勝海舟といえば幕末の重要人物の一人でさまざまなドラマでも描かれています。幕末の混乱の中であっても将来の日本を見通した見識をもち、政治家として江戸城無血開城をはかった行動でも知られています。もちろん見識だけでなく、この無血開城の談判でも、万が一この談判が失敗に終わった場合に備え、事前に江戸の町衆と緻密な連絡を取りその対策を練るなど硬軟自在な行動をする政治家だったようです。
海舟が江戸の町衆と意気投合したのは海舟自身が持っていた生粋の江戸っ子気質が大きく影響していたようです。ドラマでの海舟はしばしば気っぷのいい江戸言葉でべらんめい口調で話す人物として描かれています、実際もそうだったのでしょうけれど。
この海舟を育て(作り)上げた男こそが父親の勝子吉でこの小説の主人公です。14歳の時、養子先ともめるやいなや後先考えずに家出して西へと向かいます。けれど途中で追いはぎにあい身ぐるみはがされてしまい、ひしゃく1本をもって乞食をしながら伊勢へと旅したそうです。江戸へもどってからも改心(?)するわけはもちろんなく、お役を求めるための日参や幕閣に取り次いでもらうための賄賂のやりとりに呆れてお役を求める気も失せ、とっとと放り出したりします。そればかりではなく、いきがかりでとはいえ道場破りにきた者とむやみな立ち合いをしたりと、豪快と言えば聞こえがいいが破天荒な生き方をした男でした。でもその一方では町衆と分け隔て無くつきあう面倒見の良さから周囲から慕われる男でもありました。
深川生まれのこの男の活躍を描いたこの本はぜひ江戸の古地図を横に置いて読んでほしいと思います。小吉の江戸中を走り回る姿を想像するだけで心がうきうきと楽しくなります。
では、子の海舟(麟太郎)はどうでしょう。この本での海舟は鳶が鷹を生んだように描かれています。海舟はひょんなことから将軍家の遊び相手として江戸城詰めに取り立てられます。それをきっかけに海舟は、父親譲りの剣の腕だけでなく、蘭学にも目覚め努力家の秀才の若侍としてすくすく育っていきます。
この本で描かれた少年時代の海舟は江戸言葉ではなく丁寧な言葉を使う若者侍として描かれていて、江戸言葉は小吉の独壇場です。その言葉力を味わうのもこの本の読み方の一つだと思います。成人した後の海舟が江戸庶民と心を交わすことができた気っぷのいい江戸言葉の源泉がここにあるように思えるのです。そしてそれが幕末の動乱期に海舟の力の源泉になったのです。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。