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「お母さん、殺しちゃおうかな」天才ピアノ少女と母殺しの激情サスペンス

最果てのセレナード(1)
(著:ひの 宙子)
2023.05.21
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堂々たるミステリーである。ひとつの事件を軸に、異なる土地と時間をダイナミックに往還する松本清張作品のような文芸大作、あるいは北の大地を舞台に禁断の関係を描く桜庭一樹の小説『私の男』、思春期の少女たちの運命的な絆と罪を描いたニュージーランド映画『乙女の祈り』などを想起する読者もいるだろう。それらの作品を愛する方には、いますぐ手に取ってみてほしい。

東京の雑誌編集部で働く小田嶋律と、国際コンクール入賞を果たした注目のピアニスト・白石小夜。彼女たちが本作の主人公である。10年前、ふたりは北海道の片田舎にある中学校で出会った。東京から転校してきた小夜が奏でるピアノの音に、律はあっという間に心を掴まれる。同時に、小夜が抱える深い絶望と諦念も、瞬間的に見透かしてしまう。





狂気に近いエリート意識と、高圧的な教育方針で娘を束縛する小夜の母親は、律にとって早々に最も憎むべき敵となる。多感な少女の激情が猛烈な勢いで高まっていくさまを、本作は見事に描いている。そこで彼女を後押しするものが“音”だ。ピアノ教室の娘である律は、その生まれ持った耳の良さから、小夜が持つ美しさと孤独を敏感に聴き取ってしまう。「彼女の奏でる音を守りたい」=「その音を殺すものを許さない」というふうに、抽象的なエモーションが具体性を帯びていくほどに、現実の行動も強度を増していく。そうした心理の生成過程が非常にリアルで、説得力がある。



ある意味、どこまでも人間くさい、殺意と愛情が隣り合ったエモーショナルなサスペンスドラマとしても読み応えがある。著者・ひの宙子は前作の短編集『やがて明日に至る蝉』でも、過去の「ある犯罪」をめぐる優れたドラマを描いたが、今作はそれをさらに研ぎ澄まし、シンプルに煮詰めて長編のストーリーを編み上げている。

時には衝撃的なセリフを放つ当事者よりも、それを受け取るキャラクターのリアクション/表情が印象的なのは、感情表現にこだわった筆致がもたらすものだろう。ドラマにおける大小のピークに向かって不穏なムードを醸成していく、コマ運びのコントロールも巧みだ。そして細かいところだが、ある人物が「実はそこにいた」という場面演出も、映像的なうまさがある。かように、ビジュアル的な演出面でも見どころが多い。





読み進めるうえで、ぜひ留意していただきたいのは、耳を澄ますこと。各場面でどんな音が聞こえているか、脳内でできるだけイメージしながら読んでほしい。劇中、ひときわ印象的に描かれるピアノの演奏シーンはその最たるものだが、それだけではない。

北海道弁のイントネーションが織り交ぜられた少女たちの生き生きとした会話。オフビートな破調も含めて細かく組み立てられたセリフの応酬。降雪があらゆる音を吸収する、北国の夜の静けさ。それらの音のディテールが、計算されたビジュアルと混ざり合い、豊かな作品世界が立ち上がってくる。つまり、じっくりと丁寧に読み込むことを読者に早い段階で要求する作品なのだ。

下図の第1話冒頭のシーンからも、その作品性は明らかだ。女子中学生たちの日常的会話を映し出す見開きが示すのは、登場人物のセリフが幾重にも重なって聞こえることをいとわない(むしろそこにリアリティがあると考える)本作の音響設計である。映画では、ロバート・アルトマン監督が好んだ手法だが、漫画では珍しいかもしれない。そして、その言葉の端々から人間関係、エモーション、ニュアンスを汲み取ることの重要性も示唆される。適当に読み飛ばすことなどできない、と早々に悟らせる場面だ。



もちろん漫画に音はない。しかしページを繰っていけば、それらの音場は自然と立ちあがってくる。音を喚起させる本作のビジュアルの力は特筆すべきものだ。単行本1巻のクライマックスとなる、しんしんと雪が降り積もる夜の公園のシーンは、読者にその静けさと、のちに訪れる衝撃を全身に体感させる。





セレナード(またはセレナーデ)とは、夜曲、小夜曲とも訳される。夜のしじまのなかで、演奏者がただひとりの相手に想いを込めて捧げる楽曲といったニュアンスがあるが、「最果て」で奏でられるその音とは、その情景とは、一体どんなものだろうか。本作は血の匂いを帯びた秘密の罪のドラマを通して、そうした詩情あふれるイメージへと読者を導く作品でもある。

奇しくもつい先ごろ、2023年4月10日、『乙女の祈り』の主人公のモデルとなった少女のひとりが世を去った。過去を秘して作家デビューし、長じてミステリー小説の名手となったアン・ペリーである。『最果てのセレナード』の物語は、2巻以降で(『乙女の祈り』が描かなかった)罪を犯した少女たちの現在へと踏み込んでいく。いかにして彼女たちがその罪を雪の夜に封じ込めたのか。10年ぶりの再会がどんなドラマを紡ぐのか。小夜のミステリアスな表情の真意とは、そして律は何を見ておらず、何を知らないままなのか。今後の展開に期待しつつ、いまはただ1巻のラストシーンの余韻に、うっとりと浸るばかりである。

  • 電子あり
『最果てのセレナード(1)』書影
著:ひの 宙子

業界話題の才能・ひの宙子による、天才ピアノ少女と母殺しの激情サスペンス!
北海道の田舎町。ピアノ教室の家に暮らす中学生・律と、その教室に通うことになった転校生の小夜。あるピアノコンクールをきっかけに二人は仲を深めていく中で、小夜は律に、母親を殺したいと告げた。時は経ち、10年後。律は東京の週刊誌編集部で慌(あわ)ただしい日々を過ごしていたその頃、地元北海道では白骨遺体が発見されて騒ぎになっていた――。
10年前の記憶と10年もの空白。その時の長さなど無視するかのように、いま確実に、物語は動き出す。

オムニバス短編集『グッド・バイ・プロミネンス』(祥伝社)が多くの心を揺さぶった著者・ひの宙子が、「月刊アフタヌーン」で初の長編連載に挑むのがこの作品。第1話目は異例の8Pカラー付きでスタートし、『グッド・バイ・プロミネンス』を連載した「FEEL YOUNG」とのコラボ企画も話題となった。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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