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2025.01.22

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なぜ私たちは毎日眠るのか? 眠らなかったらどうなるか? 睡眠の謎に迫る科学ミステリー!

生物はなぜ眠るのか? ……時として自明のことだと思い込み、素通りしてしまいがちな問題にも、根本から真摯に目を向けるのが科学の役割である。本書は「睡眠」にまつわる謎、そこに広がる深遠な世界を覗かせてくれる1冊だ。

著者は九州大学理学部生物学科を卒業し、現在は東京大学大学院に在籍する現役の大学院生。1998年生まれの20代という若さで、最初の著書となるこの本を書き上げた。彼の専門分野である「睡眠科学」――生物の睡眠のメカニズムについては、これまでさまざまな研究や実験が行われてきた。本書ではそれらの先人たちによる功績を辿りつつ、著者が独自に行った研究についても紹介される。この研究結果をまとめた論文は、2020年10月にアメリカの科学誌「Science Advances」に掲載され、大きな反響を呼んだ。その研究内容は素人目から見ても非常に興味深い。

人間にとって、睡眠は欠かせない。ゆえに本書のテーマは誰しも興味を持ち得るはずである。なかには眠ることに興味がなかったり、あるいは寝る時間がもったいなくて、できればずっと起きていたいと願う人もいるだろう。それでも「眠らない人間」は存在しない。なぜか? 人間にかぎらず、動物は眠らないままでいると、どうなってしまうのか?

以下は、シカゴ大学のアラン・レヒトシャッヘンらにより行われたラット(ネズミ)を用いた断眠実験の紹介箇所だ。脳波計をつけたラットを可動式の円盤の上に載せ、ラットが眠ると自動的に円盤が回転し、水を張った受け皿に落ちるという仕組みで、文字どおり「眠りを断つ」苛酷な実験である。
断眠ラットは、どんな経過を辿ったのだろう。レヒトシャッヘンらの観察によると、断眠ラットは、食事量が増えた一方、体重は減少した。さらに、皮膚の傷が目立ち、足の腫れが見られるようになって、断眠を始めてから二~三週間で、死んでしまったのである。
なんとも不憫な実験結果だが、かつて人間でも自らを実験台にして「最長断眠記録」に挑んだ若者がいたという。その残酷な結果も紹介されているが、改めて睡眠の大切さを思い知らされること必至である。

睡眠が不足したとき、眠らせようと抗う力のことを「睡眠圧」と呼ぶそうだ。退屈な話を聞かされているとき、あるいはつまらない映画を観ているときなどに、猛烈な眠気に襲われることがあるが、その体験を思い起こすと実にしっくりくるネーミングである。そして、この「睡眠圧」と、もうひとつの要因が重なって眠りのメカニズムは成立するとした理論が、スイスの研究者アレキサンダー・ボルベイが提唱した「睡眠の二過程モデル」。睡眠科学の基礎とされている理論だ。
「睡眠圧」は起きている代償として、高まるものである。起きている間に高まった「睡眠圧」が、眠ることで解消される。もし、「睡眠圧」だけで、睡眠がコントロールされていたとしたら、私たちは昼も夜も構わず、眠気が一定のところまで溜まった途端に、眠りに落ちてしまうことだろう。「睡眠の二過程モデル」では、「睡眠圧」と「体内時計」の掛け合いによって、眠りにつくタイミングが決まるとした。
体内時計は動物にも植物にも存在することが約300年前の観察記録ですでに報告されているが、のちにそのサイクルを作り出すのは細胞内の遺伝子であることが発見された。また、作家の色川武大が長年悩まされたことで知られるナルコレプシーという睡眠障害も、オレキシン受容体2型と呼ばれる遺伝子の変異によって起きることが解明されている。著者は「睡眠のしくみは、遺伝子で説明することができるかもしれない」と考え、それがのちの発見に繋がっていく。

なお、この本では睡眠科学研究の歩みと並行して、幼い頃から研究者を目指していたという著者の半生も語られる。ちょっとした青春小説の趣もあり、1人の人間の成長記としても魅力的だ。

小学生の頃から蝶の観察に夢中だった著者は「クロアゲハはいつ眠るのか?」という疑問を持ち、そこから生物の睡眠について興味を抱くようになる。そして、大学で出会った新たな研究対象が、ヒドラだった。ヒドラは0.5~1センチメートルほどしかない小さな淡水生物で、クラゲやイソギンチャクと同じ「刺胞動物」の仲間である。伸縮する胴体と長い触手を持ち、微生物を食べて生きているが、脳を持たない。その上、バラバラに切り刻まれても欠片から再生し、個体を増やしていくという驚異的な再生能力を持つ。

そんな不思議な生物が、まるで「眠っている」ように見える瞬間を、著者は発見する。そのまま見過ごしても不思議ではない光景に、根っからの観察者ならではの視点で「何か」を見出す場面は、抑えた文体ながらドラマチックな印象を残す。
睡眠は脳を主体にして起こる現象であり、脳内で調節されているという考え方が、一般的なのだ。
でも、ヒドラのように脳をもたない動物だっている。はたして脳がなければ、眠らないのだろうか。
(中略)「ヒドラが眠るのか」という問いは、すなわち「睡眠には脳が必要なのか」という睡眠科学の常識への挑戦だったのだ。
こうして著者の研究がスタートする。この研究過程を描いた箇所は、さすが当事者だけあって筆致も力強く、静かな興奮が伝わってくるかのようだ。特に、断眠実験を施したヒドラから、マイクロアレイという解析技術を用いて断眠に反応を示した遺伝子を発見するくだりは、科学読み物としても、謎解きミステリーとしても面白い。
断眠に応答する二一二個の遺伝子。三万個ほどある遺伝子のうち一パーセントにも満たない。パソコンの画面で遺伝子のリストを下へとスクロールしていきながら、知らない遺伝子を見つけると遺伝子のデータベースで検索し、その機能を調べてみる。
ある場所でスクロールする手が止まった。
さながら小説のクライマックスのようだが、話はここで終わりではない。この研究のあと、著者はまた新たな領域に踏み込んでいく。それは「睡眠」と対をなす、さらに巨大なテーマだ。
歴史を遡ると、おそらく最も初期に睡眠を科学的に考えたアリストテレスは、次のような言葉を残している。「睡眠は、動物の保存のためのものであり、動物にとって必要なものだが、覚醒こそが究極の目的である」。睡眠について研究することは、それ以外の起きている時間、つまり「覚醒」に目を向けることにつながる。
読み終える頃には、著者の今後の活躍と、生物学のさらなる進歩に期待せずにいられない。いまや大荒れの世界情勢だが、若い世代にも希望を託せる未来をこの本で感じられたら、少しは安心して眠れるのではないだろうか。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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