商人たちの暮らしぶりがどんなだったか? と問われると、錦絵でみられるような越後屋(三越のルーツ)の店先ぐらいしか思い浮かばない。高祖父母が生まれ育った、さほど遠くない昔のことなのに拘わらずである。
そんな江戸の街に暮らした商人たちの具体的な商い振りがどうであったかを、江戸の町奉行所が残したわずかな資料の数値を拾い上げて「数量分析」という途方もなく地道な手法によって解き明かし、江戸商人たちの真実の姿を明らかにしたものが本書『大江戸商い白書 数量分析が解き明かす商人の真実』である。
平和ながらも自由には生きれなかったはずの江戸時代の封建社会において、商人たちも代々親から受け継いだ店の暖簾を守ってくことが当時の必然の習わし、生まれながらの宿命のように考えられていたと思うが、意外にもそうでなかったという。
例えば嘉永4年(1851年)の株仲間の再興令の実施の為に作成された「諸問屋名前帳」という全58冊の膨大な史料より著者が導き出した当時の小売店の平均存続年数はわずか15.7年であり(下記、表参照)、先祖代々どころか自分一代の間でも商売が鞍替えされるほど、江戸の商人に至っては伝統やしきたりに縛られない自由な商いをしていたことが垣間見られたり、当時の小売業の約半分が、生活に密着した炭薪仲買(炭と薪を扱う小売店)と搗米屋(米を精米して販売する小売業)のわずか2種類の小売業で占めており、それ以外の小売業種はごく少数であったなど、リアルで具体的な江戸の商人文化の特徴がつまびらかに解き明かされている。
恐らく我々が思い浮かべられる江戸の商人文化とは、日本橋界隈が描かれた錦絵によるものや日本橋を中心に2473軒もの店舗が掲載された当時のガイドブック「江戸買物独案内」などによるものだろう。この「江戸買物独案内」には炭薪仲買や搗米屋といった日常的に利用されたはずの店舗は一軒も見当たらないという。
そして、最終章となる第5章「大江戸商い模様」では、後に「遠山の金さん」で知られる南町奉行遠山景元による実際の上申書「諸問屋再興調」などから読み取った、江戸の商人文化の活性化を図ろうする幕府側の必死の努力の様子も、具体例を上げて示されたりもしている。そこに時代劇で見られるような傲慢なお代官様の姿はない。
ぜひ本書を読み解くことで、高祖父や高祖母たちが暮らした江戸時代のビジネスに想いを馳せ、束の間の江戸の街へのタイムトリップを楽しんでみては如何だろうか。
レビュアー
1965年、三重県生まれ。小池一夫、堤尭、島地勝彦、伊集院静ら作家の才気と男気をこよなく愛する一読書家です。