今日のおすすめ

PICK UP

2025.05.13

レビュー

New

本能寺の変、小田原合戦の前夜……緊迫する外交現場を文書から読み解く

戦国時代、全国各地で権勢を振るう大名たちが飽くことなく合戦を繰り広げていた状況を、後世の人は「群雄割拠」などと勇ましく表したりする。しかしその実、言うなれば日本中に異なる王が君臨する独立国家がはびこっているような、バラバラの状態だった(現在もそれに近い状況の地域もあるが)。

とはいえ、戦国大名たちはただ戦いに明け暮れていただけではない。国同士の「和睦」や「同盟」も重要な仕事であり、国のトップたる者の資質として「外交力」が試されるポジションでもあった。本書は、そんな時代の大名間の外交のありようを描き出した一冊である。著者は日本中世史・古文書学を専門とする歴史学者。血なまぐさい合戦絵巻や有力者たちの権謀術数、情無用のパワーゲームなどを活写する戦国史とは一線を画した内容となっており、歴史マニアはもちろん、当時のディテールを知りたい時代作家も読んでおくべき1冊といえよう。

国同士の外交において、大名に代わって実際に交渉をつとめたのは「取次」と呼ばれる人々だった。いわゆる外交担当に当たる者が契約内容と条件を固め、互いに合意に近づいたところで「起請文」という文書が取り交わされ、そこに取次による「副状(そえじょう)」を添えたうえで、ようやく大名間で最終契約が締結される……といったやりとりが頻繁に行われていたという。この起請文のフォーマット、使われた紙の形式、実物の図版なども本書には掲載され、とても興味深い。
起請文は、「前書(まえがき)」と「神文(しんもん)罰文(ばつぶん)」によって構成される。まず、文書の柱書(はしらがき)(題名)として「起請文之事」などという文言が最初に書き記される。そのうえで、誓約内容を書き連ねていく。これを「前書」と呼んでいる。
その後に、「この内容に偽りがあるようであれば神罰を蒙
(こうむ)る」といった文言とともに、神々の名前が書き連ねられる。これを「神文」または「罰文」という。神文は、梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・四大天王(しだいてんのう)で始まることが多く、「惣而(そうじて)本六十余州大小神祇(じんぎ)」や、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)といった一般的な神々の名前が書き連ねられていく。さらに、相互が特に信仰している神社名を書き加えるのが一般的であった。 
取次は確固たる個別の役職だったわけではなく、大名の一門・宿老の者が適宜その役目を引き受けていたという。同盟や和睦といったやりとりは一国の和平を左右し、時には存亡をかけた大事業にもなるわけで、当然ながら軽々しく託せない重職でもあった。それだけに見返りも大きかったようだ。著者は現存する史料や文献から、その詳細を割り出していく。
戦国大名の一門・宿老というのは、非常に人数が多い。しかし、外交担当の取次としての活動を確認できるのは、ごく少数名に限られる。彼らは、大名家当主に対しても、家中に対しても、一定以上の発言力・規制力を確保した別格の存在であった。したがって、一門・宿老が外交取次を務めたのは、大名の発言を「保証」するという大きな役割を求められた結果と考えることができる。これは、決して側近には果たすことができない役割であった。
また、取次とは別に、相手方へ直接伝達に赴く使者という存在もいて、彼らもまた多くの役割と重責を担っていた。機密に近い内容は文書に記さず、使者が口頭で伝える場合も少なくなかったようで、それだけに礼儀作法や伝達力・コミュニケーション能力の高さ、取引先でのいい加減な言動や裏工作などをしない人間的信用なども求められたはずである。また、大名たちは交渉相手によって取次や使者の人選も適宜変えていたのではないか、と著者は指摘する。
取次同様、使者にもこの大名にはこの人物、という役割分担があった可能性が高い。顔なじみの使者のほうが、交渉がスムーズに進むことは間違いないからである。
この点は、決して軽視することはできない。
(中略)戦国時代に、直接会ったことがある他国の人物というのは非常に数が限られる。面識があるという人間関係は、極めて貴重なものであったのである。
使者は時には敵国を通過しなければならない危険なミッションでもあったが、武田氏や北条氏は、その役割を山伏(やまぶし)に託したことがあったという記述も面白い。山伏本来の役割である伊勢・熊野参詣の案内が戦乱によって困難になり、使者を務める機会が増えたのだという理由もまた戦国時代らしい。

つつがなく行われた交渉例だけでなく、唖然とするほどトリッキーな歪みを生じた事例にも当たることで、当時の外交のようすも逆にはっきり見えてくる。まるまる一章を割いて取り上げられる薩摩の戦国大名・島津義久(しまづよしひさ)、取次となって暗躍した島津家久(いえひさ)・上井覚兼(うわいかくけん)らのくだりは、非常に印象深い。当主の意思を無視した独断専行、ほとんど癒着に近い水面下での予備交渉など、大名のみならずその下に属する者それぞれが「一国の主」だった戦国時代ならではの混乱がつぶさに語られる。
島津家久は、国衆を従属させる際には、独断で事前交渉を行ったばかりか、場合によっては虚偽の報告をすることも辞さなかった。上井覚兼は、国衆を保護するためには、大名である島津義久の意向にさからって、指揮下にある軍勢の出陣を中止させたうえ、独断で援軍派遣を実施しようとまで考えた。これはすべて、取次としての外聞を重んじた結果である。
いったいどうして、ここまで取次の考えと、大名の意向に乖離が生じてしまったのだろう。それは、取次にとっての交渉相手は、何度も接触を重ねて契約を結び、保護を加えることを誓った対象であったのに対し、大名にとっては、いまだ従属を果たしていないほとんど無関係の相手であった、ということに原因がある。
ブレーキを失った地方政治の一例と考えれば、いまの日本と変わらないものも感じさせるし、やたらと根回しが好きな日本人の性格も、この時代に多くが築かれたのだろうかと想像せずにいられない。そして、こうした無秩序が発生しやすい時代だからこそ、豊臣秀吉や徳川家康が「天下統一」に全力を傾けた心理にも納得してしまう。

現代に置き換えてみれば、国同士とまではいかなくとも、企業間の提携契約に近いものとして考えることもできるだろう。一種のビジネス書として読んでも差し支えなさそうだが、そこには「戦国時代の時代性」というものがある。簡単に現代のルールやモラルなどの物差しでは置き換えられない部分もあり、そこが歴史書としての面白さでもある。

本書の原本は2013年、講談社選書メチエの1冊として刊行された。今回の文庫化にあたり、新たに「武田・徳川同盟の成立と決裂」「外交から考える本能寺の変」「取次の失態が招いた小田原合戦」などの補論とコラムが追加されており、いずれも興味深い内容である。すでに2013年版を読んだ方にも、再読をおすすめしたい。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

おすすめの記事

2023.11.08

レビュー

日本史だけじゃわからない! 大友義鎮ほか戦国大名たちの野心あふれる海外進出

2023.02.24

レビュー

戦国の主役は大名でも武将でもない。時代を動かした庶民の生存戦略とは?

2020.07.14

レビュー

銭がなくては戦はできぬ。1回の合戦費用、1億円!! お金から読み解く戦国時代

最新情報を受け取る