PICK UP

2026.03.13

レビュー

New

18世紀に大流行した「博物学」──自然科学の基礎となった学問の壮大な野望とは?

巨大な学問、博物学

博物学は、学と呼ばれてはいるものの、体系的に学ぶのが困難な学問です。

たとえば、日本にはあまたの大学があり、「いったい何を学ぶんだろう?」といぶからずにおれないような学科も多数存在します。にもかかわらず、博物学部あるいは博物学科がある大学は一校もありません。博物学は、大学の研究スタイルに合致することができない学問なのです。

本書は次のように語っています。
「博物学」は、ナチュラル・ヒストリー(自然史)の訳語で、動物、植物、および鉱物の種類や性質を研究する学問のことをいう。現在でも自然科学の基礎として重要な役割を果たしている。
途方もないことが語られているのがおわかりでしょうか。
動物・植物・鉱物とは、この地球上に存在するものほとんどすべてです。すくなくとも、本書の主人公リンネが活躍していた18世紀においては、森羅万象に近いことだったでしょう。これらをすべて学び尽くすには人の一生は短すぎます。

博物学のブームとリンネの登場

ところが、このバカでかい学問が大流行していました。
一八世紀は博物学の世紀といわれるほどで、だれもが植物標本の収集に熱中していた。こうした状況はオランダやイギリスでも同様であった。当時の収集家たちは、動植物や鉱物の博物標本だけでなく、民俗資料や古代遺物など、目新しいものを片っ端から集めていた。(中略)
一八世紀には、ヨーロッパ列強の植民地経営が本格化してヨーロッパの外の世界の文物が大量に流入し、これが珍品収集熱をあおることになった。植民地経営のために設立された各国の東インド会社は、博物標本の収集も業務の一つとしていた。
当時の欧州の社会状況が、人々の博物学的関心をあおっていました。そこには、新しい土地で新しい鉱物資源を求めたい、新しい薬品を求めたい、新しい食い物飲み物を味わってみたい、という下世話な欲望が渦巻いていただろうと容易に推察できます。
リンネが求められたのは、そうした時代でした。自分が入手した植物が、どの系統に属し何と親戚なのか。新しい文物が続々と届けられる中で、人々はそれを求めました。リンネはその要請に応えたのです。

さらにもうひとつ、博物学流行の重要な要素がありました。リンネもまた、この要素に衝き動かされた人でした。
博物学者たちは、自然のすべてを知るために、命がけで未知の世界に出かけて行った。この博物学の情熱を支えていたのが、キリスト教信仰であった。神の創造した自然を理解することが、神自身を理解することになると信じられていた。近代科学は当初、キリスト教と一体だったのである。
ガリレイの名言「それでも地球は回っている」にあきらかなごとく、科学とキリスト教は乖離がはなはだしいと認識されがちです。しかし、リンネは終生、敬虔なキリスト教信仰者でありつづけました。彼が植物の分類体系を構築したのも、生涯、旺盛な執筆活動をおこなったのも、神の素晴らしき創造を賞賛することにつながっていたからです。

「性の体系」――植物にセックスを見る

本書は、リンネの考え方を概説するとともに、勃興期にあった近代科学の夜明けを見ていきます。近代の生物学はダーウィンにはじまるとするのが通説ですから、この時期の論はあまり注目されてきませんでした。リンネの分類体系も、現在では多くの誤りが指摘され、ほとんど継承されていません。学名の命名法などに、その痕跡が残っているばかりです。

とはいえ、そのことはいささかも本書の価値を減じるものではありません。むしろ、貴重な視点を提供してくれる書物であると言っていいでしょう。

本書は、思わず「えっ、そうなの!」とつぶやかずにおれないような記述に満ちています。たとえば、次のような箇所です。
われわれ日本人は、子供のときから「雄しべ」「雌しべ」という言葉に親しんでいるので、植物にも動物と同様に性のあることが、ごく自然のように思えてしまう。ところが、雄しべの原語(ステイメン)は糸の意味で、雌しべの原語(ピスティル)は乳棒(乳鉢で薬をする棒)の意味である。両者とも形によって名づけられているにすぎない。
リンネは植物を、性によって分類しました。本書によれば、これは18世紀まで欧州にほとんどなかった視点だといいます。リンネの論考は、現代の学術論文には見られない「みだらな」(本書の表現)形容によって、彩られていました。
生殖にセックスは不可欠である。
この視点が、のちに生物学を大きく進展させたことは疑いようもありません。現在でもとても重く扱われています。

読書は一般的な学問とは異なる楽しみをもたらしてくれる行為と考えています。その重要なひとつが、境界があいまいで、容易にジャンルの壁をまたぐことができることでしょう。18世紀ヨーロッパの社会状況と、自然科学にまつわる知識を同時に得ることができる本書が、バカでかい領域をいっぺんにカバーしていることは、言うまでもありません。

レビュアー

草野真一

早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。

こちらもおすすめ

おすすめの記事

レビュー

神の使者か、贄か、妖怪か──日本人は動物たちをいかに愛し、敬い、恐れてきたのか。

  • 動物
  • 文化
  • 奥津圭介

レビュー

なぜ人は「ものを分けたがる」のか? 分類学を知ると世界の見え方まで変わる

  • コラム
  • 宮本夏樹

レビュー

地球温暖化予測、気候変動の解明に迫る! ノーベル物理学賞受賞・真鍋博士の研究を解説

  • コラム
  • 田中香織

最新情報を受け取る

講談社製品の情報をSNSでも発信中

コミックの最新情報をGET

書籍の最新情報をGET