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2025.12.14

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通説、ほぼ全崩壊! 自身も「関ヶ原ロス」に陥った担当編集者の懺悔の叫び

「俺の関ヶ原」が音を立てて崩れていく
担当者がamazonに掲出した画像。肩に力が入りすぎか?
担当者がamazonに掲出した画像。肩に力が入りすぎか?
子どもの頃から、好きな歴史上の人物といえば齋藤道三、明智光秀、石田三成、江藤新平の4人だった。「変なやつ」と思われそうだが、司馬遼太郎ファンの方なら、うなずいていただけるのではないか。そう、いずれも悪人呼ばわりされて非業の最期をとげたが、じつは高い理想を抱いていた(と司馬作品では描かれている)人たちである。なかでも石田三成のことは社会人になってからもよく思い出した。豊臣に恩ある大名がこぞって徳川家康になびくなか、「義」を通すためだけに19万石の分際で250万石の家康に本気で立ち向かい、天下分け目の戦いを実現してみせたクレイジーなまでのカッコよさが、長いものに巻かれがちな小心者にはまぶしかった。

それだけに……『シン・関ヶ原』の原稿を読んだときの衝撃は、まさに筆舌に尽くしがたいものだった。そこにいる石田三成は、50年近く敬愛してきた彼とは、まるで別人だった。三成だけではない。読み進むごとに「俺の関ヶ原」は、一つ一つ、音を立てて崩れていった。もうやめてくれと言いたくなった。原稿を読んでこんなにつらかったことは初めてだった。
そもそも「天下分け目の決戦」ではなかった!
少し説明すれば、現在、関ヶ原の戦いの「通説」として日本史の教科書にも書かれていることは、じつはこの戦いから100年以上も経って編纂された『関ヶ原軍記大成』など、さまざまな軍記物や伝承などを、明治になって帝国陸軍参謀本部が一つに集約して「正史」としたものがベースとなっている。そして1966年、これをもとに司馬遼太郎が書いた小説『関ヶ原』(新潮社)が累計600万部超えという国民的作品になったことで、日本人の関ヶ原像が決定づけられた。要するに、もともとは根拠が定かではない言い伝えの寄せ集めのようなものだったのだ。
しかし近年、権威にしばられない在野の研究者たちによって、同時代に成立した一次史料の研究が進み、さらにネットやSNSの普及によって情報交換が活発になったことで、従来の「通説」が大きく見直されている。現在では、関ヶ原は「通説不在」ともいえる状況になっているのだという。

こうした新しい潮流を牽引するトップランナーの一人である高橋陽介さんが、当時の武将たちなどの間でかわされた170通余りの書状を読み込んで、「新しい関ヶ原像」を呈示したのが本書なのだが、その内容ときたら――。
●そもそも関ヶ原の戦いは「天下分け目の決戦」ではない。徳川家康はその前から「天下人」になっていたので、そんな決戦をする必要はなかった。「西軍」とは、クーデターを起こした反乱軍だった。
●石田三成は西軍の首謀者ではなく、部隊長の一人だった。会津の直江兼続と結んだ壮大な「家康挟撃の密約」などというものもなかった。戦後に処刑されたのは「真の首謀者」の身代わりだった。
●小早川秀秋は合戦が始まる前から東軍だった。当日の午後まで裏切りを迷っていて家康に鉄砲で脅されたという、いわゆる「問い鉄砲」はフィクションである。
●東西両軍の合計は3万ほどだった。関ヶ原で15万人が激突したというのも虚構で、実際は小規模な戦闘にすぎなかった。しかも戦いが始まる前に、じつは和睦が成立していた、などなど……。

つまり従来の通説が、ほとんど跡形もなく破壊されているのだ。いずれも、リアルタイムでかわされた書状を根拠にしているので、100年後の軍記物に依拠した通説とどちらに信憑性があるかは明らかだろう。ちなみに高橋さんからは、これで世間をあっと言わせてやろうなどという山っ気は一切感じられず、その筆致はじつに淡々としている(もう少し盛り上げてほしかったくらい)。したがってこれらの説はけっして誇張されたものではない。
これがフィクションなんて…(出典:関ケ原町歴史民俗資料館)
これがフィクションなんて…(出典:関ケ原町歴史民俗資料館)
歴史研究は「物語」を捨て去るところから始まる
編集者として、このような原稿にめぐりあえた幸運には、いくら感謝してもしきれない。今年のおみくじが大吉だったのは当たりだった。だが同時に、こんなものを世に出していいのかと怖くなる気持ちもあった。もちろんそれは、多くの人を自分のようにつらい気持ちにさせていいのか、という怖さだ。なにしろ、関ヶ原の戦いをモチーフにした小説や映画、漫画、ゲームは山ほどつくられている。近いところでは、国際的な賞を総なめにした『SHOGUN 将軍』だってそうだ。従来のストーリーにどっぷり浸っている人は、いまや世界的規模で増えていると言っていい。その人たちを突然、「関ヶ原ロス」に陥れるようなことをしていいのだろうか。

問題の一つは、『シン・関ヶ原』が示す関ヶ原像が、従来のものに比べて地味に思えてしまうことにもある。それについては高橋さん自身、前書きで「この新説は、従来の通説のようにドラマティックな展開をともなうものではない」と言い切っている。だから、高橋さんにこんな相談をしてみたこともある。
「従来のストーリーに代わる物語を読者が見いだせるように少し意識していただくことはできませんか」
だが高橋さんの答えは、つれなかった。
「自分は歴史学者であって小説家ではないので、物語をつくることに興味はありません」

これは後日、本郷和人さんの『歴史学者という病』(講談社現代新書)を読んで初めて知ったことだが、じつは歴史学者の多くも、最初は司馬遼太郎などの小説をきっかけに歴史に興味をもつものらしい(高橋さんもそうだと聞いた)。だが歴史研究とは、自分を歴史好きにしてくれた物語、思い入れたっぷりの物語をすべて捨て去ることから始めなければならないのだそうだ。高橋さんの回答に、つい「融通が利かないなあ」と思ってしまったことを、いまは恥じ入っている。
誰だったのかは本書の第二章で明かされる
誰だったのかは本書の第二章で明かされる
予想通りあがった悲鳴
楽しみ4割、怖さ6割で発売を迎えると、やはりインパクトは大きかったようで、ありがたいことにほぼ1ヵ月で3刷、3万部に達した。ネットやSNSでも「いままで関ヶ原の戦いに抱いていた疑問が氷解した」など、ポジティブな感想が多いのには安堵した。だが、コアな司馬ファンからは予想通り、「通説破壊」に対しての悲鳴が次々にあがった。たとえば、『北海道新聞』に掲載された山本哲朗編集委員の書評は、書評としては異例とも思える悲痛なトーンで結ばれていた。
「『司馬史観』が音を立てて崩れていくようで、ファンとして悲しく、つらい」
担当編集者もまさに同じ気持ちだったことを、山本氏に伝えたい。

高橋さんから第一稿をいただいたのは、2年ほど前のことだった。つまり『シン・関ヶ原』を読んだ司馬ファンがいま感じているつらさを、自分は2年前に経験していた。ならば、自分はその後、「関ヶ原ロス」「三成ロス」からどう立ち直ったかをお伝えすることで、いま悲鳴をあげている人たちの心を少しは鎮めることができるかもしれない。じつは、この原稿はそう思って書きはじめたのだった。

だがここまできて、手がぱたりと止まってしまった。「本が注目されればいい」という職業的スケベ心を滅却し、ある日突然こんな本に出くわした司馬ファンの気持ちに純粋になりきってみると……つらい。自分自身、いまでもつらすぎる。なにしろ『シン・関ヶ原』の通りなら、石田三成は歴史上、何をした人かよくわからなくなってしまう。それは必然的に、三成と大谷刑部、三成と島左近の、涙なしには読めない友情や主従の物語の消滅をも意味する。
ごめんなさい。自分もまだ『シン・関ヶ原』を受け入れられていませんでした。

ただ、こういう事態は、じつはフランスでも先行して起こっているらしい。やはり一次史料の研究が進んだことで、たとえばワーテルローの戦いは通説が大きく覆され、ビクトル・ユーゴーが書いたナポレオンの有名なセリフが消滅してしまったそうだ。悲鳴は世界のあちこちであがっているのかもしれない。こんなことを言っても気休めにもならないだろうが……。
瓦礫の山の中でSOSを叫ぶ
それでも一つだけ、自分のなかで確かなのは、少なくとも元の関ヶ原に戻りたいとは思わない、ということだ。『シン・関ヶ原』が呈示する新説がすべて正しくはないかもしれないが、これだけ根幹の部分が破壊されたら、もう通説には戻れない。はたしてこれから関ヶ原を描く小説やドラマは、本書の影響をどれだけ受けるのだろう。もちろん何も変わらないのかもしれないが、最近、歴史もののドラマには、「これはあくまでお話だから」「エンタメだから」と割り切って、というより開き直って、史実をないがしろにする作品が増えているように見えるのは気になるところだ。NHK大河でもおととしの『どうする家康』で、関ヶ原のあと「最初からやる気がなかった西軍の総大将」毛利輝元を、淀殿がなんと平手打ちしたのには目が点になった。
やはり、「リアル」を精いっぱい尊重し、ときに格闘しながら、あのときあの人は何を考えていたんだろうと想像をめぐらせるのが歴史物語であってほしいと個人的には思う。司馬遼太郎だって、帝国陸軍参謀本部が編纂した「正史」に、小説のネタとしてではなく、リアルな記録として向き合ったはずだ。そこからあの物語を紡ぎ出したところに価値と凄味があるのだと思う。

そして研究が進めば、歴史を見る解像度も上がる。「三成は西軍の首謀者として天下を二分した」と見るより、「三成は西軍の首謀者として天下を二分したことにされて処刑された」と見るほうが、よりリアルに近いらしいとわかってくる。哀しいけれど、そのつど変容せざるをえないのは歴史物語の必然なのだ。

だから歴史学者ではないわれわれが立ち直るには、新しい物語でロスを埋めるしかない気がする。たとえば、徳川家康。史上最大の決戦どころか、戦いを最小限に抑え、ほぼすべてを政治的に決着させた彼の、同時代人のなかで群を抜く力量は、これまでに描かれていないものだろう。また、西軍の「真の首謀者」とされた面々には、従来ほとんどスポットが当たっていない(肖像画さえほとんどない)ので、描きがいがあるかもしれない。個人的には、西軍に属しながら最初から家康との和議を画策していた吉川広家を主役にしたドラマを見てみたい。

結局、いま悲鳴をあげている人の救いになるようなことは何も言えそうにない。せめて最後は、みなさんのかわりに瓦礫の山の中で、SOSの叫びをあげさせていただく。
誰か早く、新しい物語をつくってくれ! 
いまなら、司馬遼太郎になれるぞ!
――学芸第二出版部 山岸浩史

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