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2025.01.17

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数学界に衝撃を与えた難題。ゲーデルとチューニング、2人の天才はなにを証明したのか。

この本を読めば、今日からあなたにも不完全性定理のすべてがわかる!

……などと簡単に言えないくらいの代物であることは、少しでも数学に詳しい人なら知っていることだろう。何しろ本書内においても、この定理を完全に理解したうえでスラスラ解説できる数学者はとても少ないと言われるほどだし、「ゲーデルの不完全性定理は好きじゃない」と公言する数学者まで登場する。

それでも、著者はエベレスト級の巨峰に立ち向かうかのごとく「入門編」の執筆に挑む。その目指すところを、著者はこう語る。
この本では、物理学と哲学を少々専門的に勉強したことのあるサイエンス作家が、かつて読み耽(ふけ)った教科書を復習しつつ、読者とともに、不完全性定理を紐解(ひもと)いてゆく。自分が学生のときに、よくわからなかった点も、今回はしつこく追究し、読者を「中級の一歩手前」くらいまで導くことが最終目標だ。
きっとこの本を手に取る人は、数学に興味があり、難物と名高い不完全性定理を理解したいと思う人が大半だろう。だが、それ以外の読者にも本書は知的エンターテインメントとして楽しめる内容だ。

ちなみに当方もまるっきりの文系である。なのになぜ本書に惹かれたかというと、副題の2人の人物の名前を聞いたことがあったから。ゲーデルの名は押井守監督の映画『トーキング・ヘッド』(1992年)で、チューリングのことは彼の実人生に迫った映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)で知った。また、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』(2023年)で、科学者の脳内世界というものに惹かれたことも大きい(なんとゲーデルも劇中チラリと登場する)。その程度のきっかけでも、本書はかなり面白く読めてしまった。

どんな興味の持ち方でもいい。あとは読む側の「食らいつきの強度」の問題だ。

なお、タイトルからわかるとおり、この本は2013年に刊行された『不完全性定理とはなにか ゲーデルとチューリングの考えたこと』という書籍の「完全版」である。著者自身が「長年にわたり、心に刺さったトゲのような存在」だったと語る技術的な誤記などを改めて洗いだし、数学基礎論の専門家・湯山孝雄の協力を得て「旧著の不備を可能な限り摘み取った」という、現時点での決定版だ。また、巻末近くには『数学する精神 増補版 正しさの創造、美しさの発見』などの著書がある数学者・加藤文元(ふみはる)との対談を約30ページにわたって掲載。「変容の時代」を迎えた現在における数学基礎論の立ち位置が、数学界の今後も含めて語られ、これも非常に興味深い内容だ。

前置きが長くなったので、そろそろ本の中身の話に移ろう。本書では、メインディッシュたる不完全性定理そのものに到達するまで、なぜその定理が生まれたか、どのような学問的前提があったのかを懇切丁寧に説明していく。正確には、楽しく柔軟に、砕けた調子であちこち脱線しながら本題へと向かっていく。また、各章の冒頭には「微小説」とし、不条理ショートショートめいたストーリーが用意され、後々これが難解な理論や数式を理解しやすくする伏線として効いてくる。そんなふうに素人にも読みやすい配慮が貫かれているが、かといって砕けっぱなしというわけでもなく、読んでいて首がもげそうになるほど頷いてしまう記述も大いにある。たとえばこんなくだり。
余談になるが、数学にしろ物理学にしろ、革命的な理論が「わからない」と感じたときは、ふつうの教科書ではなく「歴史」を書いた本を読むと、目から鱗が落ちることがある。なぜなら、歴史的な視点で学問の発展を追うことにより、革命前夜の混乱と、革命後の整理整頓された知的状況が俯瞰(ふかん)できるから。当時の人々が抱えていた問題と、その解決、という構図が理解できて初めて、革命の意味が理解できる。
つまり、なぜ不完全性定理は生まれたか?という文脈の理解が、定理そのものの理解に最も役立つということだ。その生みの親となったのは、オーストリア・ハンガリー帝国出身の数学者・論理学者・哲学者のクルト・ゲーデル。彼はロシア人数学者カントールが編み出した対角線論法、さらに新約聖書の有名な「嘘つきのパラドックス」をヒントに、不完全性定理を提唱する(1931年)。
ゲーデルは、この嘘つきのパラドックスにヒントを得て、意味論から構文論へと舞台を変え、証明できるということと真であるということは別であることを示すために、「この命題は証明できません」ということを証明することにしたのだ。ぐるぐる循環し続ける「この文は嘘だ」から「この命題は証明できない」へ脱出する。そんな流れである。
もし、本当にそのような命題が存在することが証明できたら、大変なことになる。
結果的にゲーデルの定理は、バートランド・ラッセル卿という数学界の大家が立ち上げた「数学の公理化」という大事業を叩き潰すことになった。つまり、少なからず反権威的な匂いがする、尖ったナイフのような存在でもあるのだ(ちょっと言い過ぎかもしれないが、まさしくそこに魅力を感じる人もいるだろう)。それはたとえば、世界をひとつの論理やイデオロギーでくくろうとする気運に対して「待った」をかけることの重要性、カウンターの存在意義といったものを考えさせる部分でもある。

もちろん数学史という観点からも、ゲーデルが奇抜なアイデアでその定理を組み上げる過程にはスリリングな面白さが溢れている。そして本書の主役たる不完全性定理は、P117~119にかけて、ついにその姿を表す。著者も書いているが、この定理自体に興味がある読者は、ぜひノートと鉛筆を用意して検証に挑んでいただきたい。一度読んだだけでは理解できない難題だからこそ、冒頭からの入念な準備体操は必要だったのだとわかる。

革命的思考に必要なのは「飛躍」だという。ゲーデルが「証明できないということを証明する」理論を構築するために用いた手法=ゲーデル数はまさに飛躍そのものの発明だろう。しかし、これは現在のコンピュータにおけるプログラム言語に置き換えれば決して理解しにくいものではない、と本書は説く。その定理の真偽を考察するうえで、まったく異なるアプローチで証明しようとしたのが、ゲーデルとは6歳違いの英国の数学者アラン・チューリング。ここで「コンピュータの父」と後年いわれた天才が登場するのは、ごく自然とも宿命的とも思える。
チューリングは、公理や推論規則といった道具の代わりに「計算する機械」を考えたのである。その計算機械を「チューリング機械」と呼ぶ。
チューリング機械は、一言でいえば「コンピュータの原理」のことである。いや、「原理的なコンピュータ」というべきか。ようするに、誰もが使っているパソコンの内部でおこなわれている計算の本質というかプロセスを抽出した仮想的なコンピュータなのだ。
チューリングがその論文を発表したのは、1936年。パソコンが一般に普及した現代から振り返って、いつの時代の出来事かと考えると、その恐るべき飛躍的発想力がうかがえる。このチューリングの仮想コンピュータによる証明のくだりは、最終的に読者を本書のプロローグへと立ち戻らせる仕掛けになっていて、それもまた面白い。本書の読者は必要に応じて、何度も再読やページの往復を繰り返しながら楽しんでほしい。

本書後半では、ゲーデル、チューリングのあとに続いた数学者たちの“冒険”も紹介される。「あらゆることに例外はある」とか「すべての答えが理論で導き出されるとは限らない」とか、特に裏付けもないのになんとなく名言っぽく言うのは簡単だが、それを他ならぬ理論によって証明することは、一艘の小舟で大海に漕ぎ出すような冒険と言えよう。そのなかには、この本で「不完全性定理を一般読者にもわかりやすく理解してもらう方法」を追究した著者の試みも含まれているのではないだろうか。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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