「友達も来ていないし、学童保育はつまんないんだよね」
保育園には楽しそうに通っていたのに、学童保育はつまらない……。大人びた言い方をする小1男子の言葉が耳に残り、翌日、私はご迷惑をかけたお詫びをしようと学童に行ってみました。先生方は紳士的で、非常に親切で好印象。でも、子どもたちの過ごし方をしばらく見ていて、「なるほど。これはつまらないという気持ち、よくわかるな」と思ったのを覚えています。
保育園も学童保育も親の仕事の都合で「預けなければならない」場所ではなく、子どもが「行きたい!」と思える場所であることが大切です。子どもにとってそこにいる時間がつまらないものであれば、放課後時間が苦痛になってしまいます。実際、「はじめに」でも書いたように、私の長男は通っていた学童から脱走してしまいました。
だからこそ、学童保育に関わる大人たちは子どもたちが毎日を楽しみながら過ごせる環境づくりを第一に考えています。子どもが楽しんでいれば、保護者の方も「自分のキャリアのために預けている」といったネガティブな意識を持たずにいられます。
本書では、その放課後時間の大切さ……子どもたちにとって必要な「学校教育以外の学び」を身につけられる時間の重要性を説きつつ、著者が民間学童保育の経営者として実践する多彩なプログラムの数々を紹介していく。先述の「非認知能力」「人間力」とは何か、それらを伸ばすためにどうすればいいかという具体的な解説も興味深い。いままさに子育てに取り組んでいる人はもちろん、現代の教育のあり方について考えたい人にも一読をすすめたい1冊だ。
たとえば「キッズベースキャンプ」のプログラムのなかには、川遊びやキャンプなど、自然と触れ合う機会も大事なイベントとして用意される。ケガをする可能性など、ある程度の危険はつきものだが、それも子どもたちにとっては必要なことだと著者は説く。
安全と楽しさは、時としてトレードオフの関係です。心配する大人の過度な安全管理は子どもの自由を奪い、楽しさと成長の機会を失わせてしまいます。逆に、楽しさだけを追求すると危険が増していく。
大切なのは、このバランスを見極めること。私たちは安全を確保しながらも、主体者である子どもたちの「やってみたい」という気持ち、自己決定する自由を尊重しながら、その思いを実現できる場を用意します。そうすることで、子どもたちは自然と成長の階段を上っていってくれるのです。
これは子どもたちが自分の力で一つの街を作り上げる取り組み。模擬店の企画から準備、運営まで、すべてを子どもたちが担い、販売する商品、店の装飾、接客の仕方まで話し合って決めていきます。
ビジネスとして本気で取り組みますから、売り上げ目標を設定し、店長・副店長・販促担当などの役割分担を決め、接客の練習などを行い当日に臨みます。会場内では疑似通貨である「ケビィ」を流通させ、子どもたちが保護者をはじめとする大人のお客さんを出迎えるのです。
著者は大人として、あくまでも子どもたちの自主性を重んじ、知識や経験を吸収して成長していく子どもたちの「手助け」をするという姿勢を貫く。これもやはり、保護者や学校などが見失いやすい部分ではないだろうか。
子どもを一人の人格者として捉え、子どもには子どもなりの思いがあり、考え方があり、やりたいことがある。それを尊重する姿勢を持ち続けることで、初めて本当の対話が生まれます。その上で、「自分で発見した」「自分で答えにたどり着いた」という経験を積むことが、子どもの大きな自信になるのです。
それは人間力の土台となる自己肯定感を高めてくれます。
「遊んでいる時間がもったいない。もっと勉強してもらいたい」
(中略)
親がやきもきする気持ちはわかります。でも、本当に遊んでいる時間はもったいないのでしょうか?
私はそうは思いません。子どもの学力向上には、非認知能力が大きく関わっています。なぜなら、学習の動機となる知的好奇心や探求心を育むことが大切であり、さらに重要なのは自律心です。どれだけ頭が良くても忍耐力や行動をコントロールする力(本能的欲求を理性でコントロールする力)がなければ、学力は伸びていきにくいからです。
実は人間力を育むきっかけ作りで最も重要なのは、私たち大人の日常的な振る舞いにあるのです。ただし、ここで注意したいのは、私たち大人が完璧を目指す必要はないということ。完璧を装おうと無理をすると、子どもへの価値観の押しつけになってしまいかねません。
大切なのは、子どもと一緒に成長していこうという姿勢です。子どもに「こうあるべき」と教え込むのではなく、日々の生活の中で、少しでもよい姿を見せること。それが子どもの人間力を育むための、最も自然なきっかけとなるのです。