法は、経済と並んで社会の基盤とされる。そして、現代社会においては、経済をも含めた社会のさまざまな機能、仕組み、また、権力ないしシステムと人々の関係は、法によって規制・規整されている。つまり、制度は法によって作られている。そのことを考えるなら、法は、最も基本的かつ重要な社会的インフラストラクチャーともいえる。
著者の言葉を借りると、「法意識」とは以下のようなものだ。
まずは、「法意識」について、法律学辞典的な定義をしてみよう。
「法意識」は、広く、法に関する人々の意識、すなわち、法に関する知識、感覚、観念、意見、信念、期待、態度等、法に関する各社会固有の傾向を包括的に表現するための言葉だ。
しかし、これでは抽象的な言葉の羅列で頭に入りにくいから、わかりやすい日常の言葉を用いて言い直してみよう。
「法意識」は、法に関する人々の知識、考え方や感じ方、また、それに対する態度や期待を包括的に表現するコトバである。
第1章では「法意識」について考えることの意味を、続く第2章では西欧法と日本法との違いを洗い出しながら、古代から近世、江戸、明治と各時代に分け、当時の法のかたちと人々の法意識について触れていく。中でも気になったのは以下のくだりだ。
日本では、外来法に由来し、あるいはそれから発展していった正規の法、つまり制定法(ないし判例法)は、基本的に統治と支配のための法であって、それらと人々の意識との間には、常に、大きな「溝、ずれ」があったといえる。
いいかえれば、一握りの為政者を除く多くの日本人にとって、法は、自らの意思で築き上げ、あるいは獲得したものというよりは、むしろ、その時々の事情により天から降ってくるようなかたちで与えられたものであった。
一方、裁判官になってからの著者が、留学準備のためにアメリカ法を本格的に学び始めた時のエピソードに膝を打った。海外の法を学習する中で著者は、「『憲法が、人権擁護と法の支配のために、権力を厳しく規制、制限するものだ』ということを初めて実感として理解した」という。そう、憲法は私たち国民ではなく、権力の側を縛るためのもの。私もこの事実を知った時にはひどく驚いたし、「為政者が憲法を変える」ことの重大さが、初めてわが身に迫った瞬間でもあった。
1954年生まれの著者は、東京大学法学部を卒業したのち裁判官となった。1979年から33年間にわたり、約10,000件もの民事訴訟を手がけた。多忙な日々を送る中で研究や執筆活動を続け、2012年に明治大学教授に就任した後は、民事訴訟法・法社会学の専門家として活躍し、多数の著書も発表している。
さて第4章以降では、婚姻や離婚、親権、不貞、事実婚、同性婚といった私たちの生活に直結するテーマや、犯罪や刑罰、冤罪といった刑法や検察に関わる問題、さらには所有権や契約といった民事訴訟を巡る話が各章ごとにまとめられている。法になじみのない方であれば、自身の暮らしと関連する章から読んでみるのも良いかもしれない。
つづく第7章では、司法や裁判、裁判官についての本質や役割、それにまつわる矛盾や幻想が、第8章では日本の裁判官制度と政治を巡る問題が取り上げられている。そして最後を飾る第9章では、日本人の思想的な問題をはじめとして、法意識の基盤にある日本の精神的風土が解説されているが、心に響いたのは「法の支配」の話だった。
「法の支配」の原理とは、「法は権力者をも縛る」との原理、そのような意味での「法の下における公正な統治」の原理であり、そこでは、法の機能は、専断的な「人の支配」から人々を守ることに重点が置かれる。