もともと2006年に『週刊現代』に連載されていた小説です。東日本大震災以前のものですから、災害に直面した方にはこの小説のライトさが気になるかも知れません。
ですが、このライトさだから伝わりやすくなっていることも多々あるとではないかと思います。
主人公は平凡なサラリーマン、西谷久太郎(さいやくたろう、と読みたくなりますが)が都庁に営業に来た際に大震災に遭遇します。しかも高層ビルのエレベーターの中で……。
窓から見える光景は
「一面の闇だった。新宿のネオンの洪水がない。家々の明かりが見えない。窓ガラスを失い、窓枠に非常灯の暗い明かりを点した高層ビル群だけが、闇の中にぬっと突き立っている」
西谷は混乱する街を抜け家族の待つ墨田区京島へと徒歩で向かうことになりました。なぜかお供に甲斐節男(かいせつおとこ、ではありません、念のため)という若い男が付いてきます。
帰途に着く二人が目にしたものは掠奪にあっているコンビニや倒壊したビルや家屋群、大きな亀裂の入った道路でした……。
「大地がちょっと身震いしただけで根底から破壊されてしまう、人類文明の無残か」
そんな思いを察しているのでしょうか、連れ(相棒)の甲斐が西谷にさまざまな注意、アドバイスをします。
章ごとに挿入されたコラムと相まって、災害への私たちの心構えや対策、災害時に注意しなければいけないことが丁寧に語られています。シミュレーションと実用性がうまくからみあった小説だと思います。
倒壊した家屋の下から老婆の救出したりしながらもなんとか二人がたどり着いた隅田川。後は駒形橋を渡るだけと思ったものの
「は、は、橋が……」
……崩落していたのです。それどころか対岸にある首都高速の高架が傾いているという光景に西谷は絶句してしまいます。
崩落をまぬがれた厩橋を駆け抜ける西谷。彼の心にあるのは家族の無事を願う気持だけでした。
そして避難所で再会した家族。けれど彼の新築の家は火災に巻き込まれていました。
焼け出された一家、一命をとりとめた一家に待っていたものは新たな困難でした。
「連帯意識が避難民同士の中にも生まれ、互いを気遣う空気が流れていたのだ。それが、昨夜あたりから徐々に失速し」てきたのです。「それは言葉にするなら、“ぶっちゃけ、これっていつまで続くの? もしかして永遠?”そういうことだ。肉体ではなく、心が軋み始めたの」です。
福井さんはそっとこんな言葉を置いています。
「どんなに大地が身震いしても、人の心だけは壊せない。壊すのはいつだって自分自身……」
災害時の死傷はもちろん悲しいことです。でもそこから生き残っただけでは“災害”が終わったことにはならないのかもしれません。
この小説から教えられることは多いですが、それと同時に……。
災害を描いているのに不謹慎なと言われてしまいそうですが、『東海道中膝栗毛』の弥次喜多のような、ビング・クロスビー、ボブ・ホープが主演した映画の珍道中シリーズのようなユーモアあふれるロードムービーならぬロードノベル風な味も感じられたのです。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。