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【研究者あるある】デートよりハエが大事!? 笑いと悲哀に満ちた理系川柳

さいえんす川柳 「研究者あるある」傑作選
(編:川柳 in the ラボ)
2020.10.15
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新卒で入社した書店のバッグヤードには、たまに手書きの「短歌」が貼りだされていた。最初は誰が書いているのか、なぜ貼られているのかもわからなかった。だが社内になじんでくると、それは自分より少し上の先輩が趣味で詠み、勝手に貼りだしていたものだと知った。「会社」という場所に似つかわしくないその自由さに驚きつつも、日々の業務にまつわる作品の内容は、新人の私でも深く頷けるようなものばかり。だから新たな発表を楽しみにしていたのだが、ある日決まった先輩の異動とともに、その掲示は終わりを迎えた。

そんな記憶がよみがえってきたのは、本書を手にとったためだろう。2013年から2019年まで毎年開催されていたイベント、「川柳 in the ラボ」。大学や企業の現役研究者が、研究室で過ごす自身の日常を川柳にしたため、応募する催しだという。年々、多くの句が寄せられるようになり、7年間の応募総数はなんと6815句だというからびっくり! 集大成ともいえる本書では、その中から厳選された作品の数々が掲載されている。

冒頭では「ライフサイエンス研究の『七つ道具』」として、研究者の日々に欠かせない仕事道具が紹介されている。理系のあれこれに疎い私でも、こうして図と共に紹介されると理解しやすくてありがたい。ちなみにここで登場する「PCR装置」、新型コロナのニュースで知るまでは縁遠い機器だったものの、今となっては世界的に知られる道具の一つになっている。でも「七つ道具」とまで言われるものなら、研究者の間では当たり前の道具だったのだなと、その違いにあらためて感じ入る。

この後に続く本編は、六つのカテゴリーへと分けられている。先陣を切るのは、第一章「研究者あるある」編。内容の説明はこんなふうにつづられていた。

一日の大半を同じ研究室で過ごし、苦楽を共にするラボメンバー。日常に研究用語が飛び交い、特殊な実験器具に囲まれて過ごす中で、研究者独特の世界ができてきます。研究者であれば、ニヤッと口元がほころぶ「あるある」川柳をあなたも鑑賞してみませんか。

研究用語とはどんな感じだろう?と思ってページをめくる。「10分の 静置の合間 ランチ食う」。たとえばこの句では「静置」なる単語が使われていた。実験の様子や雰囲気はイラストから伝わってくるものの、なるほど、言葉の正確な意味は知識がないと掴めない。これが「研究用語」……!



だが、心配は不要だった。どのページにも、単語や状況に対する丁寧な注釈が付けられており、これを読むと意味がわかるだけでなく、理系研究者の生活や習慣、考え方にまで触れることができる。実用的かつ、小話的なネタも多く、いずれも知らないことばかりで面白く読めてしまった。

個人的なおすすめは、第二章「実験大好き編」の冒頭を飾ったこちらの句。「あぁ、その日? 俺はいいけど ハエがダメ」




注釈には

(前略)餌やりや実験のタイミングは、ハエの生活リズムに合わせておこなうので、自分のスケジュールはあと回し。ハエの都合を優先させることもしばしばあるのです。

とあり、涙なくして読むことができない。デートよりもハエをとるとは……! 

だが、ふと気がついた。自分の書店員時代も、新刊の入荷数や発売日を優先していたことを。そしておそらく社会人ならば、みなさん何か心当たりが浮かぶであろうことにも。自分の予定だけを優先して済む仕事はそれほど多くない。そう考えると研究者の生活も、その仕事相手がたまたま生物だったり、ゴールが見えない研究だったりするだけで、味わう苦労は一般の社会人と変わらないのかもしれない。

そう思って読み返すとどの句からも詠み手の声が、また違って聞こえてきた。それは苦労や反省、自虐や自嘲だけでなく、思いがけない発見の喜びや、振り回されることのおかしみ、予想外の嬉しさにあふれた日々だ。どれだけつらそうな状況でも、どこか不思議と楽しさが感じられ、研究者同士の仲間力もそこかしこに感じられる。同じ社会人として本書の川柳に惹きつけられるのは、そういった魅力にあるのだろう。

最後に、こちらの句を紹介したい。

「お勧めは しないが飽きない お仕事です」

飽きずに同じことを続けるということは、とても難しい。ましてやそれが仕事であればなおのこと。こんな句が詠める仕事に就けるなんて、うらやましさすら感じてしまった。これから研究者を志望する人にはもちろん、働くすべての人に、ぱらぱらとめくって好きなページから読んでほしい。きっと、頷ける一句に出会えるだろうから。

  • 電子あり
『さいえんす川柳 「研究者あるある」傑作選』書影
編:川柳 in the ラボ

〈気になるの インスタ映えより ショウジョウバエ〉
〈ボスの言う「最近どう?」は「結果まだ?」〉
〈あぁ、その日? 俺はいいけど ハエがダメ〉
〈教授から 頼まれ答えは イエスかハイ。〉
〈息子より 細胞の世話 妻激怒〉
〈研究費 削りに削られ 大吟醸〉
―――誰かと分かち合いたくて、一句詠んでみました。

理系の間で密かに話題! 研究者が詠む、研究者のための「あるある川柳」。
自分の予定よりもマウスやハエの都合を優先し、毎日世話している細胞にときめき、誰もいない深夜のラボで実験の成功を噛み締める……。
実験をこよなく愛し、論文アクセプトのために奮闘するライフサイエンスの研究者たちが、笑いと悲哀に満ちた日常を綴ります。
川柳イベント『川柳 in the ラボ』に投稿された6815句の中から厳選した、傑作170句をご覧あれ!

レビュアー

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田中香織

元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。

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