私だって素数が知りたい
最初にお話ししておきたいのは、私は数学ⅠとAで「これは無理かもしれない」と思って、残りの高校生活をやりすごしたタイプの人間であるということだ。数Ⅲ・Cに触れたことはない。なので、本書が掲げる「高校で扱う数学の範囲を一通り理解した読者なら,複素関数論を用いずとも整数論を楽しみ味わえる可能性を提供できたように思う.」という対象からも大きくはみ出てしまっているし、「この本が述べていることを、あなたは正しく理解しましたか?」と尋ねられたら、正直に「いいえ」と答える。本書のレビューを書くべき人間としては不適格かもしれない。
でも楽しかったのだ。数学者の見ている世界を、小説や詩や音楽やCGに例えることなく、数学の「証明」で追いかけることが。もちろん私は完全には追いつけないが、追いつけないなりに読んでいると「しかし,この論理には不備がある」と著者の小山信也先生が述べたことが、私にも「不備だ」と感じ取れる。この体験は他では得がたいおもしろさであることを、いち読者として、胸を張っておすすめしたい。
そして数Ⅲ・Cを未履修の私のような人のために、「自然対数」などの概念も数式とともに解説されている。どういうものかを知るまでに骨は折れるが「自然対数は、どうも便利そうだ」ということはわかる。まさか自分が逆数のことを「便利じゃん」と思う日が来るとは。
ちなみに数学Ⅰ・Aで尻尾を巻いて逃げ出した私は、数十年後に NHK「笑わない数学」をせっせと予約し、眉をハの字にしながら見ていたりする(NHKオンデマンドでも過去の放送が視聴できる。おすすめです)。そして本書の著者・小山信也先生は、「笑わない数学」の監修者でもある。番組の「無限」回で画面の右下にちいさーく表示されていた〈※ここでいう“個数”は「集合の濃度」のこと〉という謎の注意書きの意味が本書のおかげで少しわかった。
ということで、こんな私でも素数のふしぎを味わいたかったのだ。
素数はどのくらいあるのか
さて、本書の主役「素数」は「1とそれ自身でしか割り切れない自然数」で、素因数分解で必ず出合う数で、「数の原子」なんていわれている。
素数の列は,
2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19,…
と続く. この列のありようが興味の対象である. これは数学の歴史上, 最も古くからある問題の一つであるにもかかわらず, 現代数学においてもなお最も大きな謎の一つとして現存する.
素数のふしぎを追ううえで、本書は私たちに次の2つの観点を与える。
量的分布 「x以下の素数の個数」を, xの式で求めること(これはπ(x)とおき, 個数関数と呼ぶ).
質的分布 素数の分布の「不規則さ」「バラバラの程度」を表すこと.
本書の2章までは量的分布(x以下に素数は何個あるのか)について、数学者オイラーの素数に対する「精密化」を解説しながら追っていく。文学的にいうなら「素数はいっぱいある」という素数のふしぎさを、数学的に証明で表現するのだ。
この「精密化」についてひも解いていく章のごくごく最初に登場する定理がこちら。
どんどん分母が大きくなるので、和はさほど大きくならなさそう。うん、イメージできる。そしてこの定理の証明ののち、待っているのはこちらだ。
さっそく「∞」! 先ほど紹介した平方数の逆数の和のように収束しません、値にキリがありません、有限ではないです、ということか。ちょっと待ってくれよ~といいたくなるが、素数は待ってくれない。この定理についても本書は証明を行う。証明の嵐のような本だ。
証明の合間に「なぜ逆数の和を扱うのか」や「なぜ人は高校で数学を嫌いになるのか」いったコラムで休憩する。そして再び定理と証明がやってくる。やっぱり私には難しすぎて無謀な読書だったのかもなあと不安がピークに達したころに、次の定理が現れ、やっとハッとなった。
素数の逆数の和は発散していくが、では「どのくらいの勢い」で、発散するのか。この定理もまた本書は証明していく。
つまり「収束しません」という素数のふしぎな姿を「では、どのくらい無限なのですか」と、量的分布の観点でジリジリ追い詰めていたのだ。そこで用いるのは高校数学である。そして「素数はどのくらい気まぐれなのですか」という質的分布についても、同様に求めていく。それは数学者のオイラーが追い求めた世界と仕事でもある。なんてリッチなんだ。数学好きの高校生の方にもぜひ読んでほしい。
チェビシェフの偏り
1章から3章まででも数学者の世界をのぞき見できて楽しいが、4章から6章がこの本の本題だ。小山先生が研究する未解決問題「チェビシェフの偏り」が登場する。
素数に関して,「チェビシェフの偏り」と呼ばれる19世紀から未解決の謎がある. 素数は規則性を持たず, 気まぐれのタイミングで出現すると考えられているが, 実際に素数の列を分析すると, その原則に反するような不自然な偏りが観察される.
「不自然な偏り」とはどういうものか。
チェビシェフの発見した「偏り」は意外な内容だった. 「4で割って3余る素数」が「4で割って1余る素数」より多めに存在するかのようにみえる, というのである. 前章で示した「ディリクレの算術級数定理」により, これらは同数であることが証明されていたにもかかわらず, チェビシェフは, 定理に矛盾するかのような現象を, 実際に観察したのだ。
本書では「運動会の玉入れ」で「3余る素数」が多めである状態を説明してくれる。非常にわかりやすい。そしてチェビシェフの偏りは、まだ誰も証明できておらず、つまり未解決問題として一般にも広くその名をとどろかす「リーマン予想」と同じく「予想」と呼ばれる。
このチェビシェフの偏りについて、小山先生は次のように考える。数学者の頭の中身をそっとのぞき見するようでゾクッとしたので、ぜひ紹介させてほしい。
そもそも「3余る素数」「1余る素数」の個数の比較に意味があるのだろうか. (中略)同数なのだから, 勝ち負けを繰り返すのはむしろ自然である. だとすれば, 個数を比較すると自体の意味を問い直すべきであろう.
「同数なのに実際の個数に優劣があるようにみえる」とはどういうことなのか. (中略)悩み抜いた結果, 見えてきた結論は「出現のタイミング」に解決の鍵があるのではないかとういうことだった.(中略)個数は「x以下」で数えるので, 早めに現れる素数ほど算入されやすく, 一旦算入されたら永遠に算入され続ける. つまり, 小さな素数ほど影響が大きいのである.
それまでに「素数の逆数の和の挙動」や「偏り」といったことの数学的な定義を読み、いくつもの証明をウンウン悩みながら指でたどってきた。そして上の文章を読むとため息が出る。
「小さな素数ほど影響が大きい」ことに目を付けた小山先生は「深リーマン予想」を使ったチェビシェフの偏りの解明に挑むべく、その足がかりになりそうな命題や定理を一つ一つ証明していく。そして本書ではこれにも高校数学を用いる。高校数学を使って、過去の数学者の仕事とともに、最新の数学研究の入り口も見せてくれる。
「笑わない数学」では、番組の最後にお笑い芸人のパンサー尾形さんがヘトヘトになって床に突っ伏してしまう。今まさに私もあの状態になっているが、それでもつい、行きつ戻りつしながら読んでしまう。数学者が見ている「数」の姿や、整数論の世界がチラッと私にも見えそうな気がして、やみつきになるのだ。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori