今日のおすすめ

最後は船上で謀殺か?「宇宙戦艦ヤマト」原作者の人生がドロドロすぎる件

「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気
(著:牧村 康正 著:山田 哲久)
2018.02.16
  • facebook
  • X(旧Twitter)
  • 自分メモ
自分メモ
気になった本やコミックの情報を自分に送れます

大成功を収めた人物が堕ちていくさまは、そんじょそこらのドラマよりずっと面白い。しかもその男が、とんでもない悪党であったなら、人の不幸を笑うなんて……という罪悪感を感じずに済むわけで。

「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーで原作者の西崎義展(よしのり)氏。この破天荒なカリスマの人生は、まさに因果応報を地でいくものでした。

今年の1月、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」が劇場公開されましたが、テレビアニメとして最初に放送されたのが1974年。44年経った現在も続編がつくられる「宇宙戦艦ヤマト」は、日本のアニメの歴史を変えた画期的な作品だということは、多くの方の知るところです。しかし、その歴史の裏側で、こんなにもドロドロとしたことが起きていたとは……。

まず、この西崎氏、元々、何者なのかというと、裕福な名家の長男で、北島三郎など大物歌手の公演プロデュースを年間200もこなす芸能プロデューサーだったそうです。その腕を買われ、漫画家・手塚治虫が主宰するアニメ製作会社「虫プロ」の子会社に入ったのが、35歳のとき。態度はでかいが、結果は出す人物だったといいます。その後、手塚担当マネージャーとして、テレビ局に「ふしぎなメルモ」を売り込むことに成功。赤字続きだった「虫プロ」の経営を立て直すのですが、評判はとんでもなく悪く、その人間性は「負の人徳」といわれていたそうです。

結局、「二度とあいつとは口をききたくない」と手塚治虫を怒らせ、「虫プロ」を追われるのですが、漫画などの版権を使ったカレンダーの製作販売に成功するなど、ここで培った経験が後に「ヤマト」を成功に導くことになります。

その「宇宙戦艦ヤマト」の企画書が、どういう経緯でテレビ局に持ち込まれ、ストーリーやアニメが誰とどうやって作られたのかなど、現場でのやり取りや裏話などを細かく知ることができるのは、「ヤマト」ファンならずとも読み応えがあります。

また、この時期に現れた角川春樹氏と角川映画の話や、今では決して知ることができない長者番付ランキングなど、昭和の話も懐かしいです。ちなみに昭和54年の西崎氏の所得は、「その他」枠で全国第14位。現在の価格に置き換えると、なんと2億円弱。そしてこれが、映画会社や大きな会社に所属するプロデューサーではなく、アニメの世界では素人同然の独立プロデューサーだというのですから驚きです。

そもそも映画製作で扱う金額はケタ外れで、もし失敗したら何十億もの借金を個人で背負う命がけの仕事なのです。それを大成功させるには、尋常ではない仕事量と情熱を要するわけですから、西崎氏は、とんでもない人物ということなのです。

と、ここまでなら賞賛されるべきなのですが、この男のせいで借金を背負わされたり、倒産させられた会社もあったそうです。しかも、その責任を共に苦労した同僚に押しつけ、自分は愛人と海外逃亡。ほとぼりが冷めた頃に舞い戻り、またいくつもの会社を作っては潰し、後始末は人になすりつけるという有り様なのです。

さらに結婚・離婚は3回、複数の愛人秘書がいて、有名女優やアイドルなど、長続きした愛人だけでも10人、その愛人たちに注ぎ込んだ金は10億でも足りないとか。
このお金があれば、会社を潰すこともなく、苦しむ人もいなかっただろうにと思うと、こんなクズ人間、罰が当たればいいのにと思ってしまいました。

そしてそれが、本当になるのですが、ここからの転げ落ち方が、ドラマ以上に凄まじいのです。

まず、覚せい剤取締法違反で逮捕。執行猶予なしの判決が出ると控訴し、その保釈中に軍用ライフルなど多量の武器保持と関税法違反で再逮捕。計8年2月の実刑が科せられ、収監されてしまいます。

さらに追い打ちをかけるのが、松本零士や企業との利権を巡る複数の裁判。それでも、出所後は「ヤマト」の続編製作に情熱を燃やし、木村拓哉主演でも話題を呼んだ実写版と劇場版アニメ「宇宙戦艦ヤマト 復活編」を公開します。

なぜ、そんなことができたのかというと、「ヤマト」の続編を作るために養子縁組までする人物が現れたからです。

普通ならここで心を入れ替え反省するのですが、この西崎という人物は、最後まで横暴なまま。月500万円の生活費だけでなく、破産しているのに船まで買ってしまうのですから。最期は、海の事故で亡くなるのですが、そのときは暗殺説、謀殺説まで出たというのです。

これを読んでいると、やはり人を騙したり汚いことをしたら、自分に返って来るのだなと思うと同時に、大成功を収めるには、これぐらいでなければいけないのかとも思ってしまいました。

それでも、読後感は爽やかなのです。むしろ、歳をとったからと縮こまってちゃいかんな、まだまだ私もやれるんじゃないか、みたいな妙なエネルギーが湧き出てくるのです。

この本は、多くの証言と緻密な取材により書かれているので、「ヤマト」ファンはもとより、「ヤマト」をよく知らない人でも、最後の最後まで面白く読める人間ドラマだと思います。

  • 電子あり
『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』書影
著:牧村 康正 著:山田 哲久

出渕裕(「宇宙戦艦ヤマト2199」総監督)、山崎貴(「SPACE BATTLESHIP ヤマト」監督)ら、ヤマトを見て育った名監督たちの新たな証言! 単行本未収録エピソードを満載した「完全版」文庫がついに出来。

「ヤマトがあったから僕はアニメを見続けることができた」──庵野秀明(監督・プロデューサー、2008年・西崎義展との対談より)

日本アニメの金字塔「宇宙戦艦ヤマト」が誕生してから40年以上になる。生みの親であるプロデューサー西崎義展(1934ー2010)はすべてにおいて「特異な男」だった。交流をもった者は誰もが彼を「悪党」と評しながらも、そこには深い愛憎が見てとれる。いまや世界の文化である日本アニメを語るうえで無視することができない西崎義展の存在を、その大いなる成功と挫折から綿密に描く初の本格的ノンフィクション

「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサー・西崎義展が、遊泳のため訪れていた小笠原・父島で船上から海へ転落。午後二時五八分、死亡が確認された―。
 2010年11月7日、その夜半にもたらされた一報に首をかしげる関係者は少なくなかった。
「もしや西崎は消されたのではないか。あの男はそれだけの恨みを買っている」
 またたく間に、本気ともブラックジョークともつかぬ他殺説が世間に流布されていった。(「序章」より)

レビュアー

黒田順子

「関口宏の東京フレンドパーク2」「王様のブランチ」など、バラエティ、ドキュメンタリー、情報番組など多数の番組に放送作家として携わり、ライターとしても雑誌等に執筆。今までにインタビューした有名人は1500人以上。また、京都造形芸術大学非常勤講師として「脚本制作」「ストーリー制作」を担当。東京都千代田区、豊島区、埼玉県志木市主催「小説講座」「コラム講座」講師。雑誌『公募ガイド』「超初心者向け小説講座」(通信教育)講師。現在も、九段生涯学習館で小説サークルを主宰。

公式HPはこちら⇒www.jplanet.jp

  • facebook
  • X(旧Twitter)
  • 自分メモ
自分メモ
気になった本やコミックの情報を自分に送れます