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2025.10.24

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人は1日125万個吸い込む!? 空飛ぶ微生物「大気微生物」の驚くべき力

全人類が新型コロナウイルスの脅威を体験したいま、多くの人が「大気微生物(バイオエアロゾル)」の存在を強く意識するようになったはずだ。しかし、その本格的研究が始まったのは、意外にもつい最近のことだという。
しかし、こんなに人に身近であり、話題に事欠かない微生物であるにもかかわらず、大気微生物について本格的に研究が始まったのは21世紀に入ってからです。それまで、病原菌による空気感染について知見はあったものの、通常の大気に浮遊する微生物については、数も種もほとんど議論されませんでした。これは、微生物を詳しく調べる技術が不十分であったこともありますが、そもそも大気中を浮遊する微生物が、地球全体の微生物量に占める割合が極小だからです。
(中略)
ところが実際には、人が日常的に触れて影響を受けるのは、土壌や海洋の微生物よりも、圧倒的に大気中の微生物です。我々の呼気を通じて体内を通過する微生物量は、繰り返しになりますが1日125万個です。漁業や農業に従事していなければ、日常生活で海洋や土壌の微生物を直接摂取するのはまれです。我々は大気微生物に包まれて生活しているため、大気微生物は当たり前の存在となり見落とされてきたともいえます。
著者は「空飛ぶ微生物ハンター」の異名をもつ大気微生物研究の第一人者。本書では我々の身近に存在しながら、知らないことの多い「見えない生き物たちの世界」について明らかにしていく。

もちろん、風邪や結核、コロナウイルスなど、空気感染する病原菌の存在を通して、私たちを取り巻く空気には微生物が漂っていることは広く認識されているだろう。だが、それ以外はどうか。実は知らないうちに大気微生物のもたらす作用を受け取っていることを、本書は教えてくれる。たとえば、雨の日の匂い。
雨の降り始めに土のにおいがするのも、微生物由来の成分が空気中を舞うためです。雨滴が土壌に当たると、土壌微生物が生成するゲオスミンという化学物質が放出されます。植物表面からも植物成分であるペトリコールなどが放出され、こちらもいわゆる「雨のにおい」の主成分とされています。こうしたにおい成分が雨滴ではじき出されるのであれば、微生物などの細胞粒子も同時に漂っているはずです。
自然豊かな森林や山林などの場所に行って「空気がおいしい」と感じるときも、夾雑物(きょうざつぶつ)のまったくない澄んだ空気を吸っているというより、実は胞子や菌といった微生物をめいっぱい吸い込んでいるかもしれない。それほど森の大気は、自然の微生物に溢れているという。なかには花粉などのアレルギー反応を引き起こすものもあるが、それ以外は基本的に無害であって、実は「空気のおいしさ」にひと役買っているのかもしれない……本書前半では、そんな自然の大気の「豊かさ」を読者に思わせる。

空気に溶け込むほど小さく軽いということは、風に乗り、遠くまで旅することが可能だということでもある。彼らは最初から風のなかで生まれたわけではなく、「発生源」があり、そこからいくつかの手段を使って風に乗り、運ばれていく。その手段とは何か、どこまで行くことが可能なのか、それらの記述もまた興味深い。
ここまでみてきたように、大気微生物が発生する直接の要因は、風ではなく、「叩かれる」か「はじける」かです。森林の土壌や植物が雨粒に叩かれると、表面の微生物が空気中へと飛ばされます。真菌は高湿度になると胞子の弓なりの柄に水を蓄え、柄が直線になる反動で胞子をはじき飛ばします。砂漠では、風で飛ばされた小石が地面を叩き、粘土粒子とともに微生物が空気中に舞い上がります。海では、海面の表層膜マイクロレイヤーに生じた泡がはじけ、海水滴とともに微生物も空気中に放たれます。いずれの微小粒子も、一度空気中に上がると風にのって漂い続け、なかなか地表には落ちてきません。では、大気微生物は、どこまで上昇するのでしょうか?
空に浮かぶ「雲」も、大気微生物の作用によって作られている可能性があるという記述にも驚かされる。そもそも、雲ができる理由には実はいまだに謎が多いということも意外だが、自然のすべてを解明できるほど万能ではないという謙虚さは、いまの人類には特に必要な気もする。
ところで、雲はどのようにしてできるのでしょうか? 雲は水蒸気が集まった雲粒でできていますが、空気中で水蒸気が高密度に集まるだけでは雲にはなりません。雲粒ができるには、水蒸気が集まるための「核」が必要なのです。
(中略)
雲粒になる核としてはたらく粒子は、いまだすべては特定されておらず、雲の形成にはまだ謎が残されています。この謎を解く鍵として、近年、大気微生物が注目されています。
雲と大気微生物の関係は現在も研究中であり、その因果関係が完全に解明されたわけではないという。だが、雲の内部には明らかに「彼ら」の存在が認められるという観測結果が出ている。数キロメートルも上空に浮かぶ雲のなかにも、微生物は漂っており、生命活動の痕跡を残しているのだ。
さらに、北アメリカ大陸上空7kmを浮遊する氷晶核を、飛行機内で捉え、その場で質量分析すると、氷晶核の30%が細菌や花粉などの生物粒子でした。また、アマゾン熱帯雨林の樹冠上空では、生物由来の有機物粒子が森林から放散され、氷晶核の60%から75%を占めます。こうした実際の観測結果から、微生物などの生体粒子が、実大気での氷晶核に占める割合は大きく、雲形成に強くかかわっているとみなされています。
いずれ地表や海面に落ちてくるとして、微生物たちは雲のなかで何をしているのだろう? もし、そこが彼らの「生息地」だとしたら? まるで仙人か、民話に出てくる神様のような生き方を想像させて面白い。
大気中で水が豊富な環境というと、やはり雲になります。雲は水滴の集合体であり、その水滴の中であれば生物が増殖できるはずです。また、鉱物や海塩の粒子は、大気中の水蒸気が飽和すると、水を集め雲になりやすい性質をもっています。鉱物は土壌、海塩は海が由来なので、微生物も多く含まれ、雲は微生物のすみかになる可能性は充分にありそうです。
はたして雲は、大気微生物を「原料」のひとつとして生まれる自然現象なのか? あるいは、新天地へと生命を運搬する「方舟」なのか? その研究のゆくえに興味は尽きない。将来、地球環境が激変したときに備えて、雲形成のしくみを知ることは人類にとって非常に重要なことだという。

大気微生物への興味は、大気汚染への恐怖と切り離せない。そのメカニズム、影響範囲などについても、本書では詳しく述べられる。大昔から広大なスケールで世界中に影響を与えてきた「黄砂」から、東日本大震災以降に問題となった「セシウム汚染」まで、大気微生物が担う役割は想像以上に大きい。単なる「砂ぼこり」では済まされない複雑な物質・生物同士の相関関係がそこにはある。先日公開された映画『こんな事があった』(2025年)を思い出す人もいるかもしれない。
ところが、低レベルになった空気中の放射性セシウム濃度が一定濃度からなかなか減らず、むしろ夏に増えるという怪奇現象が起きました。セシウムを再飛散させる何らかの因子があると推測され、その探索がなされました。
(中略)
これを手掛かりに、汚染地域に生えるキノコの胞子を調べると、放射性セシウムが検出されました。さらに、1胞子あたりのセシウム濃度と胞子の数を掛け合わせたところ、ちょうど夏の大気中で上昇するセシウム濃度と合致しました。
汚染された土壌からキノコが放射性セシウムを吸収し、胞子として大気中に再飛散させていたのです。キノコの貪欲な同化力はしたたかであり、セシウムに限らず、様々な金属成分を土壌から飛散させる媒体になっていると考えられています。
大気微生物と人間の関係は、研究が始まる遥か以前から続いている。時には納豆や日本酒といった発酵食品を産み出したり、疫病による多くの犠牲を出したりしながら、両者は進化と共存の歴史を重ねてきた。ともに笑顔で手に手を取り合って歩んできたわけではないが、自然の世界ではそれが当たり前のことだろう。そして近代以降は、人間の側から有害微生物の発生源を生み出し、新たな大気汚染を促進している。大気の力を借りた、ゆるやかな自滅と言っていいだろうか。

マイクロプラスチック汚染の深刻な影響などは、おそらく多くの読者の想像を越えているのではないだろうか。読みながら思い出したのは、たまに田舎の道端などで見かける、風化してボロボロになったペットボトルの姿だ。それは「自然に帰っている」わけではなく、粉塵になって大気中に広がっている。そして、なんらかの微生物と手に手を取り合って、予想外のパワーを発揮しているかもしれない。何がどう作用して、どんな影響をおよぼすのか、その知られざる「大気の世界」を知ることが、人類の未来を左右するのだということをつくづく痛感させられる。
マイクロプラスチックはそのままだと人体への影響は大きくありませんが、太陽光照射によって劣化すると有害物質が放出されるようになります。たとえば、太陽光照射で劣化したポリエチレンテレフタレートから生じるテレフタル酸は、呼吸器系に障害を引き起こします。さらなる問題は、マイクロプラスチックに吸着している物質です。有機物であるマイクロプラスチックは他の有機物と親和性が高いため、有害な有機化合物であるPCB(ポリ塩化ビフェニル)、ダイオキシン、多環芳香族化合物なども、マイクロプラスチックによく吸着します。いずれも発がん性をもち、内分泌かく乱物質でもあるため、がんの発症や胎児発生時の性機能への影響が懸念されます。
もちろん微生物細胞も有機物なので、マイクロプラスチックに好んで吸着します。実際、大気中で見つかったマイクロプラスチックに微生物が付着しているのが顕微鏡で観察されました。このマイクロプラスチックは衣類の繊維片であり、アルプス上空で捉えられており、かなりの距離を風で運ばれたと考えられます。
小さく、軽く、無防備ゆえに、さまざまな影響を受ける大気微生物だが、おそらく人類と共倒れになることはないだろう。そのたくましさを感じずにいられない記述も、本書には多く用意されている。空の上でも、雲の中でも、海の上でも、彼らは生きていける。ひょっとしたら、宇宙にも飛び出していけるかもしれない。
火山噴火では、地中深くの地殻粒子も大気中へと押し出されます。深さ1km以深の地中にも、微生物が生息しており、メタンや水素を栄養に数ヵ月あるいは数年に1回の分裂速度で増殖します。このような微生物も、休眠して生命を維持できるなら、無機物しか存在しない惑星で粘り強く生命を維持できそうです。実は、宇宙からみて一番遠そうな火口や地底の微生物が、地球上では最も宇宙に近い生物なのかもしれません。
「逆パンスペルミア説」というキャッチーなフレーズとともに、その可能性を展開する仮説は、生命のロマンに溢れていて楽しい。「人類が滅びても、大気微生物は大丈夫!」という希望も抱けるかもしれない。そして、本書を読んだら、ぜひ山や森のある自然豊かな場所まで足を伸ばして、深呼吸してみてほしい。いまはまだ私たちと親しく付き合ってくれている隣人たち=大気微生物の存在を、より身近に感じられるはずだ。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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