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2026.02.25

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GDPが増えればほんとうに幸せになれるのか? 成長なき時代の豊かさを考える

経済成長は、ある程度までは確実に人びとの豊かな生活につながる。しかし、ある程度大きなGDP(国内総生産)を生みだせる先進国の人びとにとって、経済成長をめざせばよいのだ、それこそが豊かさへの道だ、とは言えない。
冒頭の書き出しからして、ふるっている。著者は青山学院大学経済学部の教授で、経済学史と経済思想史を専門とする。その道のプロが、経済学の根本にある価値観に異議を唱え、生活の中で人びとが互いに吟味した上で成り立つ「必要」という概念を用い、過去の経済学が避けてきた問題に立ち向かおうとする。挑戦的な一冊だ。
本書は、「必要」概念を広くとり、「ほんとうに求めるもの」に近づけることで、GDPを追求する従来の価値観を乗り越えたいと考えている。GDPを増やすのがよいという価値観、すなわち豊かに生産して財(およびサービス)を生み出すことがよいという価値観は、経済学の始まりから強く存在する。そして、この価値観は、学問分野内にとどまらず、われわれの思考を「道徳的に」も拘束している。例えば、「働かざる者、食うべからず」という言葉は、生産における貢献にこそ価値があるという道徳的観念の表現である。この道徳において、生産貢献者は上位であり、非生産貢献者(働いて稼げない人)は下位である。
思わずハッとした。確かに、現代の社会人にとって「労働」は、当たり前すぎるほど当たり前だ。しかしそれはある種の固定観念であり、格差の創造にもつながっているとすると──。経済学の価値観がどれほど世の中に浸透し、自分の考え方にも及んでいるのかを実感した。
この「必要」に応える仕組みこそ、従来の経済学──需要に応える仕組みの分析──に足りないものだ。市場経済は、どうしたらいいかわからない苦しみにも、まともに評価してほしいという切実な願いにも応えない。経済学が真に豊かな社会をめざすのであれば、アダム・スミスが引いた路線(=市場経済を駆動し、GDPを増やすこと)の限界に気づき、切実な「必要」の声を聴く方向に進まなければならない。
こうした問題意識のもと、著者は全六章をかけて主な経済学の歴史をさらいながら、その学が前提としてきたものを丁寧に疑い、今後につながる道を模索していく。

第一章では、経済学の祖であるアダム・スミスと、彼と異なる価値観を提唱したカール・マルクスを対比する。第二章ではジョン・スチュアート・ミルとアルフレッド・マーシャルを、第三章ではジョン・メイナード・ケインズを、第五章ではアイリス・マリオン・ヤングを取り上げる。専門的な内容ながら、どの章も読みやすい。なにより各人の研究が、それぞれの生きた時代に根差したものであったことも、よくわかる。

中でも意外だったのは、経済学の祖であるスミスが、生存保障をはじめとする「必要」に向き合わずに済んだというくだりだった。「スミスはよほど冷酷な人物なのか、それとも割り切りができた人物だったのか」と思いきや、まったく真逆の話だった。
誤解のないように付け加えれば、スミスもその後の経済学者たちも、冷たい人間などではなく、むしろ全体の豊かさ、幅広い人びとの幸せを願う温かい心を持った人びとであった。ここで抽出しておきたいのは、心情ではなく、思考法である。彼らは、生産・消費という目標を追求すれば、「必要」はその結果としてついてくるものという思考法をとったのである。
つまり、彼が当時提唱した経済学の中では、自身の説が有効に続く限り、社会からこぼれ落ちる人びとは生まれないはずだった。やがてそれは政治や政策とも結びついていくが、時代を経る中で、その循環はうまく機能しなくなっていく。為政者にとっては、その方が都合のよい部分も多くあったのだろう。ともあれ、どの経済学者もそれぞれの時代と向き合いながら、人間らしい温度をもって研究を進めていたことが伝わってきた。

本書の話題は経済学のみならず、歴史をはじめ倫理学、哲学、政治まで幅広い分野にわたり、最後には現代へと結実する。その流れは刺激的である一方、今を生きる私たちも、本書内に描かれた人々と同じ状況に置かれていることにも思いを馳せる。経済学史を知りたい方はもちろん、今の社会に疑問を持つ方にも手に取ってほしい。

レビュアー

田中香織

元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。

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