小川さんはデジタルの世界が何を私たちにもたらし、何を失う危険があるかをこの本で丁寧に解き明かしています。デジタルの世界のことは知っているからいまさらという人も、なんとなく嫌だなあと感じている人にもぜひ読んでほしい一冊です。
小川さんがこの本で書いているように技術(それによって開発された道具)が人の思考を変えることは確かにあります。哲学者のニーチェが最新式のタイプライターを使うことで、彼の文体が変わったことが紹介されていますが、私たちも最新式のツールを使えるようになったことで、膨大な情報にさらされて、その情報を取り扱うツールに振り回されて知らず知らずのうちに私たちの何かが変わってきているのではないかと思います。
デジタルの世界の可能性を人一倍感じている小川さんは、それゆえにかえってデジタルの世界に、ある「違和感」を感じるようになったといいます。確かに私たちはデジタルの世界の持つ利便性から大きな恩恵を受けています。というより、世界のデジタル化によって得ることが増えたのだというべきなのかもしれません。
「「デジタル」は情報を扱う際の表現方法のひとつで、連続的な数量に基づき数値化されていないアナログに対して、離散的な数量に基づき数値化されたもの」というデジタルはその利便性を増大させ、ツール(道具)として進化し続けています。
では、それは私たちの何を変容させているのでしょうか。それは「情報」と「知識」が混在化することであり、それによって「思考」に到達しないことがあるということに無自覚になることなのです。
「たとえばウェブサイトのリンクを引用し、ひとことコメントを添えてソーシャルメディアアカウントから投稿すれば、それがまるで投稿者の知識や思考かのように錯覚される状態があったりはしないだろうか。だが言うまでもなく、それらは知識でも、そして思考でもない。端的に言えば「情報」はメディアなどを通じて発信者から受信者へ伝達されるある物事の内容や事情に関する知らせで、「知識」はその情報などを認識・体系化することでえられるのである。さらに「思考」は、その知識や経験をもとに何らかの物事についてあれこれ頭を働かせることである。これらの言葉を曖昧に使っていると、大いなる勘違いを招く」
この300字あまりの小川さんの言葉が心底身につけば、私たちが乗っている「デジタルの船」が難破することもなく、航路に迷うこともなく、人間に新しい創造の未来の扉を開かせてくれるに違いありません。デジタルの世界を小川さんのいう「外部脳」という道具にすることで、私たちの「デジタル船」は航路に迷うことなく進むのではないでしょうか。
「デジタルがどれほどの魔力を持とうとも、人間のための道具であることを忘れてはならない。道具に人間をつくらせないために」
また、小川さんが紙の新聞の購読をやめない理由として「閉じられた世界」の持つ重要性を言っていることにも傾聴すべき事柄があると思います。その理由は読んだ人それぞれが考えてみるものではないかと感じました。どことなくスティーブ・ジョブスと禅との関係を思わせるような気もします。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。