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2025.03.11

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キリスト教最大のライバルと言われた「ミトラス教」はなぜ栄え、なぜ滅んだのか?

映画『グラディエーター』(2000年)では悪役として登場するローマ帝国の暴君コンモドゥス帝(在位180~192年)は、さまざまな宗教の儀式を勝手に独自解釈し、血なまぐさい残虐行為にアレンジして楽しんでいたという。当時のローマはそれだけ多種多様な宗教が混在しており、カオスとも言える状況だったそうだ。そのなかでも多くの信者を持ち、帝国領に広く流布していたのが、ミトラス教。本書はその謎に包まれた実態に迫った1冊である(なお、この時代にはキリスト教もまた「異教」として扱われていた)。

本の表紙を飾るのは、牡牛を刃物で殺す男性という物騒な彫像だが、これがミトラス教のシンボルだった。さらに詳しい周辺情報(神話のディテール)が彫り込まれた遺物も残っている。
図2 牡牛を殺すミトラス神a(上:ローマ市出土)、b(下:レバノンのサイダ出土)
図2 牡牛を殺すミトラス神a(上:ローマ市出土)、b(下:レバノンのサイダ出土)
図2a
Philippa Adrych, Robert Bracey, Dominic Dalglish, Stefanie Lenk, Rachel Wood, Images of Mithra, Oxford: Oxford University Press, 2017,p. 16.

図2b
Reinhold Merkelbach, Mithras, Königstein/Ts: Hain,1984, p. 279.
ミトラ神は、ローマ帝国では太陽神と同一視され、「不敗の太陽神ミトラス(Sol Invictus Mithras)」としばしば呼ばれ、牡牛を殺す独特の姿で彫像や浮彫に表された(図2)。マントを翻して、先の曲がったフリュギア帽子を被ったミトラ神は若々しい神で、片膝をついて牡牛の上に乗り、左手で牡牛の首を引き寄せ、右手でその首に短剣を突き刺している。牡牛から流れ出る血には、犬とヘビがとびかかり、性器にはサソリが取りつく。
このシンボルからしてすでにカオスな印象を与えるが、本書ではこの図像が意味するところ、宗教としての起源、推定される発生地・発生時期、信者数を増やしていく過程などが、過去の研究者の論考をふんだんに交えてディテール豊かに語られる。だが、大昔に滅び去った異教の研究、特にミトラス教の全貌を掴むことは、決して容易なことではないという。
しかしその推定される勢力と裏腹に、ミトラス教の実態がよく分かっていない根本的な原因には、史料の問題がある。ミトラス教には、神像や神殿の遺構などを初めとして、考古学的な遺物は豊富に存在している。例えば、「牡牛を殺すミトラス神」だけで七〇〇ほど発見されているのである。しかし一方で、教義を記した文献はほとんど残っていない。教徒自身の手になるものは、奉納物に書かれた碑文が主たるもので、その数は一〇〇〇ほどあるものの、短文であり、情報量は少ない。その他には、敵対していたキリスト教徒や、あるいは逆に共感を抱いていたとおぼしき新プラトン主義の哲学者などによる言及があるが、これらもごくわずかである。
「このような史料状況では、異論のない結論に達することはほとんど不可能」とまで著者は言い切る。とはいえ、現存する遺物から浮かび上がるミトラス教の世界観は、現代の我々の目から見ても非常に興味深い。「なぜこれが多くの信者の心を掴んだのか?」という疑問も含めて。
この世に岩から生まれたミトラス神は、まず太陽神と力比べをして勝利し、同盟を結ぶ。その後、アフラ・マズダーが創造した最初の生き物である牡牛を捕らえて洞窟に連れて行き、太陽神の命令を受けて、これを殺害する。
以上は、ミトラス教研究の土台を築いたフランツ・キュモンの解釈による、神話の一部分(前掲の「牡牛殺し」の場面も含む)。このあと、瀕死の牛の体からは薬草や植物が生まれ出て、大地を緑で覆い、脊髄からはパンのもとになる麦、血液からは飲料のもとになるブドウが芽を出し、こうしてミトラス神は「すべての役に立つ存在の創造者」となる……という壮大な展開が待ち受ける。それから、ミトラス神は人間を悪の勢力から守ったり、自然災害から救ったりするが、これらの物語には古代オリエント宗教の影響が色濃いという。そして、その発生源はローマ市内ではないか、というのが著者の見立てだ。
では、ミトラス教はどのようにして一世紀にローマ市で誕生したのだろうか。ミトラス教は、最初期の段階で既に「牡牛を殺すミトラス神」の像や「父」や「ライオン」の位階制度、洞窟状の神殿などを有しており、相当完成された形で姿を現していた。このことは、ミトラス教が、時間をかけて形成されたものではなく、一人の教祖の手によって密儀宗教として一気に創り出されたものであることを想像させる。
この奇抜な神話に魅了され、各地に神殿を建造するほど支持したのは、どんな人々だったのか。その考察も、ローマ帝国領内における教徒の分布図と合わせて読んでいくと、また興味深い。
地図II-3 ミトラス教の分布
地図II-3 ミトラス教の分布
地図
Manfred Clauss, Mithras, Kult und Mysterium, Darmstadt: Zabern, 2012, p. 13.
信者の多くを占めていたのは、兵士と奴隷、ないし解放奴隷である。
ミトラス教の主な信者は男性で、そこには現代のミソジニーも連想させるような思想性があったようだ。神話では、岩から生まれたミトラス神は「女の種族を憎んでいた」「母親がいないだけではなく、配偶神も存在しなかった」という。

また、密儀宗教としての特質もなかなか独特である。入信の際には過酷な試練が課されたそうで、そこにも男性的な軍事教練風マゾヒズムや、痩せ我慢を好むマッチョイズムを感じなくもない。
洞窟状の神殿で行われた入信の儀式については、四世紀の教父ナジアンゾスのグレゴリウスがミトラス教の「拷問」としてたびたび言及しているが、六世紀初めの修道士ノンノスによれば、ミトラス教では、八〇もの試練が課された。最初に五〇日間ほどの断食が求められ、これに耐えれば二日間、熱にさらされ、次いで雪のなかに二〇日間入れられ、試練は段階を追って厳しくなっていったという。
どこまでも男性主体の宗教であったことを伝えるディテールを知れば知るほど、ホモソーシャルな秘密クラブ的な匂いもしてくる。地域差こそあれ、広大な帝国領内にこれだけ多くの信者が分布していたという研究結果を見ると、思わず現代のアメリカ合衆国の政治状況も思い浮かべてしまう。
おそらく、この神が奴隷や兵士たちに特にアピールした最大の要因は、高等教義とも言える魂の教説ではなく、彼ら自身を彷彿とさせる、孤独と忍従を強いられながらも、仲間と協力して、偉大なことを成し遂げるその神の姿にあったのではないか。実際問題としても、ミトラス教徒は各地で信者組織を形成していた。そのため、仮に家族から引き離されて見知らぬ土地に売り飛ばされても、あるいは異動になっても、そこには同じ哀しみを共有できる仲間がいたことになる。この点も、自らに重ね合わせることのできる神の姿に加えて、ミトラス神の大きな魅力であったに違いない。
それでも、ミトラス教はキリスト教のように爆発的拡大を実現することはなかった。コンスタンティヌス帝の「ミラノ勅令」(313年)によってキリスト教が公認され、異教の時代が終焉を迎えたことなど、その要因はさまざまにある。何よりも、この宗教自体が持つ性質ゆえに、普遍性を獲得するには至らなかったという分析が鋭い。翻って、キリスト教がいかに強大な“計画性”をもって広められたのか、ということにも思いを馳せずにいられない。
ミトラス教は、キリスト教のように宣教師を各地に派遣して、積極的な布教活動を行うようなことはなかったし、その拡大はあくまでも人と人との自然な接触を介するものであった。男性にしか入信を認めていなかったミトラス教は、キリスト教とは異なり、そもそも宗教世界の制覇などは目指していなかったのである。
むしろ、キリスト教ではなく、ミトラス教と「ある別の団体」との類似性を指摘する終章には、思わず膝を打つ。ぜひ本書をじっくり読んで確かめてほしい。

西洋古代史を専門とする著者の硬質な筆致に、最初は怯む読者もいるかもしれないが、読み進めるほどに面白さは増していく。そして、読み終わったところから再び最初に戻って読み返すと、また一段と理解度が増す……そんなふうに繰り返し味わえる1冊である。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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