本書を紹介するにあたって、まずは以下の2つのフレーズをご紹介したい。
「男と女は誤解して愛し合い、理解して別れる」
このフレーズは本書の中に収められている数多くのエッセイのタイトルのうちのひとつであるが、著者、島地勝彦自身の数多くの濃密な恋愛経験を「修羅場」というふるいに掛けて残った世にも美しい恋愛の法則ではないだろうか。古今東西の普遍的な「男と女の色恋沙汰」が見事に集約されている言葉と思う。
そして、「人生は恐ろしい冗談の連続である」
これは著者が数多くのメディアで何度も語っている有名なフレーズである。本書の一番最初のエッセイにもあるが、著者の「人生って何ですか?」という問い掛けに師匠である今東光大僧正が「人生は冥土までの暇つぶしや」と即答しているが、それと同様の著者なりの人生観を表現した言葉が「人生は恐ろしい冗談の連続である」と理解できる。しかし、一見ジョークにしか聞こえないこの言葉の真意を理解できる者は少ないのではないだろうか。
本書を読み解けばミッシングパーツとも言えるヒントが数多く隠れされていることに気づくだろう。著者は本書の執筆当時68歳であったが、長きに渡る編集人生において常に順風満帆であったかと言うと決してそうではなかった。1990年代末からの出版不況を、ある時は編集長、ある時は役員の立場で雑誌の廃刊宣言など身を切られるような思いを経験している。また60代半ばに差し掛かると大腸がんの闘病生活、67歳では心臓冠動脈のバイパス手術と2度も死の淵に立っているのである。さらにはご令嬢の早すぎる死といった親として胸が張り裂けるような辛い思いもされているのだ。これら予想もしえない数多くの修羅場を経験したことで「人生は恐ろしい冗談の連続である」というフレーズに辿りついたのではないだろうか。
なぜ僕が処女作である本書を強くお薦めするのか。それは40年以上にも及ぶ濃厚で刺激的な編集者人生に裏打ちされた数多くの金言や寸鉄をエッセンスとして味わいながら、辛く悲しく苦しい修羅場の経験をも冗談にしてしまう潔さ。否、男の勲章にしてしまう心意気を十二分に感じとることができるからである。そして、我々読者が元気よく前を向いて人生を歩んでいくための道標にもなってくれることだろう。塩野七生先生が書いた紹介文にあるように、ベッドのそばのサイドテーブルにでもおいて、元気のない夜にでも読んでみては如何だろうか。目の前を覆ってた霧がぱっと晴れて、きっと視界良好になるに違いない。
なお、本書のタイトルとなった『甘い生活』は、著者が18歳の時に鑑賞したと言われるイタリアの名作映画『甘い生活(La dolce vita)』から名づけられている。
作家崩れの大衆芸能紙の記者である主人公マルチェロが、アランドロン並の甘いマスクで、毎夜パーティーに集う美女たちを次々に誘惑していくという男なら一度は演じてみたい役どころであり、18歳の島地少年はまさにこのマルチェロに憧れて、編集マンを志したそうである。その成果に関しては、新宿伊勢丹メンズ館8階にあるサロン・ド・シマジにて毎週末にバーマンをやっている本人に直接尋ねてみてはいかがだろうか。僕は恐れ多くてとてもできないが。
レビュアー
1965年、三重県生まれ。小池一夫、堤尭、島地勝彦、伊集院静ら作家の才気と男気をこよなく愛する一読書家です。
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