これは私の場合なのですが、年齢を重ねてくると自分の人生の展開について、結構、受け止め方が違ってきました。なにが変わったかというと、あまり先のことを考えなくなった。
たとえば今から英語を習ったり、新しい楽器を練習したりする気になれない。なぜなら、どうせ自分は死んでしまうだから。今さら、投資してもしゃあないと。
本書のテーマはその誰にでも訪れる「死」。慶応義塾大学の前野隆司教授が、真っ向から「死」について取り上げた本です。
前野教授は工学者。元民間企業の技術者で、企業で業績を挙げた後、アカデミズムに転身するという異色の経歴を持つ人。そしてアカデミズムの分野でもロボット工学や触覚センサーの開発で注目を集め、現在はさらに「システムデザイン・マネージメント」という文理融合の研究領域で人間の「幸福」について研究している学者です。
「なんで工学者が幸福について研究を?」と不思議に思う人もいるかもしれません。しかしロボットの開発は、人の営みを技術で再現するもの。そうすると必然的に、「人間の生そのもの」が研究の対象になってくるのです。そして幸福を研究する以上、その対極とも言える「死」についても知る必要がありました。
生と死は人間のすべて。これを理解するためには、手や足だけ分析して研究しても人間の全体はわからないのと同じように、芸術や思想、医学、心理学など諸分野の知見を総合し、人を理解していく必要がある。それが教授が進めるシステムデザイン・マネジメントの考え方です。
前野教授が提起する人間の生と死は、衝撃的です。教授によると、そもそもあなたが今、実感している「生」の感覚自体が、実は錯覚に過ぎないというのですから。しかしこの仮説は、古くからの思想や哲学の知見に一致し、そして最新の科学にも次々と裏打ちされている。その上、人間の意識の謎をうまく説明してしまうのです。
教授は本書で、この「生とは錯覚だ」という出発点から、次々と死を乗り越える道を提案していきます。
それは決して生を軽視するシニカルな意見ではありません。私たちの人生から不要の重荷を取り去り、同時に死からも恐怖をはぎとっていく。そして「今ここにある生を、生き生きと楽しんで行こう」と提案する道です。
正直、そうした人生の達人には、すぐにはなれないのかもしれません。ですが入り口には連れて行ってもらえる。そんな気持ちになる本です。
レビュアー
1969年、大阪府生まれ。作家。著書に『萌え萌えジャパン』『人とロボットの秘密』『スゴい雑誌』『僕とツンデレとハイデガー』『オッサンフォー』など。「作家が自分たちで作る電子書籍」『AiR』の編集人。現在「ITmediaニュース」「講談社BOX-AiR」でコラムを、一迅社「Comic Rex」で漫画原作(早茅野うるて名義/『リア充なんか怖くない』漫画・六堂秀哉)を連載中(近日単行本刊行)。