「白い拷問」とは、イラン・イスラム共和国の刑務所で、主に思想犯・政治犯として逮捕された女性囚人に対して行われる拷問のことである。独房監禁と尋問により、すべての外部刺激を奪い去るその手法は、極めて悪質かつ非人道的。収監中はもちろん、出所後にも心身に大きなダメージを与え、人生そのものを奪い去る凶悪な仕打ちと言える。
本書はその実態を、女性の権利獲得や公権力による独房拘禁廃止などのために戦う人権活動家・市民運動家のナルゲス・モハンマディが、命がけで暴き出した一冊である。実際に「白い拷問」を受けた自らの服役経験とともに、同じく壮絶な獄中体験を語る13人の女性たちへの貴重なインタビューで構成された内容は、まさに想像を絶するものだ。前書きで著者が語るように、彼女はこの本を発表したことで12回目の逮捕を経験し、禁固6年と鞭打ち74回の刑を言い渡された。そして、2023年のノーベル平和賞を獄中で受け取った。この本を手に取った我々も、心して読まなければならない。
本文に入る前に、著者を支援する3人の女性が「理解を深めるための序文」を寄せている。オーストラリアの歴史家シャノン・ウッドコックは、「白い拷問」について次のように解説する。
白い拷問の苦痛は、刑務所の構造のみならず、看守や尋問官のふるまいによっても増幅する。囚人は独房の照明を操作されて昼夜の感覚を失い、睡眠パターンを妨げられる。独房を出るときも目隠しをされる。独房や尋問室で身体的接触がすべて遮断されると、感じられるのは痛みだけ、つまりコンクリートの床と壁、そしてゴワゴワの毛布だけという状態になる。独房で唯一臭いを放っているのは不衛生きわまりないトイレで、これが囚人の嗅覚を痛めつけることも計算ずくである。
(中略)
たとえ囚人が白い拷問にあっていると自覚し、それが恐怖を引き起こすためのものであると理解していても、感覚を奪われると、生理的な変化は避けられず、心が不安定になる。この記録にあるように、白い拷問は根本的に体の在り方を狂わせ、健康を蝕(むしば)む。心の傷だけではなく、神経疾患、心臓発作までも引き起こす。
また、この種の拷問には「複雑な幻覚を引き起こし、知能レベル、認知機能を低下させ、プロパガンダを圧倒的に信じやすくさせる」効果があることも、過去の多くの心理実験により報告されている。米兵による非道な拷問が問題となったアブグレイブ刑務所も想起させるが、イランにおいて女性に対して行われる拷問は、また別の意味を持つ。再び、ウッドコックの序文から引用しよう。
ナルゲスが国家を脅(おびや)かす陰謀を掲げた、という理由で拘禁されたとき、「独房を出る唯一の手段は告白、改悛、協力」と言われたそうだ。体制は情報を引き出そうとはしていない。そうではなく、人民を、特に女性を屈服させることが目的なのだ。国は、国家の安定を脅かす宗教的、倫理的、政治的信条を持つ女性たちを排除するためなら、どんな強硬手段も辞さないと見せつけたいのだ。
実際、イランの刑務所では反体制派の烙印を押された女性受刑者に、どんなことが行われるのか。著者により行われたインタビューのうち、その様子を克明に描写した記述をいくつか引用する。まず、2014年に「最高指導者を侮辱した」「国家の安全を脅かした」などの罪状で逮捕され、エヴィーン刑務所に送られたアテナ・ダエミ。彼女は子どもの権利を守るために活動する市民運動家である。
それまで想像したこともない場所でした。いくつかドアの前を通り過ぎて、独房に入れられました。縦横が3メートル×2メートルほどの大きさでした。ずっと高い場所に窓がありましたが、網が幾重にもかかっていて、外の光は全く入ってきません。それでも網目から空の青い色がのぞいていました。独房の天井には、黄色い電球と白い電球がありました。寝るときになると白い電球は消えます。壁は、人の背の高さのあたりまでは大理石で、その上はクリーム色の漆喰でできていました。鉄製のドアは緑色で、下のほうには開口ハッチがありました。トイレに行きたいときは紙切れをドアの下から出しました。独房の床には機械織りの薄い絨毯が敷いてありました。毛布2枚が横になったとき用に、1枚が枕用に与えられました。私はその独房に30日間ほどいました。
四方を白い壁に囲まれ、常時電球に明るく照らされた、異常に狭い空間。あらゆる刺激、情報、他者との関係性などが遮断され、昼夜の区別がどんどん失われていく……想像するだに恐ろしい。また「白」といっても清潔感とは程遠い。別の刑務所では、独房内にトイレや洗面台が設置され、極めて劣悪な衛生状態での生活を強いられるという。
なかでも強烈なのが「サグドゥニ(犬のいる場所)」という名称で呼ばれる独房だ。バハーイー教徒であるマフバシュ・シャリアリは、2008年にヴァギラバド刑務所に送られ、この独房に放り込まれた。彼女はイラン国内で大学進学を禁止されているバハーイー教徒の若者のためのオンライン大学「バハーイー大学」の共同設立者で、イラン政府はイスラム教以外の宗教を執拗に迫害し続けている。
刑務所内のトイレとシャワー室の下のほうに、とても小さな格子柄のガラスがはめ込まれたドアがあります。そのドアを開けると狭い廊下に繋がっていて、独房が2~3室並んでいます。私はその1室に連れて行かれました。非常に狭く、不衛生で、異臭がしていました。自然光は入ってこず、隅には覆いのないイラン式トイレがあって、中で甲虫が動いていたり、死骸で転がったりしていました。部屋の天井は低く、隅のほうが崩れていました。
彼女がその独房に入れられようとしたとき、所内の従業員のような女の子たちが走ってきた。そして、絨毯と毛布を持ってきたり、そこに雑誌を放り投げたり、飲料水とお茶の粉末、角砂糖まで手渡してくれたという。その「親切な行動」に、マフバシュは自分が何日ここに閉じ込められるのか、生きて出られるのか、という恐怖に包まれた……。
著者のナルゲス自身も、30年に及ぶ禁固刑の経験を通して、生々しい証言を書き記している。
私は悟った。独房や重警備刑務所は単なる箱ではなく、明らかに、肉体的、心理的、つまり生き物のような特徴を備えている。それこそが独房の存在意義であり、本質なのだ。看守の機械的でぶっきらぼうな声、ホコリだらけの床に転がるゴキブリの死骸、くすんだ色の汚らしいカーテン、囚人に巻かれる目隠し、裸足に履かされる大きすぎるスリッパ、サイズの合わないひどい服、窓とは名ばかりの鉄格子、尋問室で壁に向かって長時間座らされること、人との争い、悲鳴や怒号、患者の状態に無関心な医師、独房のドアが閉まるときの固く重苦しい音、トイレに行くときに棟の通路でさえ目隠しをされること、これらはすべて独房の効果を増幅させる装置である。
劣悪な環境とセットで彼女たちを追い詰めるのが、尋問官の容赦ない圧力、刑務官たちの粗暴な態度だ。読んでいるほうも怒りに震えてくるような暴力、デタラメ、罵詈雑言のオンパレードだが、これらはすべてマニュアル化されたものである。「お前は髪が白くなるまで独房暮らしだ」といった絶望を誘う恫喝や、家族を巻き込んだ脅迫、周囲の裏切りをほのめかす嘘……苛烈な言葉責めで相手を惑わせ、心理的に揺さぶりをかけ、自白を促す=権力に服従させることが彼らの目的である。
「実のところ、尋問官の主張する問題など存在しませんでした」と、イラン系英国人のナザニン・ザガリ=ラトクリフは語る。彼女は帰国直前、空港でスパイ容疑のため逮捕されたが、それはイラン政府が未回収の債権をイギリスに身代金として払わせるための強引な手段とみられている。逮捕時、彼女は乳幼児の娘と一緒だった。
彼らは、存在しない事実を私に言わせようとしていました。私が英国議会のために働き、反イラン的なことをしている重大な秘密を握っている、と言うのです。
もちろんデタラメだと分かっていましたが、あまりにしつこく繰り返されたので、独房に戻ってから本当にそうだろうか、と自問自答するようになりました。
だが、敢然とそれに反抗する者もいる。ジャーナリストで、女性の権利活動家でもあるヘンガメ・シャヒディは、刑務所内で尋問官のしつこいセクハラを受けたりしながら、すべて突っぱね続けた。そして、腎臓に深刻なダメージを負っていたにもかかわらず、ハンガーストライキを実行する。
私の負わされた抑圧と不当な仕打ちに、声を上げたかった。私の有罪を示す書類が1枚でもあれば、文句は言わない。しかし何の証拠もないまま、6ヵ月間も独房に拘禁されたのだ。ハンガーストライキは抑圧に対する怒りの表現だった。
(中略)
ウェット・ハンガーストライキ[食べ物だけを断つ]からドライ・ハンガーストライキ[水分と食べ物の一切を断つ]に変えたとき、目の前に本当に死が見えた。しかし、私はハンガーストライキで死ぬなら本望だと思っていた。自分を残酷に拘禁している者たちへ復讐できるのだから、と。
だが、誰もが彼女のように強靭な意志と行動力の持ち主というわけではない。不快感、孤独感、閉塞感に包囲された女性たちは、正気を保つために様々な行動に出る。蟻や蝶などに話しかけたり、壁に書かれた落書きをくまなく読んだり、ドアに設置された小さなのぞき窓が開くまで何時間も待ち続けたり……。極限状態に置かれた人間の行動パターンを知ることで、励みになる読者もいるだろう。それでも人間は自分を曲げずに生き続けられるのだという、力強いモデルケースを見ているような気持ちにもなる。
「反体制的プロパガンダ」の罪で独房に入れられたバハーイー教徒のシマ・キアニは、過酷な拘禁生活のなかで、意外な境地に達する。政府が禁じた信仰心をより強くし、苦境を乗り越えるのだ。異教徒を弾圧したはずの当局にしてみれば、なんとも皮肉な結果である。
だけどこのとき、私の精神は澄みわたっていた。時が経つにつれ、その状態がさらに崇高なものになり、長続きするようになっていったの。バハオラと神をこのときほど近くに感じたことはないわ。
最後の証言者として登場するのは、ジャーナリストで活動家のマルジエ・アミリ。本書のラストを飾るのに相応しく、彼女のコメントは平静でありながら鋭く力強く、ひときわ印象に残る。特に、女性たちがなぜここまで「白い拷問」と根気強く戦えるのか?という点についての言葉には、ハッとさせられる。
男女を比較するつもりは全くありませんが、拘禁中に女性の囚人たちから話を聞いて、ふと分かったことがあります。尋問中に感じる抑圧感は、いままでの人生で背負わされたものとそう変わらないと、女性であれば気づくということです。(中略)
尋問室の椅子に座っている女性は、こういう経験は前にもしていて、していなくても、ともかく知ってはいるので、意識的にせよ無意識的にせよ、宣言しているのです。
「私は、あなたたちを私の尋問官や看守としてあてがった秩序に反対する。私をあなたの従属物のように定義する秩序に反対する。私は不平等に反対する」――
また、こんな鋭い指摘にも、胸を撃ち抜かれたような思いがした。男性の読者であればなおさらだろう。
一般的な拷問文学では、「強い意志」が称賛されますが、私に言わせれば、あれは男性文学の「失敗」です。男性の拷問文学では、主人公はいかなる状況にも弱音を吐かないヒーローで、そんな彼を虐めるもうひとりの男――支配者――は大悪党です。悪者をより悪く見せるために、尋問を受けている主人公のリアルで人間的な苦しみや迷いは描かれません。ヒーローは、ほんの一瞬でも「強くない」ことを悪者に知られてはいけないのですから!
イランの刑務所に実在する恐るべき「白い拷問」の実態を描いたルポルタージュとして、本書はとてつもなく貴重かつ重要な一冊であることは間違いない。同時に、そこには「男性優位社会における支配と抑圧」の本質がある。イランに限らず、世界中に遍在する現在進行形のテーマにも読者を導く、必読の書である。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。