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【山田詠美インタビュー】波乱の半生を通して描く「小説家という生き物」の魂

毎日新聞「日曜くらぶ」で1年間にわたり連載されてきた山田詠美氏の本格自伝小説がいよいよ刊行される。本書は、文学少女時代から学生漫画家時代、作家デビュー後の波乱に満ちた日々まで、これまで語られることのなかった想いを率直に語りつくした一冊となっている。担当編集の森山悦子と、その軌跡をふり返った。

2022.11.21
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インデックスのようにして過去の記憶を引き出す

森山 毎日新聞で連載を始めたとき、どんなお気持ちでしたか?

山田 ずっと尊敬している宇野千代先生と同じ連載枠なので、嬉しかったですね。まさに毎日新聞日曜版で連載されていた「生きて行く私」を読んでいたんです。自分がこれからどうしていこうかまだわからなかったような時期に、実家でたまたま新聞を読んで。それから勝手に師と仰いで、先生とお呼びするようになって。

森山 宇野さんは連載当時、80代でした。山田さんはまだ少し早い印象もありますね。

山田 40年近く小説を書いてきて、そろそろ作家としての半生をふり返ってもいい頃かなと。人間、いつ死ぬかわからない(笑)。

森山 山田さんの記憶力にはいつも驚かされます。幼少期の話もディテールがとても鮮明で。

山田 記憶力の良さは小説家に必要な資質の一つだと思います。たとえば、「熱い」と感じたときに皮膚の熱さをそのまま蘇らせるような、そういうタイプの記憶力。私も長年小説を書くうちにトレーニングされてきて、大昔に感じたことや傷ついたこと、そこで起こったことが、書くとき自然と出るようになっているんです。

森山 子どもの頃からですか?

山田 自覚し始めたのは、恐らく本を読むようになってから。「あ、この思いを私はどこかで知っている」と感じると、「あのときに読んだ本の中の一節が今のこの気持ちなんだな」と考えるようになって。何度もそれをくり返すうちに、記憶力が磨かれてきた気がします。何年前の何月何日に何をしたか、あのときはこうだったんだとその情景を脳裏に広げることが、すごく好き。“時間フリーク”と言っているんですけどね。

森山 記憶の引き出しですね。

山田 インデックスというかね。図書館に行って本を探すように、この記憶だったらあのときの経験にあったよね、とか。

森山 小説に役立つことに限らず、ありとあらゆることですね。

山田 くだらないこととかもね。些末なことって、案外書くときのディテールにすごく影響するので。

山田詠美が考える小説家に必要な条件とは

『私のことだま漂流記』著者、山田詠美さん

『私のことだま漂流記』著者、山田詠美さん

森山 その記憶の引き出しには、いろいろな感情まで鮮明に入っていますよね。

山田 でも、それが書けるようになるまでにはかなり時間が必要で、例えば、憎しみの感情の場合、すでに自分の憎しみではなく、書くためにある憎しみというか。そういう概念に完全に変わっている必要があるんです。

森山 だんだんと発酵していくのを待つような感覚ですかね。

山田 そうかも。心が動いているときにそのまま書いてしまうと、だいたい夜中に書いたラブレターみたくなっちゃうから。それが発酵するのを待ってとっておいて、書いて昇華していく感じです。

森山 山田さんは「最初の一行」に対してすごく厳しいですよね。

山田 本読みでもある自分だからこそ、自分が書いた最初の一文を許せないというか。そういうときは、それ以上書くべきではない。普通は書けなくなると思うんです。

森山 最初の一行までの、生みの苦しみがあるわけですね。

山田 外から見たら、無為徒食のようだと思うんだけど(笑)。でも、いつかパッと出てくる。そういうときに、何か小説的なものが体の中で働いている感じがします。最初の一行が出てくると、そのまま「これしかない言葉があるだろう」と選んで書いていくわけですが、そうして最後の一行を書くときに、「ああ、ここを書かせるために私は最初の一行を書いたんだ」と思う瞬間が必ずくる。自分の中に眠っていたものがわかるようになるんです。実はデビュー作『ベッドタイムアイズ』を書いたときに、河野多惠子先生に言われたんです。「最初の一行が最後の一行にちゃんと機能している」と。ああ、そうなんだとうれしかったのを覚えています。

森山 小説家にとって特に大事な条件は何だと思われますか?

山田 その答えは小説家によって違うと思うけど、私なんかが思うのは、「書くのが好きでたまらない」とか「地道に小説家になるための努力をする」とかではなくて。なんというか、「小説家になる人」という生き物の種類みたいな感じで小説家になる人がいるんですよね。それが自分の中にあるかどうかを見極められることじゃないかなと思います。

森山 ナチュラルボーン小説家、みたいな人ですかね。

山田 そうね。私が当初漫画家の道を考えたときに才能がないなと見切りをつけられたのも、一種の才能かなと思うんです。小説を扱うにしても、いろんな種類の職種があって、小説家ができないことを編集者がやってくれるし、そういう文芸への関わり方もある。何が自分に向いているのかをキャッチするのって、すごく重要だと思います。

いま改めて考えるマイノリティへの“差別”

向かって左、著者の山田詠美さん、向かって右、『私のことだま漂流記』を手に持つ、担当編集者の森山

左:著者の山田詠美さん、右:『私のことだま漂流記』を手に持つ、担当編集者の森山

森山 山田さんは黒人文化や音楽にも精通していますが、いつ頃からお好きだったのですか。

山田 小学生の頃から踊れる音楽に反応していた話は作中にも書きましたが、中学生くらいから「私が好きなのは黒人音楽が多いな」と気づいて、のめり込んでいきました。

森山 デビュー当初、黒人男性との恋愛や性描写で、差別、誹謗されたことも書かれていますね。

山田 当時、アメリカでの黒人差別と、日本で黒人男性と一緒にいることで受ける差別とでは、ちょっとニュアンスが違いました。黒人男性との恋愛はふしだら、みたいなね。そういう言葉を平気でぶつけてもいい対象になっていたんです。でもこれって、よく考えると今も一緒で、少し角度を変えれば、違う人種差別がまだまだいっぱいある。ディテールが変わっても、基本的に差別する人は変わらないなと思いますね。

森山 大和撫子であれ、などと言う人は減っていませんか?

山田 それはそうなんだけど、結局ヘイトというのは多数決でしょう。そういう意味では、今はもっと質が悪いのかも。

森山 確かに。そういったことも含めて、ご自身の中で発酵して、今だからこそ書き得た一冊だと思います。山田さんの中でもとても大事な位置づけの作品だと思うので、それを預けてくださって本当に奮い立つ思いです。

山田 小説を書きたい人にも、小説を読むのが好きな人にも読んでほしい一冊です。小説というものが、いかに一人の人間を幸せにしてきたか。私の本も、また誰かの幸せになれるといいなと思って書きました。ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

撮影/渡辺 充利(講談社写真部)

山田 詠美 (やまだ・えいみ)

1959年東京生まれ。’85年『ベッドタイムアイズ』で文藝賞を受賞し小説家デビュー。’87年『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞、’89年『風葬の教室』で平林たい子文学賞、’91年『トラッシュ』で女流文学賞、’96年『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞、2001年『A2Z』で読売文学賞、’05年『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞、’12年『ジェントルマン』で野間文芸賞、’16年「生鮮てるてる坊主」で川端康成文学賞を受賞。近著に『つみびと』『ファースト クラッシュ』『血も涙もある』など。

  • 電子あり
『私のことだま漂流記』書影
著:山田 詠美

初めて「売文」を試みた文学少女時代、挫折を噛み締めた学生漫画家時代、高揚とどん底の新宿・六本木時代、作家デビュー前夜の横田基地時代、誹謗中傷に傷ついたデビュー後、直木賞受賞、敬愛する人々との出会い、結婚と離婚、そして……。

積み重なった記憶の結晶は、やがて言葉として紡がれる。「小説家という生き物」の魂の航海をたどる本格自伝小説。

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