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冷めたお茶は自然に沸騰しない……私たちの世界の必然であり別格の法則、エントロピー。

「当たり前」を司る法則

あなたは片付けが得意だろうか。私は苦手だ。片づけても、整えても、その状態が長続きしない。この原稿を書いているデスクを片付けてみても、少し経つと資料は散らばり、本の上に本が置かれ、しおり代わりの付箋は行方不明になる。作業をしながら飲もうと淹れた熱いお茶は、半分も飲まないうちに冷めてぬるくなる。

散らかった部屋は勝手に片付かないし、冷めてしまったお茶が自然に再沸騰することはない。こうした一見「当たり前のこと」は、じつは「エントロピー増大の法則」という物理法則で説明することができる。世の物事はある一方向にしか進まず、絶対に元に戻せないことがある……。
「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」は数多ある物理法則のなかでも、どんな時、どんな場所でも成り立つ“別格の”法則なのだという。
世界規模の異常気象、新たなウイルスの出現による世界規模のパニックといった世界中で起きている変化もこの法則で説明できる。かつては神話や説話の中に登場したこの「常識」は、いまや厳然たる科学法則であることが確認されている。

『教養としてのエントロピーの法則 私たちの生き方、社会そして宇宙を支配する「別格」の法則』は、平易な言葉でこの法則がなぜ「真実」なのかをわかりやすく説明してくれる1冊だ。法則というと、何か難しいものに思えるかもしれない。本書にはその説明としていくつかの数式が登場するが、それは理解を阻むものではない。

科学法則として定式化されたということは、自らの体験を積む必要も、疑心暗鬼で神話や説話の伝えることを信じる必要もなく、その法則に従って論理的に判断をすることが可能であることを意味します。

その現象に関わる要素の関係が定量的に明らかになり、「基本的にほかの要素は考えなくてよい」と保証される。これが現象を式で表す大きなメリットだ。

その名を知るか否かにかかわらず、世の人々はすでに「エントロピー増大の法則」を身をもって体験済みだ。この本を読めば、あの現象も、この現象も、「エントロピー増大の法則」に支配されていると気づくことができる。「当たり前」は、なぜ「当たり前」なのか。それがはっきりと言語化されていく過程を読むのは、とても楽しい時間だった。

エントロピーって、何?

エントロピーとは物理学の言葉で、「無秩序の度合い」を示す量のことだ。「無秩序な状態の度合い(=乱雑さ)」を定量的に表す概念で、無秩序なほどその値が高く、秩序が保たれているほど低い値となる。

例えば、教室の中できちんと座っている幼稚園児の状態の「エントロピーは低い」と表し、休み時間に園庭を思い思いに楽しそうに走り回る園児たちの状態の「エントロピーは高い」と表します。

幼稚園児の1人や2人なら、諭(さと)して静かにさせられるかもしれないが、10人、20人となれば、まず手に負えない。また、ジグソーパズルも、10ピースだったら数分もあれば完成するが、1000ピースともなればかなりの時間や根気が必要なのは、誰の目から見ても「当たり前」だろう。こんな現象の裏にも、物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはない……つまり「エントロピー増大の法則」が作用している。

「2 情報エントロピーとは何か」では、私たちが関心を抱く「よく起こること」「めったに起こらないこと」の確率を、「サイコロの目の出方」を例に見せてくれる。「ある出来事が偶然か、必然か」ということは、古くから人々の大きな関心事だった。「エントロピーは増大する」、つまり「無秩序(乱雑さ)に度合いがある」ということが、「あることが起こるか起こらないか」に、大きく関与していると理解できるだろう。

また「3 物質界におけるエントロピー」では、赤インクを水に垂らすと水が次第に色づいていき、最終的に水全体が薄いピンクに染まる過程で、何が起きているかが解説される。

赤いインクの分子によるエントロピーの増大は、インクの分子の「位置のエントロピー」の増大だ。

インクの分子は、最初の「インク」と「水」に分かれた状態が最もエントロピーが低く、インクが水に溶け切った状態が最もエントロピーが高い。インク(の分子)が水に溶け切り、拡散してしまうと、そのインクで字を書くことはできないし、水の中からインクを瓶に戻すこともできない。つまり、エントロピーとは乱雑さを表すだけでなく、エネルギーの質を表す指標でもあることが理解できる。
個人的には、ここを読んだ瞬間に、ここまで語られてきたことが一気につながった感があった。エントロピー増大の法則は、自発変化の方向を示す法則だが、その方向は「無秩序化」であると同時に「エネルギーの質を低下させる」方向でもあることが急に理解できたのだ。
もっとわかりやすく表現すると、次のような例えになる。

1億人の日本人が1人ずつ1円持っていれば、合計は1億円になり、それだけのお金があればちょっとした事業ができるでしょう。しかし、皆がただ1円ずつ持っていただけでは、何も起こりませんし、起こせません。エントロピーが増大してしまったお金は使い物になりません。何かをするためには、その1円をまとめ、まとまったお金の形にする、つまりエントロピーをまず減少させる必要があります。

森羅万象の中で成立する「別格」

本書は、熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)を根本原理として、地球環境・生命活動・SDGsから、精神のありかたを論じている。「エントロピー増大の法則」はさまざまな状況で働く普遍的なもので、森羅万象の中で成立する「別格」の存在であることが分かる。語られる範囲は広いが、1つの法則によって統一的に説明しているため、すっきりと整理された知識が頭に入るのが、読んでいて心地よい点でもある。

「教養としての〇〇」をタイトルに冠したものは、あるテーマについて簡潔に説明し、ざっと理解できるようなものが多い。しかしこの本にはそういう薄さはなく、世の様々なことに広く通じる法則を平易に読ませてくれるものだと感じた。この現代をエントロピーの観点から考えてみたい時のファーストチョイスとしてもおすすめしたい1冊だ。

  • 電子あり
『教養としてのエントロピーの法則 私たちの生き方、社会そして宇宙を支配する「別格」の法則』書影
著:平山 令明

この法則を知らずして、資本主義、地球温暖化問題、人類の未来を語ることなかれ。

「世の中には、ある一方向にしか動かず、『絶対に』元に戻せないことがある」
たとえば、コーヒーにミルクを入れてかき混ぜると、コーヒーミルクができて、その後再びコーヒーとミルクに分かれることはない。
たとえば、熱いコーヒーをそのままテーブルに置いておくと、冷めてしまう。
たとえば、コーヒーを床にこぼしてしまうと、元のカップに戻すことはできず飲むこともできない。
こうした一見「当たり前のこと」は、じつは「エントロピー増大の法則」という物理法則で説明することができる。
この「エントロピー増大の法則」は、数多ある物理法則のなかでも、どんな時、どんな場所でも成り立つ「別格の」法則。私たちの生き方、社会、そして宇宙を支配する法則なのだ。

なぜ、経済が成長すると格差が広がるのか?
なぜ、SDGsはうまくいかないのか?
なぜ、温暖化が大きな問題なのか?
その答えは「エントロピー増大の法則」を知ればわかる。
今日の情報科学の発展にも寄与した法則を理解するための最適の教科書。

レビュアー

中野亜希

ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
twitter:@752019

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