とはいえ、戦国大名たちはただ戦いに明け暮れていただけではない。国同士の「和睦」や「同盟」も重要な仕事であり、国のトップたる者の資質として「外交力」が試されるポジションでもあった。本書は、そんな時代の大名間の外交のありようを描き出した一冊である。著者は日本中世史・古文書学を専門とする歴史学者。血なまぐさい合戦絵巻や有力者たちの権謀術数、情無用のパワーゲームなどを活写する戦国史とは一線を画した内容となっており、歴史マニアはもちろん、当時のディテールを知りたい時代作家も読んでおくべき1冊といえよう。
国同士の外交において、大名に代わって実際に交渉をつとめたのは「取次」と呼ばれる人々だった。いわゆる外交担当に当たる者が契約内容と条件を固め、互いに合意に近づいたところで「起請文」という文書が取り交わされ、そこに取次による「副状(そえじょう)」を添えたうえで、ようやく大名間で最終契約が締結される……といったやりとりが頻繁に行われていたという。この起請文のフォーマット、使われた紙の形式、実物の図版なども本書には掲載され、とても興味深い。
起請文は、「前書(まえがき)」と「神文(しんもん)(罰文(ばつぶん))」によって構成される。まず、文書の柱書(はしらがき)(題名)として「起請文之事」などという文言が最初に書き記される。そのうえで、誓約内容を書き連ねていく。これを「前書」と呼んでいる。
その後に、「この内容に偽りがあるようであれば神罰を蒙(こうむ)る」といった文言とともに、神々の名前が書き連ねられる。これを「神文」または「罰文」という。神文は、梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・四大天王(しだいてんのう)で始まることが多く、「惣而(そうじて)日本六十余州大小神祇(じんぎ)」や、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)といった一般的な神々の名前が書き連ねられていく。さらに、相互が特に信仰している神社名を書き加えるのが一般的であった。

戦国大名の一門・宿老というのは、非常に人数が多い。しかし、外交担当の取次としての活動を確認できるのは、ごく少数名に限られる。彼らは、大名家当主に対しても、家中に対しても、一定以上の発言力・規制力を確保した別格の存在であった。したがって、一門・宿老が外交取次を務めたのは、大名の発言を「保証」するという大きな役割を求められた結果と考えることができる。これは、決して側近には果たすことができない役割であった。
取次同様、使者にもこの大名にはこの人物、という役割分担があった可能性が高い。顔なじみの使者のほうが、交渉がスムーズに進むことは間違いないからである。
この点は、決して軽視することはできない。(中略)戦国時代に、直接会ったことがある他国の人物というのは非常に数が限られる。面識があるという人間関係は、極めて貴重なものであったのである。
つつがなく行われた交渉例だけでなく、唖然とするほどトリッキーな歪みを生じた事例にも当たることで、当時の外交のようすも逆にはっきり見えてくる。まるまる一章を割いて取り上げられる薩摩の戦国大名・島津義久(しまづよしひさ)、取次となって暗躍した島津家久(いえひさ)・上井覚兼(うわいかくけん)らのくだりは、非常に印象深い。当主の意思を無視した独断専行、ほとんど癒着に近い水面下での予備交渉など、大名のみならずその下に属する者それぞれが「一国の主」だった戦国時代ならではの混乱がつぶさに語られる。
島津家久は、国衆を従属させる際には、独断で事前交渉を行ったばかりか、場合によっては虚偽の報告をすることも辞さなかった。上井覚兼は、国衆を保護するためには、大名である島津義久の意向にさからって、指揮下にある軍勢の出陣を中止させたうえ、独断で援軍派遣を実施しようとまで考えた。これはすべて、取次としての外聞を重んじた結果である。
いったいどうして、ここまで取次の考えと、大名の意向に乖離が生じてしまったのだろう。それは、取次にとっての交渉相手は、何度も接触を重ねて契約を結び、保護を加えることを誓った対象であったのに対し、大名にとっては、いまだ従属を果たしていないほとんど無関係の相手であった、ということに原因がある。
現代に置き換えてみれば、国同士とまではいかなくとも、企業間の提携契約に近いものとして考えることもできるだろう。一種のビジネス書として読んでも差し支えなさそうだが、そこには「戦国時代の時代性」というものがある。簡単に現代のルールやモラルなどの物差しでは置き換えられない部分もあり、そこが歴史書としての面白さでもある。
本書の原本は2013年、講談社選書メチエの1冊として刊行された。今回の文庫化にあたり、新たに「武田・徳川同盟の成立と決裂」「外交から考える本能寺の変」「取次の失態が招いた小田原合戦」などの補論とコラムが追加されており、いずれも興味深い内容である。すでに2013年版を読んだ方にも、再読をおすすめしたい。