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2024.04.16

レビュー

「帝国大学」から「東大」へ──出生の秘密を暴き、その虚像と実像を抉り出す!

教育と中央集権、怪獣の誕生

日本は世界有数の中央集権国家であります。
わけても、教育には中央集権が露骨に表れています。

現在、小中学校のカリキュラムはほとんどすべて霞が関でつくられています。雪が多かろうが温暖だろうが浜辺だろうが日常的にクマを見るような山奥だろうが、どこも中央で制定された同じカリキュラムにしたがって動いています。割り算を学ぶのはこの時期、分数をやるのはこの時期。全国一律どこに行っても同じです。

これは普遍的かつ一般的なことではありません。
よく、欧州の教育の先進性が語られますが、学校や教師、あるいは地方に自治権が与えられているため可能なことがとても多くなっています。早い話が、カリキュラムを学校などが独自に組み立てられるので、時代の変化に鋭敏に対応することも、先進的であり続けることも可能なのです。
全国の学校が足並みそろえて進む日本では、とても難しいことです。どうしても動きが鈍重になってしまいますし、独自になにかをすることは難しく、現場の意見が反映されることもあまりありません。

それが日本の伝統的な方法なら仕方ないじゃないか――。
そんな意見もありそうですが、たいへんな誤解です。このかたちは明治になってから成立した、きわめて歴史の浅いものです。
江戸時代には藩校ないしは寺子屋という教育機関がありましたが、カリキュラムは各藩および教師に任されていました。幕府(国)が口を出すことは基本的にありません。教育に関しては自治が認められていたのです。伝統的なのは明らかにこちらでしょう。

なぜ中央集権であらねばならなかったのか。ひとことで言えば、権限を中央に集約し、国家のコントロールを容易にするためです。日本の近代化を促進し富国強兵を進めるためには、それがもっとも適した方法だったと言ってもいいかもしれません。

帝国大学とは官営の最高教育機関であり、その第一号は明治19年の帝国大学(現在の東京大学の前身)でした。当然、政府の意向は色濃く反映されています。しかし、そのかたちは断じて一朝一夕に成ったものではありません。すったもんだのあげく、ようやく現在のかたちに近いものができたのは、明治19年(1886年)のことです。
日本の諸制度はこの時期に完成したものがとても多くなっています。内閣の整備、議会の設置、憲法の制定など近代国家の礎は、多くがこの時期に築かれました。

維新の時に諸制度の断絶があるのは当然のこととしても、なにゆえに明治十九年前後にもう一つの諸制度の切れ目、あるいは離合集散のかなめがあるのだろうか。それはこの時期が、経済的にいえば明治初年のさまざまな制度的実験、たとえば近代化のための工部省に対する巨額の投資が、松方緊縮財政下の整理期を経て産業革命に向かっての再編成をすませ、いよいよ近代的経済成長への軌道に乗る時期にあたっていることと関係している。

著者は帝国大学を、(ホッブスが著作名とした)リヴァイアサンという怪獣になぞらえています。怪獣はこの時期に姿をあらわし、暴れはじめたのです。

本書で意図したことは、このリヴァイアサンの出生の秘密をあばき、この怪物の生い立ちを明らかにすることである。東京(帝国)大学が固有名詞の帝国大学であった時代こそ、この大学の官界における独占的権威と日本アカデミズムの原型が形成された時期であり、また今日に続く受験競争がスタートした時期でもある。

官僚養成機関として

ところで、明治政府はなぜ帝国大学を必要としたのでしょうか。もっとも大きな理由は本書にハッキリ述べられています。

帝国大学のばあい、少なくとも政府の中心的意図、すなわち「国家ノ須要ニ応スル」官庁エリートを多量に生産しようという意図は、一応貫徹されたと見てよい。帝国大学が官立であるかぎり、それが官僚機構の一部として、あるいはその再生産機構として機能することに、教師も学生も、あるいは世間一般も、今日にくらべて違和感をあまり持たなかったろう。

簡単にいえば、政府は官僚養成所を欲し、帝国大学はそのためにつくられたのです。とはいえ、大学の役割はそればかりではありません。現在でも大学は研究者養成所であり、主要な研究機関になっています。大学院が設置されたのもこの時期ですが、本書には政府があまりそれには乗り気ではなかったさまが活写されています。

要因のひとつとしてあげられるのは、帝国大学のモデルとして採用されたドイツの教育制度には、大学院がなかったことです。ドイツばかりでなく、欧州の多くの国では大学を研究機関とする慣習はありませんでした。

明治政府の側からすれば、維新の断層のうえにまったく新規に大学を築きあげるのだから、歴史や伝統から何の制約も受けずに自由に大学の型の選択、ないしは新しい型の創造さえできるはずである。そこでまず、政府は欧米先進諸国に日本の大学制度のモデルを求めることになる。

たとえばインドはイギリスの植民地でしたから、教育に関してもイギリス式しか許されません。ところが日本は、欧米のあらゆる国から吸収して、独自の方式を組み立てることが可能でした。欧州の大学制度は成熟していますが、どうしても中世の価値観をひきずっている部分があります。そのままマネすることはできません。
わかりやすく言うなら、日本は「いいとこ取り」することが可能だったのです。たとえば大学院はアメリカの制度を取り入れることで確立していますが、おそらくはかの国が中央集権でないことも関係しているのでしょう、そのまま受け入れることはせず、日本のシステムに矛盾のないかたちで導入しています。本書は、教育システム(人材養成システム)を形成するうえで、明治政府が何をとり、何をとらなかったかも明確にしています。

日本の近代を教育からたどる

本書の原著は1978年に出版されたものです。著者が他界されてからもずいぶん時間が経っており、決してあたらしい本ではありません。しかし、日本の近代化を教育という重要な側面から検証した本は今なお多くはなく、類書のない、名著と呼んでさしつかえないものになっています。
著者の専門は科学史であり、日本史でも近代史でもありません。しかし、科学の歴史をたどるために、大学の歴史は避けて通ることはできません。とくに、日本の産業革命は明治以降にもたらされており、大学の歴史とセットで考える必要があります。

今なぜこうなのか。それを知るために、本書はとても大きな役割を果たしてくれます。

帝国大学の誕生

著 : 中山 茂
解説 : 石井 洋二郎

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レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/

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