先週につづいて、大沢在昌さんの作品をご紹介します。実は先週の『やぶへび』の巻末解説で「ぜひ、このシリーズも読んでほしい」と書かれていたので、早速拝読していたのでした。
『やぶへび』は、中国人女性と偽装結婚していた元刑事が、事件に巻き込まれ、日中それぞれの「ヤバイ組織」に追われる物語でした。この『走らなあかん、夜明けまで』も、いわば巻き込まれ型の主人公が登場します。しかしそのキャラクター造型はずいぶんと違う。
主人公、坂田勇吉は「ササヤ食品」に務める20代のサラリーマン。特に暗い過去や隠された素顔があるわけではなく、「絶対、出世して社長になってやる」という野望に燃えているわけでもありません。むしろ競争を避けがちな、ごくふつうの青年です。
彼は東京の下町に生まれ、下町っ子として育ち、偶然、箱根から西に足を踏み入れることなく今まで来ていました。それが、重要なプレゼンを行うために、大阪の街に出張することになる。物語は新大阪の駅で、はじめて大阪の地に降り立つところからはじまります。
大阪に到着してほどなく勇吉は、ササヤ食品にとっては大切な新製品のサンプルが入ったかばんを奪われてしまった。そこから事態は滝から落ちるように急転直下型で悪化し、ついには暴力団に命を狙われることに。土地鑑もなく、助けてくれる人の伝手もない。孤独な大阪の街で、彼は夜明けまで走り続けることになります。読みはじめると、こちらも夜明けまでノンストップで、ページをめくり続けることになるでしょう。
そんなワシづかみの面白さなのですが、個人的に「凄いな」と感じたのは物語の設定でした。
この小説のように「主人公が異文化の土地に放り出され、たったひとりでミッションに立ち向かう」という設定は、実は欧米の映画によく見られるものだと感じます。
たとえばリーアム・ニーソン主演の2011年の映画『アンノウン』では、主人公が事故にあい昏睡の末、目覚めた時には異国の地ですべてのIDを失っていました。ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』は、趣きはかなり違いますが、やはり異国におけるコミュニケーション(とその不在)を描いています。
結構、こうした作品が多いのですが、これは欧米社会が原型として多民族、多文化で、異文明とさえ接してきた歴史を持つためでしょう。要するに「異国の地でひとりぼっち」になることは、彼らにとってリアルなサスペンスだった。
一方、日本は島国で、中国だとひとつの省くらいの土地を自分たちの「天下」だと思い、どこに行っても言葉は通じるという社会でやってきた。だから「異国の地でひとりぼっち」という物語は、原型としては持っていなかったと思います。
では、それをあえて日本でやったらどうなるか? 実際、著者はロマン・ポランスキー監督の映画を見て、この話のプロットを発想したそうですが「関西に足を踏み入れたことのない江戸っ子が、大阪で異文化と衝突しながら、奮闘する話にすればいいんじゃないか」。
答えを目の前にすると簡単なことのように思われます。「すでにあるものでも、なにか別の要素と組み合わせることで新しい物語になるのが、アイディアだ」とは、よく言われることですが、しかしそんな理論を、本当にこんなに鮮やかに実践してしまうとは。さすがという他はありません。
ちなみにこの坂田勇吉は「日本一不幸なサラリーマン」として、この大阪事件の後も、北海道や東京で、またまた命を賭けて奮闘することになります。シリーズ化されるのもよくわかる、愛されキャラな男です。
レビュアー
作家。1969年、大阪府生まれ。主な著書に“中年の青春小説”『オッサンフォー』、現代と対峙するクリエーターに取材した『「メジャー」を生み出す マーケティングを超えるクリエーター』などがある。また『ガンダムUC(ユニコーン)証言集』では編著も手がける。「作家が自分たちで作る電子書籍」『AiR』の編集人。近刊は前ヴァージョンから大幅に改訂した『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス』。ただ今、講談社文庫より絶賛発売中。