昭和30年代、40年代とを駆け抜けた唯一無二のコミックバンド、ハナ肇とクレイジー・キャッツの最後の一人、ベーシスト犬塚弘の回想録(聞き語り)だ。クレイジー・キャッツというと昭和30年代以降の植木等の無責任男や、テレビのシャボン玉ホリデー、あるいは、おとなの漫画の印象で可笑しさ(ギャグ的なもの)を中心に語られてしまう。けれどなにより先に彼らは超一流のジャズミュージシャンだったことを忘れてはならないと思う。
この本でも昭和30年代以降を語ったところが分量的にも多いが、注意すべきはグループを作るまでのさまざまのミュージシャンの集合離散を語ったところだと思う。映画俳優として覚えられているがジャズドラマーだったフランキー堺がひきいるシティ・スリッカーズ、作曲家として知られる浜口庫之助のアフロ・クバーノや萩原哲晶のデューク・オクテットにいたバンドマンとの出会い、交流の中でクレイジー・キャッツが結成されるというくだりが一番の読みどころなのだ。いわば昭和20年代のプレ・キャッツのところだ。
この時代にクレイジー・キャッツとなる面々はさまざまなグループに属しプレーヤーとしての腕を磨き、おたがいに力量を認め合う相手を探しあい、そしてグループの結成にいたる。そしてメンバーを結びつける触媒になったのが「おもしろさ・笑い」(センス・オブ・ワンダー)だったのだ。ちょっと触れられているスパイク・ジョーンズの冗談音楽も、もう語られることや聴かれることが少なくなったけれど、今でも笑いの音楽の古典(?)としてすばらしいものだと思う。
この本のインタビューワーが「笑わせることを身上とする往年の喜劇人と笑われることが人気のバロメーターの今のタレントさんとは、全く違うのです」と語っていることには考えさせられることが多い。ホントは笑いは変質し少なくなっているのかもしれない、今の日本には。だからこそクレイジー・キャッツは語られる価値があるバンドだったのだと思う。この本を読むと、この中で出てきた谷啓がソロで吹くスターダストのシーン、なんとしてでも聴きたくなります。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。