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神秘に満ちた国酒=日本酒。太平の世は辛口が流行り、乱世や不景気では甘口が流行る!?

日本酒の世界
(著:小泉 武夫)
2021.12.18
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「お酒」といえば日本酒

和食のお店でお刺身や土瓶蒸しを頼んだあとで「次のお酒は何にしようね」と言うとき、目はすでに日本酒のメニューに向かっているし、それ以前に、「お酒」という言葉を私は日本酒を思い浮かべながら口にする場合が多い。(ビールを飲みたいときは必ず「ビール」と力いっぱい発声するのに!)

酒の誕生はその民族の主食や調理法、気候風土といったものがほどよく噛みあえば可能であるからで、食べものや食べ方に違いがあるのと同じように、それぞれの民族に独自の酒が生まれるのである。

たぶん日本酒は、私の根っこにいるお酒なのだろう。

『日本酒の世界』を読むと日本人と日本酒のお付き合いの長さにびっくりする。そして思い当たる節がいっぱい見つかる。そういえば私が子供の頃から一番よく知っているお酒は日本酒だった。桃の節句の甘酒、元旦のお屠蘇。テレビで鬼平犯科帳を観れば毎回必ず誰かがおいしそうに日本酒を飲んでいた。というか、江戸時代だけじゃない。大河ドラマでいろんな時代の人がクイッと飲んでいる。

日本人はいつから酒を飲みはじめ、どのようにして今の日本酒となったのか。

著者の小泉武夫先生は醸造学と発酵学の専門家だ。そして福島県の造り酒屋で生まれ育った。

ということで、日本酒の長い歴史と文化をいろんな角度から味わえる本だ。たとえば古い街の軒下で時々見かけるこの大きなぼんぼり!


なにかきっと意味があるのだろうけれど、一体なんだろうかとずっと不思議だった。「杉玉(すぎたま)」という。

江戸前期の寛永年間頃から杉玉が酒屋の目印として用いられていた。杉の葉を束ねて直径四〇センチメートルほどの球形にまとめたのが杉玉で、「酒林(さかばやし)」とも呼ばれている。

たしかに私が杉玉を見かけた場所も日本酒専門の古民家風の酒屋だった。そして、杉の葉を用いた理由についての考察を読むと、日本酒と神事とのつながりを実感できる。ただの飾りじゃないんですよね。こんなふうに多岐にわたって日本酒への好奇心を満たせる本だ。醸造方法、文化、経済、そして味と器。じっくり味わってほしい。

麹があってよかった

本書の前半で強烈な存在感を放つのは「口噛み酒」だろう。縄文時代の人々は、まずはヤマブドウなどの果物(糖質)をアルコール発酵させて酒を作り始めていたのだという。縄文時代で早速お酒が登場しているのかと嬉しくなった。そして、彼らは穀物(デンプン)でも酒造りをおこなっていたであろうと小泉先生は考える。

デンプンがあり、器があり、火があり、水があり、そして空気中にはアルコール発酵を司る酵母が無数に浮遊していたとなれば、むしろそこにデンプン酒を考えないほうが無理なほどである。

日本酒は米(デンプン)のお酒。縄文中期のデンプン酒……ひょっとして日本酒の大先輩? ここから小泉先生はその実現性を追求する。縄文人は本当にデンプン酒の原料調達ができたのか? できる。じゃあ、原料処理は? これもできる。どんどん日本酒の大先輩に近づく。でも次の関門は少し厄介。デンプンは果物と比べて、そう簡単にアルコール発酵しない。酵母がアルコール発酵を始めるには、デンプンはどうにかして分解(糖化)され、ブドウ糖に変わる必要があるのだ。

この難関を突破して生まれるのが「口噛み酒」だ。口噛み酒とは、デンプン質の食べものを口に入れてもぐもぐと噛み、やがて甘くなったら吐き出し、それを発酵させたお酒。日本では近年まで神事で口噛み酒が作られていた。

本書では口噛み酒作りに参加した女性の手記が読める。一部を紹介したい。1976年の石垣島での話だ。当時、石垣島では神事や家の新築や墓造りといった大切な行事のたびに口噛み酒を造っていた。その口噛み酒は「ミシ」と呼ばれ、それを造ることは「ミシを噛む」と言う。

映画『君の名は』でもヒロインが巫女の姿で口噛み酒を造る場面がある。あのシャーマニックで生々しいお酒は実在したんだなあと呑気(のんき)に感動しながらこの手記を読み始めたが、現実は映画より何千倍もハードだった。

或る日、親戚の叔母が墓造りのミシ作りに私の姉を頼みに来たことがある。そばで聞いていた私が「私もミシ噛み人数に入れてください」と頼むと、叔母は「あなたはまだ小さいから、大きくなってからね」といいすてて相手にもしてくれない。

幼い女の子がお姉さんたちと同じことをしてみたいとせがむ。わかるよ。最初は相手にしてくれなかった叔母さんは、やがて根負けして彼女にミシ噛みをさせてくれることに。服装を整え、塩でていねいに歯を磨き、いざ始まる憧れの儀式……これがもう大変なのだ。

やがて大きな木の陰でミシ噛みが始まった。(中略)五口、六口までは何気なく人並みに噛んだものの、塩で磨きすぎて傷めた歯茎がとても痛い。(中略)皆が疲れ気味になってくる頃、当家の叔母さんは山フニン(シィーカーサー)という小粒のごく酸っぱい蜜柑を二つ割りにして盛った皿を手に「これを見なさい酸っぱいでしょう。後でたくさんあげるからね」と側に置いて立ち去った。

蜜柑、今はくれないの? そう、唾液を出すためのお助けアイテムとして見るだけ! なにもかもが厳しい。

歯は疲れ、口は荒れ、顎は痛むというミシ噛みの厳しさと辛(つら)さは忘れることの出来ない思い出である。(中略)辛く難儀なことではあったが、反面それは噛み手にとっては誇りであり、喜びでもあったのである。それは数多くの女性の中から健康で、清潔感のある女性として選ばれたことを意味するからである。又このようにして出来たミシを飲む男たちはきまって「このミシは誰が噛んだのか」と聞くのであった。

過酷さと誇りと聖なるものが混ざり合い、そこに島の男女の恋心も含まれる。混沌としているのに清らかかつ平和でおもしろい。ちなみに、この口噛み酒を小泉先生はご自身の教室で女子学生の協力のもと実際に造ってみたことがあるのだという。発酵の過程がきちんと計測されて、口噛み酒の科学的な側面もよくわかった。(やっぱり噛むのは本当に本当に大変だったようです)

口噛み酒に度肝(どぎも)を抜かれたあとで登場するのが麹酒だ。麹菌はデンプンを糖化させる。

この驚くべき発見は当時の人たちを歓喜させたに違いない。辛かった口噛みの作業が不必要になったばかりでなく、麹を造ればそれに応じて大量の酒を醸すこともできたし、何といっても酒質は格段に向上したからである。

口噛み酒造りのハードさをたっぷり読んだあとだったので私も「麹があってよかったー!」と心の底から思った。ようこそ麹。そして、この麹菌の独自性ゆえに、日本酒は日本で生まれ日本で進化してきた酒であると小泉先生は指摘する。

江戸時代の新酒まつり

みんな本当に日本酒が大好きなんだなあと実感する本書の愉快なエピソードのひとつを紹介したい。「第六章 酒を競う」に登場する「番船競争」だ。私は今後の人生で日本酒を飲んでものすごく楽しくなったらこの話を誰かに聞いてもらうと思う。こういう鉄板エピソードが胸に残るから学術文庫は楽しい。

まず、平安時代の貴族たちはすでに熱燗を楽しんでいたけれど、当時はまだそれほど庶民には広まっていなかったという。それが鎌倉時代に入ると酒が広く愛飲されるようになり、室町時代には酒の銘柄もうまれる。そして江戸時代に入ると居酒屋の登場だ。(私がテレビの鬼平犯科帳で見たあのおいしそうな場面を思い出す)

需要が上がると物流も活発になる。江戸に暮らしていたって、本場(池田、伊丹、西宮郷などの関西エリア)のおいしい酒が飲みたい! とういうことで当時の酒の流通の様子がこちら。


船に積まれた酒樽の山! こんなに飲むんだ!?

そして、この酒を運ぶ廻船たちがスピードレースをしていたというのだ。

その年の新酒を樽に詰めて一斉に出帆し、江戸への一番乗りを競うレースであった。

これだけですでにおもしろいのに、「番船競争」にはまだ続きがある。

味は未熟だが香りの高い新酒を、高値でもいいから手に入れようとする江戸っ子気質がよく見える行事であって、当時の江戸では初鰹と共にこの下りものの新酒が大変に珍重されていた。

味は未熟でも新酒を一番乗りで飲みたい。そして、廻船問屋は江戸の酒飲みたちに新酒を一番乗りで届けたい。ボジョレーヌーボーの解禁日が近づくとスーパーも飲食店も少しソワソワする。あの雰囲気と通じるものがありそうだ。

見物人や見送りの人たちは喚声をあげ、鉦や太鼓で囃したて、また廻船問屋は出帆を見届けてから早飛脚を立てて江戸の問屋に知らせたのである。(中略)
普通は西宮と江戸の間は速い船でも一〇日は要したのに、一番船組はその半分の五日で帆走したというのであるから、いかに風をうまく使い、操舵技術が優秀であったかがうかがえる。

よーいどんのあとで早飛脚も駆け出して急いで知らせるし、船も倍速で進む。トラックもスマートフォンもない時代なのにめちゃくちゃ忙しなくて楽しい。船が品川に到着したあとも愉快な新酒お届けレースは続くのでぜひ読んでほしい。こんなロマンあふれるお祭りをやろうっていったい誰が言い出したんだろう。最高だ。

器にも日本酒らしさと歴史がある

器は日本酒をおいしく楽しむためにとても大切なもの。本書は酒造りのための器と、日本酒を飲むための器にも目を向ける。とくに醸造時の器の話を読むと、日本酒の性質や歴史が想像できて楽しい。

たとえば、縄文時代に酒造りのために用いられた土器は小さかった。

それはおそらく、土器造りが未熟で、貯えている間に酒が外に滲(にじ)み出たり、また、酒造りの技術も未熟であったのでせっかく造った酒を貯えておくと腐ってしまうことがあるなどの理由から、酒を長く貯蔵することは危険であり、したがって少量を造りすぐに飲むことが続いたので、器も小さかったのであろう。

そこから壺、甕(もたい)、桶、樽と発展し、昭和28年ごろになると琺瑯(ほうろう)タンクで酒造りがおこなわれる。タンクの材質に琺瑯が採用された理由を読むと日本酒のおいしさがよくわかるので引用したい。

安価な鉄製のタンクでは駄目なのだろうか。それは、日本酒は極度に鉄分を避けなければならない酒だから許されないのである。もし鉄に接触すると、たちまちのうちに酒の色は赤褐色に変わってしまう。その理由は、麹菌が生成したデフェリフェリクリシンという化合物が米麹の中にごくわずかに存在していて、これと鉄とが出合うとそこで呈色反応が起こり、赤褐色のデフェリフェリクロームが出来るからである。そのため、原料水も鉄分の多いものはまったく不可で、(中略)このように厳しい条件に適合する名水は、いくら水の良い日本といってもなかなか出るものではなく、そういう良水の湧くところに造り酒屋が集まることになる。

これから日本酒を選ぶときは「そうか、ここのお水は鉄分が少ないのだろうな」と思い出すんだろうな。こういうことを知るとますます飲みたくなってしまう。

本書によると、食べもの以外も「酒の肴」になるのだという。室町時代までの酒宴では、衣類や武器、そして歌や舞を見ながら酒を味わっていた。たしかに現代の私も桜や音楽を楽しみながらゆっくりお酒を飲む夜がある。ということで、日本酒がついつい進む肴のひとつとしてこちらの本もおすすめしたい。

  • 電子あり
『日本酒の世界』書影
著:小泉 武夫

縄文時代中期のデンプン酒に始まり、農耕の神に捧げた弥生時代、平安時代から熱燗を嗜み、戦国の世では酒で契りを交わし、江戸時代には新酒を求めて番船競争まで繰り広げる――。
古来、誕生から葬式まで、一生の儀礼にも欠かせないほど愛されてきた日本酒は、いかに発生、発達してきたのか。日本書紀や古事記など豊富な史料をもとに、時代ごとの「味」を調べあげ、日々の暮らしと酒嗜みの変遷も考察。造り酒屋に生まれた発酵学の第一人者だからこそ書けた、日本酒大全!


(内容の一部)
〇酒の肴の<肴>は、平安時代は衣類や武器のことだった!?
〇「ぐい呑み」は「ぐい!」と呑んでで、酒を喉ごしで味わうことから誕生した。この酒器でしずしずすすると、味の深さが半減する!
〇太平の世は辛口が流行り、乱世や不景気では甘口が流行るという論拠は?
〇酒宴の宴会は、神さまのご機嫌取りのために、滑稽な余興がうまれた!
〇酒の匂いを表現する語は70以上!
などなど、史料に基づいた豆知識も豊富に収録。

目次
はじめに
第一章 日本の酒の誕生
第二章 神の酒から人の酒へ
一、神の酒、人の酒
二、風土記と万葉の酒
三、『延喜式』と朝廷の酒
第三章 日本酒の成長と成熟
一、僧坊の酒、酒屋の酒
二、元禄の酒、江戸の酒
三、近代日本酒の誕生
第四章 酒と社交と人生儀礼
第五章 酒商売ことはじめ
第六章 酒を競う
第七章 日本酒と器
第八章 日本酒、その嗜好の周辺

おわりに
学術文庫版あとがき


*本書は1992年11月に中公選書より刊行された『日本酒ルネッサンス 民族の酒の浪漫を求めて』を改題、加筆修正したものです。

レビュアー

花森リド イメージ
花森リド

元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。

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